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1. 国鉄が設計・新製(名義上は改造)した蒸気機関車。本項目で説明。

2. コミックマーケット61の略。2001年12月29日30日に開催。


国鉄C61形蒸気機関車編集

概要編集

C61形蒸気機関車(しーろくじゅういちがたじょうききかんしゃ)は、日本国有鉄道国鉄)が所有・運用していた旅客用テンダー式大型蒸気機関車である。戦後、具体的には1947年からD51形蒸気機関車の改造名義で全33両が製造された。


誕生までの経緯編集

終戦当時、国鉄(当時は運輸省)には貨物用機関車が大量に在籍していたが、これらは第二次世界大戦の軍事輸送のために国策として製造されたものであり、終戦と共に大半が余剰となった。


しかし、そのあおりを受けて戦時中は製造が中止されていた旅客用機関車はかなり不足しており、また戦争終了による経済活動の変化(買い出し輸送等)により旅客輸送需要が激増したことで、旅客用機関車はさらに不足するようになった。しかし占領軍の方針により機関車の新製が認められることは困難な状況であった。


そのため、占領軍(GHQ)側担当将校デ・グロートの助言に従い、余剰となっていた貨物用機関車のうち一部の車両のボイラーを旅客用機関車に転用することとし、ボイラー以外の部分は既存の旅客用蒸気機関車の設計を流用して組み合わせた機関車を『改造』名義で製造することになった。


この「部品流用扱いにすることで実質新車を完成させる」という手法は、戦前より法の抜け目として設計認可を得やすくするための日本国内の鉄道事業者にくまねく知られた手法であり、助言を口実に実質新造機を多数建造する機会を得られたことになる。こののちも木造車鋼体化扱いの60系客車や、10系客車の食堂車・寝台車を多数車籍を引き継いだ改造扱いで製造することとなる。


これにより『改造』されたのが、D51ボイラー他主要機器の一部を流用してC57ベースの足回りの部品(ただし軸配置を変更したもの)を新製して組み合わせたC61形と、D52のボイラーにC59の部品を組み合わせたC62である。C62がC59に代わる特別甲線での特急列車急行列車などの優等列車の牽引を目的としていた機関車であるのに対して、C61はC57相当の乙線規格の機関車である。ただし、D51の改造名義とはいっても、戦時中に竣工したため状態が悪い車両を重点的に種車にしたこともあり、後に1950年代に入った頃には、ほぼ全てがボイラーを造り直している。


三菱重工業日本車輌製造によって、全33両が製造された。当初は汽車製造大阪製作所も製造を担当するはずだったが需要の関係で発注がキャンセルされており、それに対する救済措置という形で汽車製造はC62の一部を製造することになった。

また、D51は旅客列車の牽引に使われることも多く、特に通勤や買い出しといった需要が激増した重量級の列車は速度が出せないこともあり、意外にも適した用途であった。さらに入線可能な区間も多いため、どこもD51を手放したがらず、捻出が難しかったことも影響していた。


運用編集

東北本線奥羽本線常磐線鹿児島本線などの亜幹線で主に運用され、高出力を活かして優等列車の牽引も多く務め「はつかり」「はやぶさ」「はくつる」といった客車特急を牽引した。一般営業運転は1974年日豊本線を最後に引退。

缶圧はC59・60(16kgf/c㎡≒1.57MPa)より低い15kgf/c㎡(≒1.47MPa)であるが、現役時給炭機を装備していた関係で、算定上の出力はC59より100馬力高い。火床面積から見れば日本人の平均体力に対しD51・C59・C60とも給炭機無しで済むサイズであるが、終戦直後の栄養条件の悪さもありC61は全機装備していた。


保存機編集

現在4両が保存されており(1両は部分保存)、うち2両は動態保存機である。


2号機は京都鉄道博物館(旧・梅小路蒸気機関車館、京都府京都市)で動態保存されている。JR西日本に車籍を置いているが本線運転に必要な検査を受けていないことから同館構内での運転のみ可能。


20号機は引退後群馬県伊勢崎市の公園で静態保存されていたが、JR東日本により整備され同社のD51 498号機、C57 180号機に続く12年ぶり3番目の復活蒸機として現役復帰。2011年6月4日より同社線内におけるイベント列車牽引に運用開始した。


この際、オリジナルの給炭機部品が激しく腐食しており再生が困難であること、現在の乗務員の体格(体力)と重油併燃という条件では必ずしも給炭機は必要でないことから、復活した20号機からは自動給炭機一式が撤去された。ただし、撤去分の重量は補充されなかったため、C57に比べると粘着係数が低下し空転しやすくなり、勾配区間ではカタログスペックの馬力が上回るにもかかわらず牽引能力はC57に劣るものとなってしまった(呉線時代末期のC59に対するC62の軽軸重形や、ED78に対するモーター制御が簡易な構成で済ませられたEF71も似たことを起こしている)。


往時よりブレーキに対する考え方が厳しくなり、積車ブレーキ率が省令の50/100を満たさないとして(43/100;おそらくは炭水車抜きで満たすことを要求されている)最高速度は75km/hに制限され実質C56とさほど変わらなくなってしまった。ちなみにC57はこれを満たすため100km/hのままである。


関連タグ編集

蒸気機関車 SL

C62:同時期にほぼ同じ経過で登場したD52改造の旅客用蒸気機関車。

はつかりはくつるはやぶさ:牽引を担当した特急列車。

北斗:同僚の「北上」などと共に急行時代に世話になった。

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