概要
B20形機関車は第二次世界大戦中に石油資源が枯渇し、入替用や産業用の内燃機関車が運用不能になる中、その代替として製作された小型蒸気機関車であるある。戦時設計であり極限まで資材を節約して15両が生産された。終戦ですでに製造の意義は失われ、活用しようにも小型すぎて本線運用はできず、機関区及び操車場における入れ替えを担当していたが使いやすい物ではなく、下記の現在保存されている2両を除き早々に廃車された。
形式称号はたまたま国鉄の規定にのっとっているが、本来は戦時規格制定時の「B型の20トン級」をそのまま名称にスライドしただけである。
戦後には現在の紀州鉄道や近鉄田原本線に貸し出され、前者は後に正式に払い下げられ、後にはディーゼル機関車にも改造されている。
保存状況
早々に廃車されず、国鉄蒸気末期まで残った2両がそのまま保存されている。
- 1号機
北海道の「万字線鉄道公園」に静態保存。最終配属機関区は小樽築港機関区だった。
- 10号機
京都鉄道博物館に動態保存されており機関車の入れ替えなどに使われている。なお、前述の近鉄田原本線(当時大和鉄道)に貸し出されていたのはこれである。戦時設計の車両は元来材質や工作精度が低く、現在動態保存車でも台枠の老朽化などで戦前製よりも早く使用限界をむかえつつあるが、当機はそもそも現役時代に本格的な本線運転には使われていないことから、さほど老朽化は激しくないのであろう。なお、当機のナンバープレートは今でこそ金属製ではあるが、鹿児島機関区で現役だった頃はナンバープレートがベニヤ板にペンキ書きであった。
余談
1969(昭和44)年7月27日、当時鹿児島機関区所属だった10号機が鹿児島鉄道管理局主催のイベント列車としてC55・C12・8620と四重連を組み、日豊本線の重富駅から鹿児島駅まで片道ながら当機が先頭に立ち本線運転を敢行した。(機関車が四重連なのに対し牽かれた客車は旧型客車3両編成であった。)この列車が当形式唯一の本線運転となった。
※当形式の最高速度は45km/hのため、かなりのノロノロ運転ではあったが…………。