浮世絵
うきよえ
「浮世」とは「社会」や「現代風」という意味があり、風俗画が多い。制作当時の庶民の生活の様子が細かく描かれ、江戸時代〜明治時代の風俗を今に伝える資料にもなっている。題材や種類は様々で、時代を経るごとに、新しい顔料や大胆な構図が取り入れられ、人物画ばかりでなく風景画も描かれるようになった。西洋の遠近法なども取り込まれた。
浮世絵は、現代では貴重な芸術作品として見られ、美術館に展示されるようになっているが、本来は壁にかけて飾るのではなく、手にとって楽しまれるものであった。一般的に木版画とされているが、絵画や巻物の肉筆画も含まれる。後者の肉筆画は有名な絵師による高価な一点ものがほとんどで、前者の版画は大量に刷れるため、大衆が安価で手に取れるポピュラーなものだった。本や冊子、チラシの挿絵になったり、おもちゃになるものもあり、江戸の土産物になった。
浮世絵の制作は、絵師・彫師・摺師の大きく三つに分業された。この分業体制が自分で彫り摺りも行う創作版画との違いになっている。
明治以降も浮世絵は盛んに制作された。文明開化の新風俗、有名人のゴシップや、戦争の一場面を色鮮やかに刷り出した浮世絵は、当時の民衆に大反響を呼んだ。だが、印刷技術の発達で肉筆画をそのまま製版できるようになり、彫師・摺師の仕事が失われていく。絵師は日本画家や挿し絵画家に名義を変え、浮世絵の伝統は日本画や挿し絵・漫画・イラストの分野に引き継がれていった。
大正期になると「浮世絵は月岡芳年を最後として全く絶滅」(永井荷風『江戸芸術論』)と述べられているが、「浮世絵」というジャンルが解体されたというだけで、木版多色刷りの技術が失われた訳ではない(後述)。
西洋で知られるようになったのは、輸出品の緩衝材として使われていた浮世絵を画家達が発見したのが始まりで、その後画家達はあらためて浮世絵自体を輸入した。
19世紀後期、印象派をはじめとする画家に影響を及ぼし、フランスでは「ジャポニズム」と言われる広く深い影響をもたらした。現在の西洋絵画(モダンアート)では輪郭線の使用、平面的な塗り、直線が斜めに横断する構図などが当たり前になっているが、西洋人にとっては日本の絵画を知るまでは考えられない技法であった。その意味で、現代美術やコマーシャルアートの源流の一つが、浮世絵であることは間違いない。
明治後期以降、ジャポニズムの逆輸入に刺激を受け、あくまで木版浮世絵の革新を目指す一部の人々は、新版画(新浮世絵)という潮流を生み出す。日本趣味に西洋画の手法を取り入れた風景画や美人画が中心であり、欧米人にも日本みやげとして喜ばれた。新版画は日本国内でも絵葉書やポスターなどとして流通し相当の人気を得、欧米では21世紀の現在も高い人気を誇るが、現在の日本では竹久夢二ら一部の人気絵師を除いて半ば忘れ去られている。
1991年(平成3年)、最後の新版画絵師と称された笠松紫浪が世を去り、浮世絵の血脈は完全に終焉を迎えた。
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大江戸妖鬼絵巻
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