江戸幕府創設まで
東京湾最奥の入江にある江戸は、交易拠点・交通の要衝として古くから栄えた。 平安時代には江戸重継がここを本拠地とし、室町時代には扇谷上杉氏の家宰太田道灌が江戸城を築く。また、戦国時代には後北条氏の重要拠点となり、商人たちも盛んに活動した。
豊臣秀吉が後北条氏を滅亡させると、東海地方を領していた徳川家康は関八州への移封を命じられた。家康は江戸城を拠点に定めた。関ヶ原の戦いに勝利して江戸幕府を開いた家康は、引き続き江戸を首府として開発を進めていった。
江戸の開発
将軍となった家康は江戸城とその城下町の建設を諸大名の動員(御手伝普請)として行った。江戸城は巨大な堀を三重にめぐらせた大城郭となり(但し天守閣は数度の焼失を経て財政上の理由から再建されなくなった)、城下には旗本・御家人の屋敷地が置かれ、また参勤交代で江戸に来る大名家の上屋敷・下屋敷などが作られた。さらに武士たちの生活を支えるために町人(商人・職人)が集住すると、世界有数の巨大都市となっていった。
1657年(明暦三年)の大火の後には、隅田川東岸の本所・深川まで開発が進んでいった。このようにして都市江戸は膨張していったが、1818年(文政元年)に江戸の範囲(朱引内)が公式に定められた。
行政
江戸の町は八百八町と言われるが、八百八は多数というほどの意味で、実際には江戸時代後期で1600〜1700町ほどが存在した。町人地の市政は幕臣が務める南北町奉行が担当した。この下に奈良屋・樽屋・喜多村の三家が町年寄として実務を行い、さらに町々の名主へ町触の伝達などを行った。町人地の人口は50万人程にもなったが、面積は江戸の20%かそれ未満程度に過ぎない。残りの80%前後の土地は、各地の大名をはじめとした武士、もしくは寺社の合わせて50万人程で武家屋敷や寺社建築として利用していた。こうして町人の住環境は大変に過密であり、しばしば火災の原因になった。
食文化
町人の長屋では、通例朝に炊飯し、昼と夕は冷ご飯を食べた。江戸時代初期には昼食はなく一日二食だった模様。冷蔵の技術はなかったので、おかずは振売りという行商人が毎日長屋を売り歩いた。アサリやシジミなどの魚介類、納豆や煮豆、野菜などが購入できたという。
江戸は独身男性が多いので外食も隆盛し、寿司、蕎麦、天ぷらなどの屋台があった。蕎麦は信州の栽培地から運び込まれ、野田や銚子などの醤油とともに庶民にも安価な代表的ファーストフードになった。江戸前といって隅田川から芝浦あたりまで、江戸の海は海産物が豊富であり、活きの良いまま寿司や天ぷらにして屋台に並べることが出来た。
遊郭
参勤交代で滞在する大名家臣や旗本御家人などの 武士や、田舎から出てきた次男以下がひしめく江戸は、男性が異様に多かった。
それもあってか吉原遊郭や、街道沿いに置かれた江戸四宿(品川・板橋・千住・内藤新宿)の飯盛女などが発展していた。 ドイツ人医師のフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが日本を遊覧した際には性病(特に梅毒)の罹患率に驚愕した事が記されている。
江戸時代は全体的に寒冷な気候であった為、大規模な飢饉が何度か発生している。東日本が飢饉に見舞われるたびに、全国各地から物資が集まる江戸は餓死に瀕した人々の駆け込み寺となった。貧民が地方から大量に流れ込む江戸の住環境は劣悪なものであったらしく、遺骨からは、栄養失調やそれによる病気で死んだ人も多かったことが窺える。
泰平二百五十年のなかで、多様で独特な町人文化が花開き、現在まで受け継がれる歌舞伎や俳諧、落語などの大衆的な文化が栄えた。
戯作や浮世絵の創作、三味線や生け花などの芸事に手をだした武士も少なくはなかった(特に武家に好まれたのは骨董、釣り、園芸の三つだが、凝り出すと家を傾ける場合もあったという)。余芸が高じて、絵描きや原稿料で生計を立てるに至った多芸な武士もいた程である。
江戸時代には儒教が必須教養となり、江戸には徳川綱吉が建設した孔子廟・湯島聖堂や、林家の家塾(のち官学化)昌平黌が置かれた。一方で、本居宣長らの国学四大人により古事記 や日本書紀などの日本古典を研究する国学も盛んに行われた。
前近代社会としては識字率が高く、武士はもちろん町人、百姓まで文字を読めるほどに教育が普及しており、貸本屋なども流行して市井では大いに読書が嗜まれた。
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