蒸気機関車
じょうききかんしゃ
蒸気機関によって動く機関車のこと。「蒸機」または「SL」と略される。
1872年(明治5年)に新橋-横浜駅間に日本初の鉄道が開通されてから初めて運用された。
昭和40年代から国鉄の近代化・合理化により、やがて全国から廃止されていったが、現役引退後も各地で復活運転がされるなど、鉄道ファンならずとも根強い人気がある。
『ハリー・ポッター』シリーズの他、『ドラゴンクエストⅨ』や『魔法戦隊マジレンジャー』など西洋ファンタジーの要素を汲む作品では(世界観が現代的か古典的はさておき)公共交通機関や物語の重要なガジェットとして登場する。
タンク式(タンク機関車)
石炭及び水を機関車本体に搭載する方式、主に小型~中型機が多いが、4100形、4110形、E10形など急勾配線専用の大型機にも採用例がある。小回りが利くなど長所があるが、(石炭や水を途中で積み足す必要があるため)長距離運転ができないなどの短所がある。
- 構造上、高圧の蒸気を発生させる大型のボイラーを搭載しているため、運転には甲種蒸気機関車運転免許の他にボイラー技士免許が必要となる(機関士が一級以上かつ機関助士が二級以上)。
- 他の鉄道車両では進行方向の変更にしか使わない逆転機(進行方向を切り換えるための機械的装置)は、蒸気機関車の場合その構造上(歯車によって進行方向を変更するのではなく、シリンダーの蒸気の流れの向きを変更する仕組みになっている)速度の制御にも使用される。その様子はドキュメンタリー映画(youtubeの参考映像、後退)などで見ることができる。
- 様々な箇所が擦れ合うため、機関士の交代のときなどに熱をもっていないか確認したり、油を注す光景も見られた。
- 機構は複雑ではないものの、調整や保守に手間がかかる。だが、精度が良すぎてもダメな部分がある。ピストンとシリンダの径差がそれで、ピストンリングは入るものの2~8mmという内燃機関の10倍以上の差がある。これをガソリンエンジン並みに仕上げてしまうと動かなくなったという。
- ボイラーの起動に時間がかかることと頻繁なボイラーの起動・停止は過度に収縮を繰り返すことでボイラーの構造全体に負担がかかり、寿命を縮めてしまうため、現役運行されている機関車は検査で分解するとき以外はボイラーに火を入れたままにしておくことが多い。(石炭焚きだと無火から可動状態まで3~4時間、しかしそのうち2時間ほどは石炭の焚き付けである。純石油焚き(大抵重油であるが例外あり)は1時間程度で動ける(着火はほぼガスコンロ。あっという間である)。なおボイラー圧が上がるまでの時間を活用して他の整備もやっている)現在のアメリカの動態保存機は、環境規制で石炭焚きが禁じられているため重油焚きに改造されている。
- 長距離運転では給水や給炭、灰ガラ捨てなどが必要となる(使用する車両にもよるものの、約100km程度)。車両基地だけでなく主要な駅にはそれを行う設備が設けられていた。
- 適切なメンテナンスを行えば非常に寿命が長い。ボイラー等多くの主要部品を交換してはいるが130年以上現役の機関車が存在する。
- 始動時に牽引力が最大となり、速度が上がるにつれ下がっていくというトルク特性があり、これは意外にも電気機関車のそれに近い。
仕組み等
- 蒸気機関車の熱効率は最大でも10%程度とされ、電気機関車やディーゼル機関車より燃費が著しく悪い(ただし後述のように外燃機関であるため燃料を選ばないというメリットがある)。
- 蒸気機関車の燃料は、石炭や木炭、木材などが一般的だが、実際は可燃物であれば(効率がいいモノがいいが)ほぼ何でも使えるため、最悪ゴミでもよく、東南アジアでは実際にサトウキビの搾りかす(バガス)が使われたこともある。また、重油などの液体化石燃料を使用する蒸気機関車もある程度世界的に普及しており、日本でも一部の機関車が急勾配の馬力アップのために使用している。
- 上記の内特に変り種なのが電気を使った方式で、電車の様にパンタグラフから電気を受け取り、それを使ってボイラーを加熱し、蒸気機関を動かしている(あくまでもモーターなどを動かしているわけではなく熱源であるので蒸気機関車に分類される)。また蒸気の発生源が車内になく、据え置きボイラーから高圧の蒸気を充填してもらってから出庫し、蓄えた蒸気で走る「無火機関車」なるものも、蒸気機関車である。
- また逆に蒸気機関を駆動して発電を行いその電力で走行する、電気式も試作された。
- 普通、蒸気機関車のエンジンは蒸気レシプロエンジンに分類されるが、艦船などにもあるように、蒸気タービン式の蒸気機関車も存在した(主としてアメリカおよびヨーロッパで作られ1940年代におおむね使用を終了している)。タービンは逆回転出来ないため機械式の場合は後進用タービンを別に搭載していた。上述の電気式も存在し、タービン回転数を一定に出来て前進後進が自在なのが利点であったが水を使う関係上電気機器と相性があまり良くなく、機械式ともども廃れた。
- そのほか、原子力を熱源に使う案も存在した(1950年代および1970年代、ただし放射線漏れを防ぐ外界から隔離用の格納容器などの装備により重量が過大になるうえ事故時に放射能漏れのリスクがあるなどデメリットばかりで無理に「原子炉を汽車に搭載するよりも原子力発電所を建設、電気機関車や電車を運用する」法がはるかに安全で効率がよいことに気づいたため中止になった。ソ連、アメリカ、西ドイツ、日本が計画段階だったらしい。
- まるで電気機関車のモーターの様に各動輪に二気筒の小型蒸気機関を取り付けた19.10形が第三帝国時代のドイツで試作されたが走行性能は静粛で優秀だったものの複雑過ぎて試作のみに終わっている。
- JRや私鉄などで運行される蒸気機関車は石炭が利用されているが、東京ディズニーランドのウエスタンリバー鉄道は石炭こそ使わないものの、重油(現在は灯油)を使用して蒸気を沸かして走らせる、これもれっきとした「本物」の蒸気機関車である。
- 一方伊予鉄道の「坊っちゃん列車」や小湊鉄道の「里山トロッコ」は見かけは蒸気機関車であるものの実はディーゼル機関で動いており、若桜鉄道のC12は圧搾空気で動いており、これらは本物の蒸気機関車にはあたらない。若桜鉄道のC12は無火機関車の蒸気を圧搾空気に置き換えただけであるが、圧縮空気と蒸気の取扱法制の違いから厳しい手続きを受けなくとも済んでいる(圧搾空気は10kgf/c㎡=0.98MPa以上でなければ高圧タンクの規制を受けないが、蒸気ボイラは0.2MPa(≒2kgf/c㎡)で法規制のかかるボイラーになる)。
ただし、運転する機関士によると 圧縮空気での運転だと、水蒸気と空気では粘性が大きく異なることから操作に対する反応が大きく異なるためかなりの慣れがいるそうである。
- 「SL(エスエル)」の通称が馴染み深いが、pixivで「SL」タグは「SecondLife」とバッティングしてしまうことがあり、「蒸気機関車」タグもあると良い。
- SLの代名詞となった「デゴイチ」はSLの形式の一つ、D51形の呼び名で、それが一般にも普及したため、その他の形式のSLもデゴイチと呼ばれることがあるが、元々は「デコイチ」と呼ばれていた。
- 知名度や製造両数が多かったこともあって、現在でも全国で保存されている車両は多いが、本線上を走れるD51はJR東日本の498号機(と、元1094号機であるC61 20号機)のみであったが、現在JR西日本で京都鉄道博物館で動態保存していた200号機を本線で走れるように整備し、投入している。
- 日本の鉄道用語(俗語)で機関車のことを「カマ」と呼ぶ。これは蒸気機関車が文字通り「釜」だったためだが、その名残で、電気機関車(電気釜)やディーゼル機関車にも通用される。
- 通常自走可能なものは客車(旧客)や貨車(現在では運用なし)を牽引し、現在では主として客車列車として運用される。まれにキハ141系で運用を行う場合も存在する。自走不能なものは機関車で牽引する。
- 蒸気機関車を運用するにあたり、切っても切れないのが煙である。この煙は石炭の煤で服や顔を汚す要因となった。しかし一番の問題は煙害による苦痛であり、トンネル(特に勾配があるトンネル)で乗務員・乗客が窒息したりすることがあった。また煙による窒息が原因で乗務員が気絶・吐血・死亡することがあったり、さらには死亡などによって運転操作するものがいなくなった機関車がそのまま暴走して、脱線・衝突という2次災害を起こすこともあった。また、戦前の機関士は定年退職後5年以内に大部分が寿命を迎えて亡くなっていたという。ただし、1950年までの平均寿命は40歳代で、20歳未満の子供を統計から除いても60歳前後のため機関士だけが短命だったとは言い難い。機関士の多くも喫煙者だった事も一因とされる。新型コロナでも喫煙者が重症化しやすいというデータが出ているが、当時は現代よりはるかに喫煙者の比率が高く、多くの国で煙草の健康への影響がまだ認識されていなかったため。
- 上記の煙害があるため、様々な煙害対策を施された。勾配のあるトンネルの標高が低い入口に排煙幕を張る。集煙装置を煙突上部に取り付ける。煙突両サイドに除煙板を取り付ける 等。 だが一番の対策は、蒸気機関車を使わないことが一番煙に悩まされない方法であり、蒸気機関車が淘汰される大きな要因の一つとなった。また、緩衝装置の不備から乗り心地が極めて劣悪なものであったということも忘れてはならない。
- 基本的にボイラー側には車両、特に客車は連結させない(特に黎明期)。これはボイラーが破裂した際の安全を考慮してのことや、固形燃料である石炭を燃やす以上炭水車と焚き口の間に運転台を入れる必要があるためである。ただ、炭水車が機関車本体に一体化したタンク機はこの限りではなく、特に日本では技術が確立されてから鉄道が敷かれたのでタンク機の逆機は常用された。
- しかし、運転台を前に置いたキャブフォワード型テンダー機関車というものも存在する。簡単に言うと普通のSLの前後を逆にしたタイプで、運転手が煙にまかれることがなく、前が見やすいというメリットがある。主にトンネルが多い地域で見られ、アメリカやイタリア、ドイツの一部の鉄道会社で見られた。重油など液体燃料で走行する車両であれば焚き口=運転台と炭水車が距離的に離れていても問題がない。この場合運転台は電気機関車用デザインをベースにしたものが多く、中には一見すればSLに見えないような車両も作られた。イギリスでは機炭間の緩衝ばねをねじ連結器のバッファー同様に左右に幅広く取って、炭水車そのものを先台車として使い逆向きを常用した石炭焚き貨物テンダー機関車も存在する。日本にはこのような機関車の使用例はあまりない。
- 下記にもある通り国産機ではキャブの乗り心地が非常に悪いためか、機関助士になる為の教習ではガタガタ揺れるキャブ内で、石炭をスコップから溢さず火室の中へ理想的にかつ迅速に投炭できるよう機関車の火室の投炭口を模した器具と石炭を使った投炭の型稽古や練習も行われたそうだ。
- 海外では、従輪に低速時用の小型蒸気エンジンを追加した機関車も一部で用いられた。これは「ブースター」と呼ばれたが、一般的な蒸気機関車では変速機などのようにギアチェンジで高速域と低速域を切り替えるような機構がない為、起動時や低速時には実は蒸気が余る。これを利用して重量列車の牽き出し能力や低速での連続運転能力を高める目的で開発された。ただし機構が複雑になることや高速運転時はただの重しになってしまうため、使用例はあまり多くない。炭水車に装着するケースもあったが、こちらは入換用機関車での使用に限られた。
実際の技術史の詳細に関しては、Wikipediaの該当記事等を参照してもらうとして、ここではそのスタイルの確立とその後の特徴について簡潔に書く。
スタイルの確立~導入から国産化までの経緯
江戸時代末期の1853年、ロシアのエフィム・プチャーチンが来航し、蒸気で走る模型を披露したり1854年、アメリカのマシュー・ペリーが江戸幕府の役人の前で模型蒸気機関車の走行を実演した記録がある。日本の蒸気機関車史は実用鉄道そのものよりも前から、しかも模型で始まったことになる(本格的な実用鉄道敷設は1872年から)。
実用鉄道の敷設にあたってはイギリスの技術を導入したため、長く日本の(特に官営の)鉄道ではイギリス技術や製品の輸入の時代が続いた。国産機関車は19世紀末にはイギリス人技術者の指揮の下完成を試みているが、本格的に国産化が始まったのは大正時代初め頃からである。
21世紀現在でも1両が現役の8620形や貨物用の9600形の成功により、ようやく幹線用でも国産化の目途が立ち、第一次世界大戦により欧州経済が著しく疲弊したこともあって、以後は国産機関車が圧倒的主流となる。
8620形・9600形以降の国産蒸機の特徴
こうして誕生した8620形・9600形のスタイルが、日本の蒸気機関車のスタイルを確定させた。
- ほぼボイラ径そのままで、尚且つ飾り気のない煙室扉
- 基本、黒単一塗装。
- 飾りとしてナンバープレートやランボード、コネクションロッドに色を差すことがある程度。これは、アジア産の低質炭のため、排気に煤が多く、汚れが目立たないようにしたものだが、ここまで単一塗装を徹底した例は同時期には珍しく、日本形蒸機を導入したアジアの国々でも、晩年は部分的に塗装したりしている。
- ただし、特例で茶色(C5967)や緑色(C5979)、橙色(28621)(29660)などで一色に塗装された車両や前面や後面に黄色のゼブラを描いた車両、テンダーに緑十字を描いた車両も国鉄時代に存在する。
- アメリカ流儀にならった設計・運用
- 明治が終わるころのアメリカでは設計の共通化を行い、所有機種の統一による経費削減や機関車の長距離運用による効率化を行っていた。当時の日本は鉄道の国有化により旧私鉄の様々な機種を引き継いだため、運転、保守の面で不利であり、米国流の標準化は急務であり悲願であった。
- 米国は明治以降になると各鉄道ごとに独自の設計をするようになるが、米軍の機関車は標準化を推し進め、二度の大戦でアメリカのみならず各国の兵站を支え続けた。
- 当時は同一機種でも性能や癖のばらつきが大きく、運転のマニュアルは運転士個人に任されており、列車が時間通りに運転できるかは個人の技量次第であった。組織で標準マニュアルを制作すれば、正確な運転が可能になるため、設計段階で前述のバラつきを無くすようにした。
- 大正に入るとこの思想をさらに進歩させ、機関車の使用効率をより向上するため1両の機関車と乗務する人員を固定せず別個のものとして、誰がどの機関車でも運転できるようにしている。
- こうした標準化は保守整備面にも大きなプラスとなり、戦前にソビエトが行った調査では修繕日数の短いことでは世界一の折紙が付けられた。
- 戦後に国際鉄道連合(UIC)が行ったドイツ、スペイン、フランス、イギリス、イタリア、日本、アメリカ(米国のみ蒸気機関車の結果が出ずディーゼル機関車の調査内容を公表)、スイス、オランダにおける機関車の使用効率の調査では、電気機関車が勾配・曲線・停車駅の多さや狭軌の制約で5位だったのに対し、蒸気機関車は1位であった。
- 明治が終わるころのアメリカでは設計の共通化を行い、所有機種の統一による経費削減や機関車の長距離運用による効率化を行っていた。当時の日本は鉄道の国有化により旧私鉄の様々な機種を引き継いだため、運転、保守の面で不利であり、米国流の標準化は急務であり悲願であった。
- ドイツ(プロイセン)流儀にならった設計
- 当時のドイツは部品の標準化による効率化を進めており、第1次大戦の戦後賠償により先進的な技術の取得が容易であったことから、お手本とされた。
- ゆったりとした動輪間隔
- 200~150mm程度の広めの動輪間隔を採用していた(米国では76mm程度)。
- これは固定軸距が増えるためヨーイングの低減などある程度のメリットはあるのだが、国鉄機の場合、復元力の小さい先台車のためその恩恵をあまり受けられなかった。
- スモールエンジンポリシー
- 必要最小限の性能を持った、小型軽量で安価な機関車を高負荷で使う方針。
- 本国ではプロイセンで機関車設計を学んだ島安二郎が嗜好し、線路状況が貧弱な上に技術的問題から保線作業が人力という状況にマッチしていた。9600や8620はその代表である。しかしながら、蒸気機関車は高負荷をかけるとボイラの効率が低下し、石炭消費量も黒煙も増加する。このため、米国ではある程度出力に余裕を持たせた機関車を低負荷で使うラージエンジンポリシーが好まれていた。本国にこれを初めて持ち込んだのはアメリカで機関車設計を学んだ小笠原藤吉で、彼の代表作である(というか、これ以外にないのだが)D50はボイラー、火床面積ともに飛びぬけて大きく、最初こそ線路破壊や脱線を頻発させ、缶が過大などと酷評されたが、前述の9600に比べて、試験で最大16%の燃料節約を示した。これによってのちの国鉄機はいくらかラージエンジンポリシーに寄っていったものの、旅客機のほうでは長らく小型のパシフィックで満足しており、完全にはスモールエンジンポリシーから抜けだせてはいなかった。前述の通りラージエンジンポリシーで設計された機関車を運用するには、それに耐える線路や保線環境が必至で運用が限られたこと、そういった区間は優先的に電化される予定であり、無煙化された後の転用先に困らない広域運用ができる機関車が望まれていたためであった。
- 燃焼室なし
- 燃焼室とは、火室の前部を延長して火室の空間を拡張した構造のことで、複雑で製造にコストがかかるものの、重量バランスの是正、煙管の短縮、蒸発量の増加、燃焼効率の向上など、非常にメリットが大きく、アメリカではきわめて一般的に用いられていた。満鉄では昭和に入ると採用例が増え、日本本土でも着目された。が、従来の火室すら修繕に難儀している現状を業務研究資料で指摘され、C51やD50を改造した燃焼室の試験結果も思わしくなく採用は見送られた。のちに、試験でも良好な成績が出るようになったが、ドイツで燃焼室が標準化されなかったこともあって、本国ではD52に至るまで本格的に燃焼室を採用していなかった。
- 長煙管
- 低い動輪回転数
- すべての国鉄機は動輪の最大回転数を300rpmとして設計された。例えば、C51からC62までの急行旅客機に受け継がれた1750mm動輪は動輪回転数300rpmで時速約100kmを発揮するよう造られたものであり、弁装置も300rpm以下で最大効率となるショートラップ・ショートトラベルのものだった。しかし、諸外国では営業運転で最大回転数400rpmを超える運転は普通に行われており、300rpmという値はかなり小さいものだった。速度を上げないにしても、最大回転数が高ければ動輪径は小さくても良く、その分の材料節約や重量軽減、低速時の性能向上(動輪とともにシリンダを小さくすることでトルク変動が小さくなり空転しにくくなる)などを見込める。そのためにはロングラップ・ロングトラベルの弁装置が必要になるが、この程度は技術的にも全く困難でないはずである。他方、回転数を上げると走行機器の摩耗が速くなる、軸焼けなど物理的な問題が発生するため、動輪回転数はこうした欠点と前述の利点とのトレードオフの関係である。
- 山国ならではの特長
- 勾配や曲線が多く、さらにトンネルの数も多いため、諸外国のセオリー通りでは問題が生じることや、特異な環境故のユニークな装備があげられる。
- 空転しやすい
- 許容軸重が小さく(最大18t)、そのわりに鉄道輸送量が多いという本土の特徴から、粘着重量の小ささに比べて牽引力が大きく設計されたため。
- また、勾配では粘着重量が大きくとも、シリンダ力が足りないと登り切れず止まってしまう(例:8620形は国鉄機としては高い粘着率を有したものの、非力さから峠では停止してしまうことがあった)ため、海外基準から見ればアンバランスになるものの、砂まきで補える空転を許容して勾配で止まらずに進む設計になっている。
- 特有の構造
- あまり知られていないが、国産蒸機の多くには「排気膨張室」なる謎の箱が煙室内に組み込まれていた。これは諸外国の機関車には見られぬ特有のもので、使用した蒸気を一時的に膨張させる空間を作ることでブラストノズル(使用した蒸気を噴き出すことで煙室内を真空に近い状態にし、強制的にボイラー内の空気の流れを作る装置)の勢いを弱め、燃焼を穏やかにする狙いがあった。果たしてこの目論見通りの働きをしたのかは不明だが、英国のOswald Stevens Nock氏(信号技師とブレーキ技師を経験した叩き上げで鉄道の性能や技術に関する論文を発表している)の著書では効果を疑うような記述は見られない。また排気膨張室を持つD51はD50よりも焚きやすくなったと乗員から評された。しかし、このような装置を設けてしまえば当然蒸気の流れは阻害され、その結果シリンダの背圧が上がりシリンダ有効圧力が低下してしまう。排気を穏やかにする目論見なら、同時期に既に存在したキルシャップ・エキゾーストや、試験的にではあったがC51で採用した二本煙突などを用いるのがよほど正道であったと思われる。こちらはこちらで、一定の速度以上でなければ効果が表れない、キルシャップ・エキゾーストで効果が出始めるのは30km/hからであるが誤差の程度、50km/hあたりから効果を発揮するようになる欠点が存在するほか、なぜか性能低下を引き起こした機関車もあるなどの制約が発生する。
- 配管丸出し上等。美観? なにそれ美味しいの?
- キャブ(運転台)の乗り心地が悪い
- これはシリンダーに2気筒のシリンダーを採用し続けたことが要因である。元々、この方式は1ストロークあたりのトルクが大きく引き出し性能が優秀なことから多気筒(3気筒・4気筒)に比べ、格段に運転がしやすく構造が簡単で整備がしやすい反面、トルク変動・レシプロバランスが悪く(2シリンダー式では内燃機関でよく採用され最もバランスの良い180°クランクではなく2つのシリンダが同時に死点位置となるのを避けるため90°クランクを採用することで回転分&往復分でアンバランスを生じることから) 非常に振動が大きかった。
- もちろん十分なバランスウエイトを積むことで回転分&往復分どちらの振動も軽減することはできるがこの際往復部分を釣り合わせのためのウエイトがハンマーブロー(カウンターウエイトが動輪の回転に伴って上下に移動することによりレールへの荷重が周期的に増す現象)という困った問題を引き起こす。往復成分のアンバランスによる前後振動を抑えようとしてバランスウエイトを増やすと線路を痛めるハンマーブローがどうしても増えてしまう。カウンターウエイトを減らすとハンマーブローをある程度抑えることが出来るが、今度は乗り心地が悪くなる前後振動の原因となってしまうのである。英米では往復質量の1/3以上、平均して35~50%を釣り合わせて高速回転の前後動を抑制したが、ドイツ流儀(往復質量の25%以下)を採った日本の場合は、ハンマーブローを抑える設計をしたために、前後振動を諦めて乗り心地が悪くなったのである。また日本の場合 英米と比較して軌道の強度が低く 保線方が整備の頻度が増すことを嫌ったため軌道への負担が大きくなるハンマーブローが増すウエイト設定が取れなかったという事情もあった。
- 独特の低い音色の汽笛(「フォォ……」と表現される)。
- 欧州及び日本でも大正期までの蒸気機関車では、日本では電気機関車やディーゼル機関車、特急型電車に搭載されたAW2警笛のような高い音(「ピィィーッ」・蒸気機関車用は3階音)が一般的。3シリンダ機のサンプルとして輸入したC52に5階音の汽笛が付いており、音量が大きかったことから以降定着した結果である。アメリカでは1920年代以降のものであれば5階音も普通。
これらの特徴は『銀河鉄道999』といった創作物や、現在も各地で行われている動態保存機の運転などで、(日本の法制度上動態保存のための特別なルールはなく、各地の動態保存機は紛れもない営業用なのだが)厳密な営業用から退いた後の世代にもデファクトスタンダードとして刷り込まれてしまった。
技術的には、もとより日本の工業技術力が低い時期に国産蒸機に対して試行錯誤しているうちに蒸気機関車から電気動力車にシフトする時期が来てしまった。
- 特に明治37年、すでに甲武鉄道(現在の中央本線東部の全身)によって郊外電車が運転され成功を収めており、過密の日本国内では電気動力車が主流になるのは必然だった。また電気動力車は先進国の欧米列強でもまだ試行錯誤中であり、日本に後発の不利が少なかった。昭和4年には南海電9系や阪和電気鉄道モタ300形のような世界的にも一流性能に迫る電車が国産で登場している。
実に日本初の鉄道開業(1872年)からわずか32年後には郊外路線の電化が開始されているのである。このこともあり、蒸気機関車についての技術水準は1,067mm狭軌であることを考えても、欧米列強のそれから見ればカタログスペック面で稚拙に終わった。国鉄の試行錯誤は確かに技術的偏執や基礎理論を理解していない部分もあったものの、それらがなく国内の蒸気機関車より洗練されていたと言われる南満州鉄道の蒸気機関車群にあってもイギリスやアメリカといった先進国の水準に達しているというわけではない。
もっとも、欧州などと異なり蒸気機関車単体の性能向上よりも保守修繕や運用効率による全体の底上げを重視しておりこちらは、先進国を凌ぐ水準に達している。
例えば、イギリスやフランスでは選び抜かれた機関士チームを1台の機関車に専属させることで、実用面で劣る3シリンダーや運転することが難しい複式機関車の性能を引き出していた。乗機への愛着や忠誠心と誇りにより運用が成り立っていたのだ。
日本も当初は同様の手法であったが、機関車の大型化や走行距離の増大で機関車と乗務員の行程を常に一致することが難しくなり、使用効率の悪さが目立つようになった。そのため、昭和の初頃より大部分の主要線区から機関車と乗務員を固定せず運転するようになり、昭和14年から全面的に切り替えが完了している。今では当たり前のことであるが、当時としては先進的な組織づくりの一環である。
現代でも行われている予防修理も20世紀序盤から導入が始まっており、整備を受ける機関車が工場に入場する前に交換部品を用意しておく、運用記録をきちんと取って車両の状態を厳密に管理する、一定の交換機準に達した部品は壊れていなくても交換するなどした結果、日露戦争ごろには修理に3か月かかっていたようなケースでも、昭和初期には5日で完了するようになっていた。実はこれらは、(当時の日本の工業力の一番良い部分を優先使用できた)陸海軍の航空機の整備よりも進んだシステムだったとか。
イギリスでは国鉄標準蒸気機関車の設計により運転環境の変化に対応しようとしたが、一部形式の設計ミスや強引に無煙化が進められたことにより順応できたとは言い難い。第1陣として設計された7形蒸気機関車は部品の損傷や落下に加え、発進時に金縛りで動けなくなる問題を抱えていた。設計ミスと言われているが、前身私鉄では乗員の技量に依存していた運用のおかげで、設計の欠陥が露呈していなかっただけと言う指摘も存在する。
フランスは第2次大戦前から運用の改革をするべく実験はしていたものの、扱いが困難な複式機関車では上手くいかず、1台の機関車を交代で運用することすらままならなかった。このため走行する距離は一日80kmにも満たず、日本が明治時代の後半に100㎞を超えていたことと比較すると、蒸気機関車の設計思想や組織作りなどにおいて甚だしく遅れていた。結局、自国のやり方を捨てて第2次大戦後にアメリカ陸軍の第1次大戦標準型をモデルにした輸入機の登場でようやく改革を成し遂げている。
C62(C62 17)の高速記録(129km/h)は偶々特製の記録機付き速度計を付けて正確に測ったため、1,067(1,065)mm軌間の世界記録に出来たものである。実際には日本国鉄でも機関士によっては直線区間に限りそれ以上の速度(140~145km/h)を出していた(今と異なり保安装置の速度照査のない時代であるため出来たことである)。速度計は振り切っていたり、時代によっては整備が追いつかず撤去していたため距離標やジョイント音と時計の対比で割り出していた(南アフリカの蒸気機関車も距離標と運転時間から逆算すると平均して110~120km/hを常用している)。
余談だが、新京阪鉄道(現・阪急京都線)のP-6(先述のモタ300形と同等性能)が超特急「燕」を追い抜いたという伝説もある。新京阪のダイヤは「燕と並走できる時間帯にぶつけあわせ、追い抜く」ように組まれてはいなかったが、車両性能的には十分可能で、これも保安装置の測度照査が無いことを利用して、運転士が乗客向けに即興のサービスとして行ったものらしい。
日本の技術による蒸気機関車
日本の蒸気機関車技術は、日本国鉄線上より、むしろその外で花開き、日本国鉄同様のデザインの機関車も一定数製作された。
戦前の旧植民地、それも私鉄である朝鮮鉄道(名前が紛らわしいが公営路線である朝鮮総督府鉄道とは別物)の軽便鉄道線「黄海線」の急行機関車である。
外観は762mm(2’6”)軌間に小型化した(ほぼC55と同世代のため、スポーク動輪である)日本国鉄の機関車である。この幅の狭い線路で70km/hの俊足を誇った。
この機関車は、昭和初期に資源開発のため当路線の輸送が急増したが、短期間での標準軌改築(周囲の幹線・亜幹線が全て標準軌で建築限界等が全く異なる)が不可能なため、とりあえず762mm軌間のままでの可能な限りの高速化・大単位化が進められた結果登場したものである。
動輪径の大型化すら1,067mm軌間の様な訳に行かず、英語圏の標準軌間高速機と同様に動輪回転数を340~400rpmに引き上げた(つまり日本にもそれだけの技術の蓄積はあったのである)。当然だが、回転数を上げれば摩耗も速くなるためコストや牽引定数との兼ね合いも起きる。このため、英国では回転数をいたずらに上げたことで現場に負担をかけたと批判する声も出ている。ただでさえ運転や整備がやりにくい英国機の問題をさらに悪化させたことは間違いないと言える。
ポーランドやチェコなどは標準軌ながら1750mm動輪で100km/hと鉄道省/国鉄と同等の数値を採用している。
設計・汽車製造、製造は同社及び日本車輌製造によってなされた。
同様にD51を現地の仕様(1m軌間)に合わせ小型化したような機関車がタイ向けで輸出されている。
前述した通り、日本では現役引退後も各地で動態保存がおこなわれているわけだが、その多くはタンク機関車である。これは、タンク機関車のほうが小型で汎用性が高く、維持・管理にコストや手間がかからないからである。又 大型機においてはD51やその派生機のC61の動態機が多いがこれは共通部品の剥取りが容易な静態保存機が多数現存しているためである。
また、ウエスタンリバー鉄道などの新造蒸機を除く、現在動態保存中の蒸気機関車は製造から70年以上経過しているものがほとんどであり、老朽化に加えて部品調達が困難になっている。これに関しては、わざわざ部品を新造するなどして対処している事業者もあるが、なかには事業者の経営状況の悪化によってこのような対処ができず、やむをえず蒸気機関車そのものの動態保存を終了した事業者、2両所有していたが、片方の1両を手放した事業者も存在する。また、多数の静態保存機関車を保有、もしくは所有権を有する一部のJRでは 動輪や真空ポンプなどの修理が困難かつ高額な大物部品を中心にコストカットのため部品新造をする代わりに静態保存機から比較的状態の良いものを(名目上は老朽化のためと発表して)急遽解体して部品化すると言うように動態機が静態保存機を食い潰す「共喰い」とも呼べる事案も出てきている。
さらに、運転に必要な整備士・乗務員 修理の専門技術を有する業者に関しても高齢化による引退や廃業が進んでいるのも事実であり、これらの要因から日本では近い将来、蒸気機関車が完全に姿を消してしまうことが危惧されている。
そもそも日本は蒸気機関車に限らず、産業遺産そのものに対する理解が先進国の中では異常なほど低い。例えばヨーロッパの多くの国では、蒸気機関車などの車両を含む鉄道産業遺産が文化財として国や地方自治体が管理する博物館を中心に保存され、民間団体が廃車となった車両を買い取り、独自で動態保存している例も多い。それらの列車の乗客も、高額な寄付金を払ってでも乗車することが珍しくない。
それに対し日本では、動態保存の蒸気機関車を使った列車の切符の販売は良好なものの。鉄道ファンは動態保存の要求をしておきながら、維持及び管理や支出といった活動については消極的で、それどころか少しの値上げでも文句を言う『口は出しても金は出さない』姿勢がみられ、その最たるものとして「狭軌最大にして最速」の異名を持つC62の中で唯一、本線走行可能だった3号機が所有していた北海道鉄道文化協議会の相次ぐスポンサーの撤退で運行資金を確保できなくなり、最後は検査費用すら用意できず運行終了に追い込まれてしまった例が挙げられる。
先ほどの静態保存機においても、部品化による共喰いだけでなく静態保存を謳いながら実質雨ざらしで放置され続けた挙句に色あせてサビだらけになったり、部品の盗難にあったりして解体の憂き目にあったものも少なくない。乾燥した気候の米国では屋外に放置しておいてもさほど問題にならないが(米空軍のデイビス・モンサン基地あたりを想像してしていただければいい)高温多湿の日本では火が入らず乾かないためこともあってサビとの闘いとなっているのが実情で屋根をかけておいてさえ、鋼製構造の劣化は無視できないレベルで進むもので、見た目の重厚さに惑わされやすいが 蒸気機関車は脆くて繊細なものなのである。
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