概要
相模線(さがみせん)とは、東日本旅客鉄道(JR東日本)管内の茅ケ崎駅から橋本駅までの路線の名称。また、その区間を走る運行系統の名称である。通称ガミ線。
路線データ
路線延長 | 33.3km |
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軌間 | 1067mm |
駅数 | 18駅 |
複線区間 | なし(全線単線) |
電化区間 | 全線直流電化(1500V) |
閉塞方式 | 自動閉塞式(特殊) |
保安装置 | ATS-P |
最高速度 | 85km/h |
運転指令所 | 東京総合指令室東海道方面指令(橋本CTC) |
最小曲線半径 | 107m(茅ケ崎付近の1か所) |
概要
東京近郊区間内の路線で、全線単線である。神奈川県南部の茅ケ崎市にある茅ケ崎駅から、相模川の東側を沿うように北上し、「海老名市にある」厚木駅を通って、相模原市の橋本駅までを結ぶ。基本的に全列車茅ケ崎〜橋本の全区間通し運転だが、茅ケ崎〜海老名間の区間運行列車も存在する(かつては朝や夕方・夜のラッシュ時には横浜線直通八王子行の電車も存在していた)。利用客の多くはラッシュ時に集中し、昼間の車内は4両編成でも余裕がある程度。発車メロディは上溝駅と茅ケ崎駅を除く全ての駅で相模線オリジナルのものが採用されていたが、2022年3月のダイヤ改正以降は上り線が『Water Crown』に、下り線が『Gota del vient』に変更された。
全線通しで乗ると、現時点では約74分かかる(それでも横浜経由よりは早い)。そのため、神奈川県や沿線自治体では複線化が要望されている。
後述するが元々相模鉄道が保有していたものを戦時買収の形で国有化した路線である。しかし高度経済成長期に差し掛かっても国鉄が有効活用せず(できず)、また旅客利用では特定地方交通線並みの大赤字でもあり、普通なら廃止されてもおかしくない状況であった。1980年代に買収元の相模鉄道に返還する動きもあり、実際に国鉄と相鉄との間で返還交渉がなされたが、国鉄が相模線運用に係る職員の引き取りを相鉄に要求したことや、国鉄と相鉄との職員の待遇格差の問題により折り合いがつかず、結局国鉄⇒JR東日本がそのまま保有する形で現在に至っている。
単線のため、電化後も所要時間を短縮できていないことを度々ネタにされる。
使用車両
電化後の現在では2021年導入のE131系500番台が使用されている。かつての電化前はキハ35系気動車が、電化後は2022年2月まで205系500番台が走っていた。
相模線で運用されているE131系500番台は他線区のE131系とは若干先頭車両前面の塗装が異なる。
E131系は2021年より導入されており、1991年導入の205系は2022年の2月28日を以て完全に置き換えられた。
歴史
相模鉄道(相鉄)が1920年に敷設したところから始まる。当時は相模川で採集した砂利を輸送するなど、貨物輸送が中心であった。その後、関東大震災などに襲われながらも、1931年に現在とほぼ同じ路線が完成。
そして太平洋戦争(大東亜戦争・第二次世界大戦)に突入すると、急激に軍事需要が高まる。相鉄が苦労の中敷設した相鉄相模線も1944年6月1日に戦時買収により国鉄相模線となった(現在の相鉄本線と相鉄厚木線は「神中鉄道」という別会社が建設した後に同社が合併により継承した路線である)。
1958年にディーゼル化され、それから8年後の1966年に蒸気機関車が廃止された。1984年4月1日には途中の寒川駅から西寒川駅までの支線が廃止されている。そして民営化直前の1987年3月21日、海老名駅が開業した。1991年に全線電化され、現在も現役車両の205系500番台が導入された(なおこれにより神奈川県は「域内全路線において気動車による旅客列車が全く運行されない都道府県(当時)」となった。現在は東京都・奈良県と2003年に沖縄都市モノレールが開業した沖縄県も該当する)。
2016年3月に「駅遠隔操作システム」を導入し、無人駅が増えた。2021年にはE131系500番台を導入。2022年3月12日よりワンマン運転を開始し、横浜線への直通運転も廃止された。
元々は貨物中心の路線だったが、横浜線への乗り入れの開始、太平洋戦争終了後の宅地開発、京王相模原線の橋本駅乗り入れ、全線電化によるスピードアップ、海老名駅などの利用者増加などで、今では通勤通学の足として利用されるようになった。
複線化計画などが進められており、県央地区の鉄道利便性の強化などから鉄道の利便性向上を望む声がある。
寒川駅、倉見駅、相武台下駅は車庫線跡地や貨物線跡地等を介して島式2面4線化可能な用地があり、入谷駅と上溝駅には輸送力向上の為に交換可能設備の設置を計画している。
相模線は何故国有化されたか
この理由は定かではないが、当時の戦時体制のもと、東京が攻撃されたときに備えての迂回ルートを確保するためと考えられている。
高崎から八高線を経由して八王子に抜け、そこから横浜線および相模線を通ることで太平洋に出られる。このような北方から太平洋への迂回ルートを確保する動きは川越線のスピード建設にも見られる。相模線が必要だったのは、万が一横浜が狙われてもいいようにという保険だったのだろうか。
国有化の際、一度は割譲されたC12型(期せずも国鉄に復帰したこととなる)のほか、私鉄型気動車や雑型客車も買収対象になったが、神中鉄道と合併した相模鉄道との間で車籍が重複するという問題も発生。早晩除籍および譲渡で整理されたものの、混乱期のエピソードと言える。
国鉄における経営姿勢は正直まっとうな物でなかったため、貨物輸送に偏り、旅客の営業係数は低かった。通勤路線への脱皮は国鉄末期のキハ35体質改善にはじまり、205系投入で相当遅れながら完遂されたが、買収がなければ相鉄自身の手で20年早く近代化された(その上海老名駅もあんな不便な立地にはならなかった)……とも思える。
上記にある通り国鉄末期の相鉄への返還は実現しなかったが、もし実現した場合でも違った未来が見えたかも知れない。
駅一覧
駅名 | 乗り換え路線 | 線路 | 備考 |
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茅ケ崎 | ∨ | ||
北茅ケ崎 | ◇ | ||
香川 | | | ||
寒川 | ◇ | 1984年3月までは「西寒川支線」が分岐していた。 | |
宮山 | | | 寒川神社の最寄り駅。2016年2月21日に無人化 | |
倉見 | ◇ | 2016年2月21日に無人化 | |
門沢橋 | | | 真上の道路は神奈川県内の幹線である横浜伊勢原線を通る。2016年3月13日に無人化 | |
社家 | ◇ | 2016年3月13日に無人化 | |
厚木 | 小田急小田原線 | | | 有人駅だが小田急電鉄に管理委託 |
海老名 | ◇ | 小田急と相鉄の乗り換えは動く歩道を経由した通路で結ばれている。 | |
入谷 | | | 2016年2月21日に宮山駅と倉見駅が無人化される前までは、相模線唯一の完全無人駅だった。米軍座間キャンプ場の最寄り駅。 | |
相武台下 | ◇ | 2016年3月13日に無人化 | |
下溝 | | | 2016年3月13日に無人化 | |
原当麻 | ◇ | ||
番田 | ◇ | 2016年3月13日に無人化 | |
上溝 | | | ||
南橋本 | ◇ | ||
橋本 | ∧ |
関連イラスト
関連タグ
首都圏色:気動車の塗色。発祥地。
相模鉄道:元々の経営母体。
青梅線・五日市線:同様に私鉄路線が戦時買収された東京近郊路線の例。
八高線:貨物偏重による投資不足、沿線の開発遅れ、電化遅れなど、似た境遇を辿っている路線。