概要
1753(宝暦3)年生まれ、1806(文化3)年没。
姓は北川改め喜多川、名は勇助または勇記。「歌麿」は号。
狩野派の鳥山石燕に弟子入りし、1775(安永4)年頃より絵師として役者絵・黄表紙・洒落本などの挿絵を手掛けるようになった。
寛政年間(1789年~1801年)は美人画家として浮世絵界に君臨。女性の理想美を半身像の中に表現しようという目的から、構図・描線・色彩などの表現技術に工夫と洗練を施した。代表作は「ポッピンを吹く女」など。
1804(文化元)年、浮世絵「太閤五妻洛東遊観之図」が幕府側に不適切と判断されて手鎖50日の処分(自宅謹慎)を受ける。処分解除後も歌麿の人気は衰えることが無かったことから、病気・過労のために2年後に逝去した。