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概要編集

1657年(明暦3年)1月18日~19日に江戸で発生した大火。振袖火事、丸山火事ともいう。本郷丸山本妙寺から出火し、江戸城をはじめ江戸市中を焼き尽くした火事である。死者10万人以上、焼失町数800町といわれる。江戸城天守も焼失し、その後二度と再建されなかった。旗本屋敷神社仏閣橋梁なども被害を受けた。本所回向院はこの時の死者の霊を祭ったもの。

火事の原因は振袖火事の由来となった「3人の少女の供養の為、火にくべた振袖が風に煽られて本妙寺の屋根に着火した」の他に「江戸の都市改造の為幕府が放火した」「本当の火元は老中阿部忠秋の屋敷だったが、幕府の権威を守るために火元を本妙寺に引き受けさせた」の2つ説がある。


振袖火事の由来編集

明暦の大火の俗称「振袖火事」の由来は下記の伝承に基づく。

事の始まりは、恋煩いの末に亡くなったとされる17歳の少女の形見である振袖が、彼女を弔った寺院の寺男達によって転売された事であった。

振袖は別な17歳の少女の手に渡ったが、彼女も亡くなり同じ寺で弔われた。形見の振袖はまたしても寺男達により転売されたが、それを手に入れた少女もまた亡くなり同じ寺で弔われた。

流石に気味が悪くなった寺男達は住職に相談した。話を聞いた住職は亡くなった少女達の親達とも相談の末振袖の供養を行うことにして、お経を唱えながら振袖を炎の中に投げ入れた。

しかし、突如強風に煽られた振袖は空高く舞い上がって本堂の屋根に落ち、本堂は炎に包まれ消化する暇もなく炎が周囲に延焼し、翌日までに江戸の半分以上の家屋が焼失した。


江戸の大火編集

江戸時代、江戸では火災が極めて頻繁に発生した。「火事と喧嘩は江戸の花」という言葉まであるほどである。特に、明暦の大火・明和の大火・文化の大火を総称して「江戸三大大火」と呼ぶことがある。


創作編集

怪獣8号編集

明暦の大怪獣により関東一円が火の海となり、人類史上最悪の怪獣被害となったとされる。


忍者と極道編集

江戸の大侠客幡随院長兵衛が、子分を殺された恨みで忍者神賽惨蔵への仇討ちを目論み放火。それが延焼して江戸が火の海となった。

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