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SLやまぐち号とは、JR西日本が運行している、蒸気機関車(SL)牽引による臨時快速列車である。


1975年12月14日に、国鉄でのSL牽引による定期旅客列車の運行が終了して3年8か月後の1979年8月1日に、山口線小郡駅(現・新山口駅)~津和野駅間で運行を開始した。


通常3月から11月(年によっては12月中旬ごろ)にかけての週末を中心に1日1往復運行される。年末年始などに臨時列車で運行されることもある(検査等で運行されない年もある)。


現在の使用車両編集

蒸気機関車編集

C57 1編集

C57形蒸気機関車のトップナンバー機で1937年3月22日に川崎車輛(兵庫県神戸市)で落成した。途中、


  • 戦争による空襲でボイラー周辺に機銃掃射を受ける
  • 急行日本海を牽引中に脱線転覆して大破するが五ヶ月かけて修理される
  • C57 1が牽引するイベント列車が人身事故を起こし、SLの動態保存列車が窮地に立たされる。
  • 1995年に起きた阪神・淡路大震災で当時鷹取工場に入場中だった当機が作業台から転落して台枠等が損傷、その後約半年かけて修理された。

・・・と数々の試練を不死鳥の如く潜り抜けている。

ちなみに日本海脱線事故で大破した当機は修理された際に、この時C59形蒸気機関車の先輪と先台車を数年間履いていたことがある。


1972年には羽越本線の新津駅~村上駅間でお召し列車を牽引しており、この時に施工されたお召し装備品が、今でも多くが残されている。なお、新津時代には当機と、後にJR東日本によって復元されたC57 180とD51 498がともに在籍していたこともある。


当機は継続的なSL運転のために度重なる修繕工事を実施している。時に2005年はこの年に発生した重大不具合を解消するために、寿命を今後25年にまで延ばす工事を行い、2009年には炭水車の車体、2013年には台枠の一部が新規部品に交換されている。


運行開始当初、当機には長野工場で設計されたD51用集煙装置を元に鷹取工場で改造した集煙装置が取り付けられていたが、2011年を最後に取り外されており、切り詰められた煙突長を補うためにスペーサーを介して回転式火の粉止めが装備されている。余談だがかつて山口線を走行していたD51には、長野工場式の集煙装置が装着されていた。

なお、鷹取工場閉鎖後は、京都鉄道博物館に隣接する梅小路運転区にて整備が執り行われている。また、使われなくなった集煙装置は現在、京都鉄道博物館のどこかに放置ないしは保管されているそうである。


2020年10月10日、上り新山口行きやまぐち号牽引中に故障が発生し、その後梅小路運転区に入区、2021年末現在も同区に留置されている。


D51 200編集

D51型蒸気機関車

(遠景として描かれているのは実際に山口線を走っていたD51 194)

1938年9月30日に、鉄道省浜松工場(現在はJR東海新幹線メンテナンスセンター)で完成。


梅小路蒸気機関車館(現・京都鉄道博物館)で「SLスチーム号」牽引や新人SL運転士の教習訓練車として使われていたものを、本線走行を可能にするために整備し、2017年に本線運転復活。同年11月25日に本列車の牽引を開始した。これにより、C56 160を置き換えるとしている。

ただし2017年11月25日と翌26日の運行に関しては、2018年3月以降のテストパターン(実際にお客様を乗せての「最終試運転」)の色合いの強いものであったが。


ちなみに同機はJR東日本のD51 498とは、


  • デフレクターに整備用の点検口がある。
  • ランボードやテンダー上部には白帯が入っている。
  • スノープロウも装備されていないテンダーの後部ライトがD51 498より下に付いている。

以下の点で相違点があり、準鉄道記念物に指定されている。なお、前述の通りC57 1号機が2020年10月の故障後は本機と後述のDD51とでやまぐち号の運行を担っている。


ディーゼル機関車編集

DD51編集

SLの検査、修繕の時期によって、SLによる牽引ができない場合は、下関総合車両所運用検修センターのDD51 1043が牽引を担当する場合がある。その場合は「DLやまぐち号」として運行される。

DD51形自体も数を減らしている中、客車を牽引する姿はSLと同等の希少な列車といえる。


客車編集

35系編集

やまぐち号用新型客車っぽいもの

※画像は公式イメージ図からのディテール想像図

JR西日本から発表された本列車用新型客車で、2017年9月2日に運用開始。「最新技術で快適な旧型車両を再現」をコンセプトとし、外見デザインはオハ31・オハ35・マイテ49といった旧型客車をモデルにしている。鋼体は腐食防止をはかったものであり、内装は不燃化木材を多用したものとなっている。くわしい概要については「35系」の記事を参照。


なお、JR西日本が客車を1から製造するのは、民営化後初めてである。また、JRグループではJR東日本夢空間E26系JR九州77系に次いで4例目である。

ところで、この新型車両が登場したことで、老朽化がそろそろ目立ち始めてきた12系や14系の使用を継続するよりも、動態保存蒸気機関車牽引用の新型客車を思い切って製造し、それで置き換えたほうがイメージ・接客的にも良いのではないか、という意見も出ている模様。


以前の使用車両編集

蒸気機関車編集

C58 1編集

1938年8月4日、大阪・汽車会社(1972年に経営破綻)にて完成。

横浜線の貨物列車牽引→千葉県を経て北海道に移動、石北本線末端区間で活躍した。件の区間ではいわゆる大雪くずれと呼ばれる寝台車連結鈍行列車の牽引にも当たっている。

なお、北海道に渡ったのはC57に追われる格好であったが、そのC57の中に1号機がいたのだから何とも皮肉である。


梅小路蒸気機関車館での展示を経て、C57 1の予備機として本列車を牽引していたが、ボイラーを傷めたため1984年1月3日の初詣列車牽引をもって運用を終了。現在は京都鉄道博物館にて、お召し装備を装着した状態で静態保存されている。


C56 160編集

1939年4月20日に落成。実はC57 1と作られた工場が同じだったりする。


本機は(本来、)「SL北びわこ号」の牽引機ではあったが、夏期やイベントにおけるC57 1との重連運転やプッシュプル運転のほか、C57 1の検査や故障時の予備機として活躍していた。ただし、本列車の予備機として運用する場合、C56 160単機では勾配の多い山口線での牽引は客車2両が限界であるため、

短時間挑戦 1947

この様な形でDD51形ディーゼル機関車を補助機関車に従えた重連により運行動された。

2018年5月5日に行われたD51 200との重連運転をもって、本列車の牽引を終了。翌6日に上り列車限定で運行された「ありがとうC56号」をもって、山口線での運用を終了した。さらに同月27日の「SL北びわこ号」牽引をもって本線運転を終了し、同年8月には、京都鉄道博物館展示走行用車両に切り替わった。なお、本線運転を終了した理由は、最新型の自動列車停止装置(ATS)を取り付けることが事実上できないためであり、むしろ機関車の調子はすこぶる良好であったとのこと。


客車編集

サロンカーなにわ編集

2008年8月に運行された「SLやまぐちDX号」、2010年10月に運行された「SLやまぐち なにわ号」で使用され、C57 1とC56 160の重連(上り列車プッシュプル)がなにわ6両を牽引した。


あすか編集

2010年10月に運行された「SLやまぐち あすか号」で使用され、こちらも「SLやまぐちDX号」「SLやまぐち なにわ号」と同様に、C57 1とC56 160の重連(上り列車プッシュプル)で客車6両を牽引した。2016年より廃車。


ゆうゆうサロン岡山編集

2009年9月に運行された「SLやまぐちゆうゆう号」で使用され、こちらもC57 1とC56 160の重連で運行した。なおゆうゆうサロン岡山使用の多客臨はこの列車が最後となり、2011年に引退。


レトロ客車(12系700番台)編集

本列車の客車には当初12系客車が使用され、運行開始当初は原色の青20号の地に白帯の塗装だったが、1987年にはぶどう色2号の地に白帯の塗装に変更された。なお、1号車はスハフ12 18・68の2両のうちいずれか、2〜4号車はオハ12 227・229・230・247の4両のうちいずれか3両、5号車はオハフ13 59であった。翌1988年には、スハフ12 18とオハ12 247を除く5両の内外装をレトロ調に大改装の上、形式を12系700番台に改番し、同年7月24日に運用を開始。さらに2005年の全般検査時にはリニューアル工事も行われ、車両ごとに違っていた塗装がぶどう色2号に白帯に統一された。また、昭和風客車以外の4両の屋根にあったカバーも、この工事の際に取り外した。


明治風客車のディーゼル発電機故障時および不調時に備えて、予備電源車も存在した。当初はスハフ12 18(1995年1月31日廃車)が使用されていたが、のちにはスハフ12 36(2017年10月27日廃車)が使用されるようになった。このほか、改造されなかったオハ12 247(1997年3月31日廃車)も残存していた。なお、この3両は廃車後に解体され、現存していない。


運用開始当初から2002年までは、原則的に上下列車の両方で展望車風客車を最後尾に連結するため、津和野駅構内の転車台でSLとともに方向転換が行われ、当時5号車であった明治風客車の津和野方(乗務員室のある側)に連結された。この作業を省略するため、2003年には前年まで4号車であった大正風客車の車内販売(車販)コーナーを、密閉式展望デッキ(展望室)に改造の上、5号車に変更。これにより、明治風客車との連結順序が入れ替わった。外装・内装の水準は設定のせいか揃っていない。また、1980年代後半のバブル期の遺物といった意見もあった。


本列車としては、2017年8月27日の1往復の運行ををもって運用を終了する予定であったが、運行当日の津和野駅到着後に、明治風客車のディーゼル発電機が故障し、修理の目処が立たず、上り列車は回送列車となった。そのため、下り列車のみの運行で、本列車としての運用を終了した。その後、短期間のうちにスハフ12 36のディーゼル発電機を転用させ、同年9月2日に上り列車限定で運行された「SLありがとうレトロ客車号」をもって運用を終了した。2017年10月27日付で廃車となった後、2018年2月に大井川鐵道へ譲渡された。


  • 1号車:オハフ13 701「展望車風客車」

1923年製のオイテ27000形を参考とした客車で、オハフ13 59から改造された。

小郡方の便洗面所および側扉を撤去の上、開放式の展望デッキおよび展望室を設置し、5号車から1号車に変更。床はカーペット敷きとし、窓には横引きカーテンを取り付け、天井は明かり取り窓のついた二段天井とし、明かり取り窓の内部に照明装置を入れている(他の二段天井車両も同じ)。

改造当初は赤茶色の塗装で、屋根上の冷房装置を一体型のカバーで覆い、明治時代から昭和初期の客車の二重屋根に似せた外観としていた。リニューアルにより、展望デッキの屋根の下の装飾が撤去された。定員は56名、展望室は定員8名。


  • 2号車:オハ12 701「欧風客車」

1880年代のオリエント急行を参考とした客車で、オハ12 227から改造された。

床には幾何学模様のカーペットを敷き、展望車風客車と同様、窓には横引きカーテンを取り付けて天井は明かり取り窓のついた二段天井としている。座席上部にはステンドグラス風の仕切を取り付けている。このほか、津和野方は出入り口を閉塞の上、自動販売機(後には車販用ワゴン置き場と商品置き場)が設置された。

改造当初は緑の塗装で、屋根上には白色のカバーを取り付け、ヨーロッパの客車の深い丸屋根に似せた外観としていた。腰板部分には、紋章のような装飾が取り付けられた。リニューアルにより、屋根上のカバーと腰板部分の装飾が撤去された。定員は80名。


  • 3号車:オハ12 702「昭和風客車」

昭和初期の鋼製客車を参考とした客車で、オハ12 230から改造された。

改造当初はぶどう色2号に白帯の塗装で、外板にリベット風の装飾が取り付けられていた。車内の座席は緑色として天井にはグローブ付き蛍光灯を設置した。

この車両のみ、屋根は特に手を加えられなかった。

リベット風の装飾のうち、腰板部分のものは2001年に、吹き寄せ部分のものはリニューアル工事の際にそれぞれ撤去された。また、このリニューアル工事では、座席の色が茶色(後にはグレー)に変更され、洗面所が荷物置き場(荷物室)に改造された。定員は80名。


  • 4号車:スハフ12 702「明治風客車」

日本の鉄道開業当初のイギリス製客車を参考とした客車で、スハフ12 68から改造された。

車内の座席は革張り、窓の日よけは鎧戸とし、ランプ風の照明を設置した。展望車風客車と同様に、屋根上の冷房装置を一体型のカバーで覆っていた。

改造に際し、乗務員室側連結面が津和野方に向けられ、1号車から5号車に変更された。しかし、後述の大正風客車が2003年に再度改造工事を受けたことにより、4号車に変更された。

改造当初はぶどう色2号の塗装で、外板に木目調のプリント鋼板を取り付け、木造客車に似せた外観としていた。木目調のプリント鋼板のうち、腰板部分のものは2001年に、吹き寄せ部分のものはリニューアル工事の際にそれぞれ撤去された。定員は72名。


  • 5号車:オハ12 703「大正風客車」

1924年製のナロ20850形を参考とした客車で、オハ12 229から改造された。

天井は明かり取り窓のついた二段天井とし、座席は黄緑色としている。展望車風客車、明治風客車と同様、屋根上の冷房装置を一体型のカバーで覆っていた。このほか、津和野方は出入り口を閉塞の上、車販コーナーが設置された。

改造当初は明治風客車にほぼ似たぶどう色2号塗装で、外板に木目調のプリント鋼板を取り付け、木造客車に似せた外観としていた。木目調のプリント鋼板のうち、腰板部分のものは2001年に、吹き寄せ部分のものはリニューアル工事の際にそれぞれ撤去された。

2003年に車販コーナーが展望室に改造され、リニューアル工事では洗面所が荷物室に改造された。定員は72名。


マイテ49 2編集

ジョイフルトレインの極み

特急富士やつばめの展望車として活躍した車両で廃車後に交通科学博物館に保存されていた。1986年から1987年にかけて、家庭用の冷房装置を設置し、同装置用の電源をスハフ12形やスハフ14形のディーゼル発電機から供給できるようにする、展望デッキの手すりを増設するなどの改造工事を受け、1987年に車籍復活した。2009年までは、夏期のC56 160との重連運転時等にフリースペース車両として津和野方に増結していたが、2010年以降は実施されていない。なお、C56 160との重連運転自体は、2010年以降も2017年まで実施されていた。


関連リンク編集

JR西日本 SL 山口線

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