商業繁華の大阪市
豐太閤のきづきたる
概要
市としては横浜市に次いで日本で2番目、西日本では最大の人口(約275万人)を有する。市章は澪標、面積は政令指定都市で4番目に小さい。近畿地方及び西日本全域の最大都市として存在感を示す。
大阪市・神戸市・京都市の三都を中心として、首都圏には及ばないものの人口1,800万人を超える世界有数の経済圏『京阪神大都市圏』を形成している。
実質、日本第2の拠点都市だが、情報発信力は東京に比べて大きく見劣りする。これは、大正から昭和初期の工業化に伴う生活環境の悪化から多くの文化人が阪神地域などの郊外に脱出したことが第一の発端で、さらに戦後に郵政省が東京のテレビ局にキー局の権利を与えメディアの東京一極集中を加速させたこと、高速交通の発達で西日本支店が不要になったことなどが大きい。
また、国内での知名度が高く一定の商業規模を持っていたことからグローバル化への遅れが際立ったことが後の経済低迷の引き金となっている(今はガラパゴス化といって日本国全体で起きているが)。実際、ここ10年ぐらい前までは大阪市における世界の知名度は極めて低く、国際知名度の高い京都市、広島市はおろか、赤穂浪士で一定の知名度を持つ赤穂市にすら負けていたというほどである。
2008年の大阪五輪誘致構想は惨敗だったが、結果的に世界的な知名度をアップさせることには成功し、のちの大阪関西万博の開催決定を勝ち取った。2019年にはG20のサミットも開催されている。2010年代ぐらいから大阪市の世界的な知名度は上がっていき、とりわけ中国との経済・ビジネス面での交流が活発化している(元々中国は西日本の大阪、福岡を交易拠点として重視していた)。これらの外貨流入をインバウンドと呼び、市内商業を一段と活発化させた。そして東京、札幌などのインバウンドが一巡しても、最後の最後までインバウンドの恩恵を受け続けているのが大阪市と福岡市である(関空による中心地への拠点性、ドアトゥドアで都心部に行けること、道に迷いにくいことなどが大きい)。また、ロンドンからは世界で最も住みやすい大都市の4位に選ばれたことなどで、大きく知名度を挙げた(理由に物価が安い、市民に閉鎖性がない、交通が至便(地下鉄や主要幹線道路が碁盤の目状になっている)で地理がわかりやすい、国際空港に近い、近隣に自然が豊富なことなどが挙げられている)。
しかし、相対的に京都市、神戸市、そして堺市は商業規模縮小、人口減が深刻化しており、また河内、和泉地方で人口減が著しいなど、京阪神地区においても大阪市一極集中が始まっている状態である。
7世紀に難波宮が置かれるなど古代の首都だった歴史がある。しかし近代以降、1度も首都機能が置かれたことはない。国策に依らず民間資本の力で発展した自負があるため、中央(東京)に対する対抗心が強く、文化的にも東京より先を行っていた。しかし戦後は東京一極集中が国策となり東西の均衡が大きく崩れてしまった。また、現在では大阪に本店・本社を持つのは伊藤忠商事だけであるが、かつては丸紅、住友商事、日商岩井(今の双日)など国内の大手商社10社のうち7社の本社が大阪にあった。それも全部、小泉と竹中の政策によって東京に移転させられている。その他、大手ゼネコンの大林組、大手製薬会社であった藤沢薬品も東京移転、更に地元地盤の大丸まで持株会社の関係で親会社の本社は東京となった(このことは大阪市の都市政策ロードマップに記載され、深刻な問題として提起していた)。大阪証券取引所の廃止も市内の大きな痛手となった。
それでも依然、商社やゼネコン系の企業が強い発言力を持ち、地域政党『大阪維新の会』の支持基盤となっている。大阪市に本社を置く大企業としては二社体制の伊藤忠商事のほかは日本生命、キーエンス、住友電工、住友化学、武田薬品、竹中工務店、積水ハウス、大和ハウス、コクヨなどがある。カプコン、小林製薬、味覚糖、ノーベル製菓、ダイドードリンコ、エレコムなど個性的な商品を企画、開発する企業も多い。また、3社の合併と1社の吸収によって成長したエディオンは創業地とは何の関係もない大阪に本社を置いている。
行政区
今に続く行政区のルーツをたどると、1879年の郡区町村編制法施行によって設置された4区に源流をたどることができる。設置区の数は政令指定都市最大24で、無駄に多いという声から大阪都構想が生まれる要因の一つにもなった。これでも過去、26あった行政区を合併して減らしているが、他の政令指定都市行政区の平均面積よりも圧倒的に狭く、10km2にも満たない区が目立つ。
中心部
ベイエリア
淀川以北
北東地域
住吉地域
歴史
古くは「難波」と呼ばれ港町として発展し、古代には難波宮、難波京などの都城も造営された。中世には石山本願寺の門前町「大坂」として栄えるが、織田信長に焼き打ちされて廃寺となる。
石山本願寺跡に豊臣秀吉が大坂城を築くと一時日本の政治・経済の中心地となった。江戸時代は「天下の台所」と呼ばれる全国の物資の集積地で、江戸幕府直轄地として京都・江戸と並ぶ「三都」の一角をなした。
明治維新時に「大坂」を「大阪」に改称。明治〜昭和期には隣接する堺市とともに「東洋のマンチェスター」と呼ばれる工業都市となり、大正14年の市域拡張で「大大阪」と称される絶頂期を迎える。関東大震災で被災した東京市の人口を一時的ではあるが上回り、アジア最大級の都市として知られた。戦前には人口312万人を数えたこともある。
戦後は市の人口が減少しているが、その代わり衛星都市が形成され、都市圏そのものは拡大している。しかし、企業の本社や金融機関が東京へ集中し、工場三法などによって工場は地方や海外に流出して大阪の経済的地位は低下した。2010年代以降はアジアからの訪日観光客が急増したが、2020年にはCovid-19の感染拡大でインバウンドは収束し、また感染者数が人口比で全国最悪となり医療崩壊が起こるなど、全国の中でも目立ってコロナ禍の大打撃を受けた(実際は観光収入に依存していた京都市などの方がもっと深刻であった)。
コロナ禍も落ち着いてからはまたインバウンドの恩恵も受け始めている(一人あたりの購入額が4万円程)が、今度は中国のバブル崩壊が影響しているため、以前ほどの勢いはない(それでも中国から遠い関東よりは影響は少ないが)。
市街地の構造
大阪市は平野部に作られ、水路によって発展した港町でもある。したがって、大阪市の場合は、大阪城を起点に近い方から一丁目、二丁目、三丁目と決められている。大阪城より南側は南に下がるほど丁目が大きく、北側は北に上がるほど丁目が大きくなる。
また、市街地の通りは南北を筋、東西を通という。この法則を覚えておくことで道に迷わずに済む。地下鉄の名称は全部、この筋や通から来ている(なお京都市や神戸市は東西、南北とも通である)。
大阪都構想
正式名称は「大阪市を廃止し特別区を設置すること」。大阪市を解体して市の権限や財源を大阪府に集約することを目的に大阪維新の会が提唱していた政策(大阪府が「大阪都」という名前になるわけではない)。住民投票において2度にわたって否決され、pixiv百科事典でも大阪都構想の項目が実質的に白紙化されている。
なお、大阪市民にとっては大阪"都"と呼ばれるのは別に問題なかったが、大阪市という名称が消える(特に親しみある区名が消滅すること)のに抵抗があったという。ちなみに投票率は当初賛成派が過半数となっていたが、そのことを盛んに在京民放が報道したため、後に反対派が過半数となった。
他の都市との関係
同じ西日本の中心都市である福岡市とは古くから交流を保っている。名古屋市もどちらかというと大阪寄りである。
距離や鉄道ネットワークの関係から長らく北陸地方との関係が強かったが、北陸新幹線の金沢開通により首都圏志向が高まっただけでなく、敦賀延伸によって、関西及び中京と北陸の交通網が分断された(ドアツードアで行けなくなった)ことで社会問題となっている(北陸側も大阪、名古屋の企業の撤退が相次ぎ、新潟市のようにストロー現象に拍車がかかっている)。一方で、九州新幹線全通による熊本、鹿児島直通により九州での大阪の地位は格段に上がっている(特に熊本市は東京寄りから大阪寄りへの意識変化が著しい)。大分県、宮崎県もフェリー航路や空路の関係で大阪府との結びつきが強い。中四国では徳島県、鳥取県との結びつきが強い(両県とも関西広域連合加盟)。
海外では特に中国への関係が強くなっている(東京より近接性に優れるアドバンテージがあるため)。一方、アメリカに対してはサンフランシスコとの姉妹都市関係を解消したりするなどしている。
大阪市の姉妹都市は、上海、シカゴ、サンクトペテルブルク、メルボルン、ミラノ、ハンブルクなど、商都、国の中心地に位置する都市、または首都とライバル関係のある国内2位の都市が多い。
大阪市を舞台にした漫画作品
じゃりン子チエ おじゃまんが山田くん(原作のみ) ナニワ金融道 アベノ橋魔法☆商店街
など多数。