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主に国鉄C57形蒸気機関車の事を指す略称。本項でもそれについて記述する。

概要

C57形蒸気機関車(C57がたじょうききかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)の旅客用テンダー式蒸気機関車である。

マスコミや一般人などでは綺麗に整ったスタイルなどから「貴婦人(きふじん)」の愛称で紹介されることが多いが、機関士や鉄道ファンからはほとんど使用されることはなく「シゴナナ」の愛称で親しまれている。

また当機関車の135号機は1975年(昭和50年)12月14日室蘭本線室蘭駅 - 岩見沢駅間で国鉄最後の蒸機牽引旅客列車となる225列車を牽引し、国鉄蒸気機関車史(保存運転を除く)の最後を締めくくった。

※しかし、これは蒸気機関車牽引の旅客列車の最後を締めくくったという意味であり、本当に最後を締めくくった蒸気機関車は翌1976年(昭和51年)3月まで北海道の追分機関区で入換に使用されていた9600形蒸気機関車である。

誕生の経緯

1937年(昭和12年)、C55形の63号機として製造が始められた機関車であるが、改良箇所が多岐に及んだため、検討の末に新形式とすることが決定され、C57形蒸気機関車として誕生をしている。

1947年(昭和22年)までの間に201両が量産された。

本形式への信頼も高く、C51形に始まるライトパシフィック機の決定版となった。

構造

C55形との主な相違点はボイラー使用圧力の上昇(14kg/cm²→16kg/cm²)、それにともなうシリンダ直径の縮小(510mm→500mm)、スポーク動輪からボックス動輪への変更などである。

ボイラー使用圧力が上昇したことにより、C55形よりも石炭消費量の減少や出力上昇など性能が向上し、これが新形式を与える決め手になったとも言われる。ただし公称の動輪周出力は同じ1,040馬力で査定されている(これはC515455も同じ)。

C55形とC57形は共通運用となる場合も多かったが、線形や列車条件によっては混運用ができない場合もあった。

動輪の以外での形態的な変化は、煙室前端部の曲面化、蒸気ドーム キセ後端部の傾斜化、エプロンの傾斜角変更が目立つところである。

なお、C57形でもC57 110のように事故や腐食などの修繕や更新で、煙室前端部がC55形のように平面化されたものが数両存在する。

製造時期により、形態が若干異なっている(詳細後述)。

戦後に製造されたもののうち、第4次形と呼ばれるタイプは運転室が密閉型となるなど、C59形に準ずるスタイルになっており、戦前から戦中に製造されたものとは、寸法や重量が若干異なる。

日本独自の仕様である「排気膨張室」は4次型では2段式となった。通風をならす一方出力は犠牲となるほか、酷寒地かつ勾配の激しい地理条件だと蒸気圧自体上がらなくなるため、狩勝峠越えが担当区間に入っている小樽築港機関区所属機では膨張室を1段に減らす改造を独自に行なっている。

4次形はその両数の少なさからほとんどが北海道と九州に5両ずつ集中配置され、本州には2両配置されたのみであった(新製配置時に東北で数両活躍したことがあったが短期間で北海道に転属した)。特に九州の方は唯一の門鉄デフ装備機(196号機)や、1973年秋から1974年春の日豊本線南宮崎電化直前まで急行「日南3号(京都〜都城)」下り列車の宮崎から都城までの片道を牽引した事もあった。DF50の機材繰りの都合とはいえ、図らずも国鉄最後の蒸機牽引急行となった。結局、4次形は北海道では上記の排気膨張室の問題と函館本線の電化で早々に引退し、最後まで残ったのは九州配属機で、「日南3号」の牽引終了と同時の引退であった。

戦後に製造された3次形と4次形の中には、技術力、品質管理能力の低下により、ボイラーの性能が悪いものがあり、該当車両は一時期使用圧力を下げて運用されるなどの不便を招いていたため、1957年(昭和32年)から1959年(昭和34年)にかけて、本形式のうち、57両のボイラーが新造品に載せかえられている。

なお、ボイラー取り替え対象車両の中には、上記以外に、X線検査の結果、不備が見つかった戦前製のものも含まれている。

現在動態保存中のC57 1も1958年(昭和33年)にボイラーの載せ替えが実施されている。これは戦時中空襲で受けた損傷が原因であったといわれている。

台湾向けC57

台湾総督府鉄道向けに6両(2次形に相当)、戦後に台湾鉄路管理局向けに8両、合計14両製造された。戦後に製造されたグループは国鉄向けの製造が終わった後の1953年に製造されたが、戦前に製造されたグループと性能を合わせるため国鉄のような4次形ではなく2次形相当になっているものの、テンダーの石炭および水容量を増やす設計変更が行われてテンダーが大型化されている。

台湾鉄路管理局での形式名はCT270形である。台湾でも外見が美しいと評され「貴婦人」や「女王」と呼ばれることがある。

保存機

動態保存機はJR西日本所属の1号機とJR東日本所属の180号機の2両である。

1号機は山口線にてSLやまぐち号の牽引機として活躍している。なお、一度も廃車されていないJR(旧国鉄)の現役車両としては最古にあたる(JR九州の8620形58654号機の方が1922年製造でC57より古いが、1975年に一度廃車になっている)。当機は戦後に戦災で機銃掃射を受けたボイラーを新罐と交換したうえ、羽越本線時代に急行「日本海」牽引時に事故で大破した際、2号機の部材を大幅に流用して復旧しており、その後も阪神淡路大震災では全般検査時に被災し台枠を一部新造するなどしており、近年ではテンダーを新造のものに交換するなど、新造時の部材の残存率はもはや58654号機とどっこいどっこいである→テセウスの船

一方180号機は信越本線磐越西線でのSLばんえつ物語の牽引機として活躍している他、JR東日本新潟支社管内にて様々な臨時列車の牽引機として運行されている。

この2両の特徴はSLやまぐち号&SLばんえつ物語の記事参照。

台湾の彰化扇形庫に静態保存されていたCT273号機(旧台湾総督府鉄道C57 3)も動態保存に向けて修復がされて、2014年6月4日にに試運転が行われ、6月9日より営業運転が行われる。外観は同じ旧日本鉄道省型蒸機でもやや独自色の強かったDT668、CK124に比べると、各部の白線・金線が大幅に省略された(黄色系を排除し日本国内の動態蒸機並みに抑えらえている)塗装とされ、カウキャッチャーとナンバープレート(台湾形式および赤地塗装)・ヘッドライト(独自のシールドビームタイプ)を除けば、かなり日本時代の原型に近い容姿として出場し活躍している。

また日本各地に静態保存として保存機が存在している。少数派だった4次形はかつては2両保存されていたが、千葉県君津市に保存されていた198号機は荒廃した上に、上記の180号機への部品供給(製造時期が近いため互換性があった模様)のため解体された。2024年現在では北海道旭川市にある旧神居古潭駅跡に保存されている201号機(本形式ラストナンバー)が4次形唯一の保存機となってしまった。

なお、台湾にも3両静態保存機がいる。

中でも国鉄最後の蒸機牽引旅客列車を牽引した135号機は埼玉県さいたま市大宮区の鉄道博物館に保存されている。状態は良く、自走こそ出来ないが、鉄道博物館入りする際は線路上を他機関車の牽引で走行している。

実際オリエント急行が来日した際に復活の声があったが、この時実際に復活したのはD51 498号機である。

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