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概要

東京都に在住している人、または生活圏に東京都が絡む人である。


…と申せば聞こえはいいが、関東近隣一帯は東京と密接な経済文化圏を形成しており殆どの人々は何らかの形で東京にアクセスしているため、実のところ対象範囲は驚くほど広範になる。

かつてよく言われた言葉として、「盆と正月の東京は寂しい」という現象があったが、これは在住する人々の郷里が他県に多いという東京の本質を言い表している。(近年はコロナによる行動規制と重なったり、そもそもクニに帰省する文化自体薄れたりして盆も正月も賑わっているが)


コロナ前の東京人口はおおよそ1380万 (2018年時点)だが、昼間は他県から従業、習学、観光などの流入人口が約300万だった。概算で五人に一人が他県から訪れた人であり、やはりというか神奈川、埼玉、千葉の三県が多く見られる。東京の文化の根底にある経済活動はこういった流動人口にも支えられているため、単に言葉としての『東京人』が『東京をよく識る人』とするならば、一概に在住している人だけを指す言葉でもない。

(埼玉県の人の方が池袋に詳しいとよく言われるのはよく聞く話。これをもって『埼玉は池袋の植民地』というジョークも飛ぶが、実際に埼玉人が池袋の経済を支えているのも事実である)


明治維新と大政奉還を経て江戸は名称を東京都に変更し、以来行政、経済、文化の中心的役割を担っている。『入鉄砲出女』で有名な江戸幕府の庶民移住制限を撤廃してからは莫大な経済規模から溢れる食い扶持を求めて押し寄せる人の波が後を絶たなかった。(もちろん地方都市でも地盤経済が活性化すると人口も娯楽性も増えて地元に留まり続けるようにもなるが、近年の道路開発や鉄道各線の充実と共に交通の便が発展すると東京への直行ルートが築かれ、ストロー効果で活気も人口も吸い取られる「木更津現象」といったことも起こりうる。)

こういった経緯もあって東京は当初より下町に住む古い江戸民の他に、チャンスを求めて新たに流入してきたお上りさん、外国人の居留者や当時はあった外地(植民地)からの労働流入、なにより東京大学を始めとした日本教育機関のトップレベルが林立していることもあり、毎年絶えず全国地方から若者が押し寄せるというアドバンテージもあって若い文化や思想のルツボ状態が顕在化してきた。戦後の高度経済発展を迎えてからこの傾向は加速し、中心部は絶えずトレンドが入り乱れ、経済規模の発展や若者文化の醸造と共に銀座→新宿渋谷→下北沢などへと無限に広がっていく。


よく「東京23区に非ずんば人に非ず」という気概が取り沙汰されるが、実際の処地価物価高騰が極めて目まぐるしい23区(旧東京府東京市)に住むことは容易なことでは無く、流入してきた人々の多くは地価の安い山の手線外の主に西側に住居を求め、生来の東京都民でも港区のタワマンに住むなど夢のまた夢だったりする。「23区に~」と明言する者に限って23区に住んでなかったり、あるいは他県の住人だったりするのは珍しいことではない。

また、東京23区内でも格差は如実に広がっており、治安にもバラツキが見られる。人口の増加傾向に反比例して子育てには適さない行政も多く、結婚や出産を契機に23区や東京そのものから離れていく人も目立つ。文化の多様性や経緯の相違性などが後押しして地元意識は細分化、あるいは希薄化しており、大声で「東京人」と叫んでもピンとくる人は余り居ない。


やはり東京の本質は外部からの流入性であり、「市民(People)」は存在しても「民族(Race)」は居ないのが実情といった所か…


関西からみた「東京人」

主に関西人が東京出身者を馬鹿にして使う言葉としては、古くから首都を抱えてきた関西との比較や侮蔑に使われることも多く、概ね「冷たい」「歴史が浅い」「表面上の付き合いしかしない」「郷里に対する愛着が薄い」という固定観念の上に語られる。が、同時に「関西人は厚かましく土地や習俗に縛られている」という自認識の裏返しにもなり、コンプレックスから上京して以降標準語で喋ることを心がけて関西出身である事を隠したがる人も多く、また東京側からの(というか関東人の田舎根性丸出しの)逆差別も少なからず存在する。

しかしてこの手の地域差別といったものはローマとミラノやアメリカ西海岸と東海岸など満遍なく全人類が持ち合わせるものであり、ツッコめば大阪と京都と奈良でも互いに見下したり見上げたりするときがある。関西人の東京コンプレックスは、これらの問題を棚上げする役割としても機能したりする。


起源を遡ればその歴史は古く「あずまびと」として1000年前から馬鹿にしてきた嫌味千年の文化である。古来より日本の中心部は関西~中国から遠くても近畿地方であり、そこから先は蝦夷=エゾの土地として野蛮視されており、中世の東征と開拓を経て徳川幕府が開かれるまでは人の手の及ばぬ処であった。

やがて明治維新を迎え、世相の変化と共にかつての中心地だった歴史が遠のくに連れて対抗意識は高まり、「東京VS大阪(or京都)」といった対立軸が持て囃されるようになるが、とはいえ古都を構えた文化中心御料地の二府であり、有名大学や経済基盤の充実もあって観光客は昔から後を絶たない。


地方から見た「東京人」

夏目漱石の「坊ちゃん」に見られるように、古くから東京の人と地元の人との解離性は話のタネとして付きものだった。これらは上記幕府の移動制限政策から解放された自由経済活動による人と物の行き来と中央集権制への政策転換、言語統一に向けた方言狩りなどもあって様々な軋轢や混乱を引き起こした。過去の小説、歌謡、映画やドラマ、マンガやアニメを読み解く際にこれらは重要なファクターとして隅々まで存在し、その尾は形を変えて現在でも続いていると言える。

逆に東京に長く暮らすとそういった郷里感覚は希薄化し、文化的ホームシックからそういったモノへの憧れが強く出始める傾向がある。2000年代以降はその面がハッキリと前面に出される文化が確立し、地元物産やアンテナショップ、地域産業の盛り上げ政策などが顕著に見て取れるようになる。これもまた上記関西から見た「東京VS」の地方版とも言えるが、今度は東京の人が地方を文化消費する番に転化している。

近年では恐ろしすぎる地価高騰やライフスタイルの変化、オンラインビジネスの充実もあって「地方移住」も取り沙汰されており、今や東京人による東京からの流出も始まっている。


ほぼ東京

東京に隣接する都市が、「ほぼ東京」を自称する例が散見される。その一方で、正真正銘都内である町田市民には、「ほぼ神奈川」を自称する者が少なくない。

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