日本国有鉄道(国鉄)が製造した客車車両で「旧型客車」の略称。国鉄の現場では在来形客車や一般形客車とも呼称していたが、正式な呼び方ではない。
「旧客」の定義
当然ではあるが、これらにカテゴリされた車両が最初から「旧客」として製造されたわけではなく、いずれも製造時は「新型客車」だった車両である。
現在においてはカシオペア用E26系やななつ星用77系客車や、後述のSLやまぐち号用のオハ35系の4000番台以外の客車はいずれも製造後数十年が経過しており、その観点で言えば現在も残る12系や14系、50系も「旧型客車」と言えるのだが、鉄道趣味的には1958年に登場した20系より前に旧国鉄で製造された客車…
例えば35系(初代)や60系、43系などが狭義の「旧客」にあたる。
その決定的な差異は、冷暖房電源や自動ドア(または鎖錠)の集中管理など、特定の同一系列どうしに限って組成してサービスに供する前提か否か、である。そのため基本的な鋼体構造が極めて近い10系は旧客だが20系は新型となる。
同じ観点から、一般営業用車両ではないものの、真ん中の御料車1号を除いた前後の4両の供奉車は、改造により旧型客車から新型客車へシステムが変更された稀有な例と言える。1960年の現在の1号登場以前はシステム上通常の旧型客車であったが(製造年1931・2年(昭和6・7年))、それ以降は20系をベースとした空調完全電化の固定編成形式に変わっている。
世界的に見ると、今でも日本で言う「旧客」が主力どころか作り続けている国もある。
また日本から無償譲渡等の形で渡った12系~24系の新型客車も、個別冷房電源の搭載や自動ドアの機能停止という、旧客に近い仕様へ改造されているケースが多い。
歴史
日本で1872年に鉄道が開業して以来、戦後の昭和後期になるまで鉄道輸送の主力として活躍してきたが、次第に電車やディーゼル車に押され、1970年代以降急速にその数を減らし、定期列車運用は国鉄の民営化直前の1986年11月までにほとんどなくなっていた。
JR化時にはわずかに山陽本線の支線の和田岬線で運用されていたが、これも1990年で置き換えられ、現在ではほとんどが廃車されており、一部がJRや私鉄のSL列車用などのイベント臨時列車として運行されているにすぎない。
主な旧型客車
主な動態保存車両
JR東日本
主にSLぐんまみなかみ号やJR東管内のイベント列車に使用される旧客で蒸気・電気・ディーゼルと牽引機関車とのバリエーションも豊富である。
2011年、C61 20の動態復活を契機に同管内の旧客に
- 無線アンテナの設置(各緩急車・デジタル式無線への対応に伴う)←それまでもアナログ式の無線は使われていたはずであるが、ここまで本格的なアンテナは要らなかったと推測される。
- 手動式だった乗降ドアの半自動化(関連して引き通しが追設され車両の向きが固定される)
- オハ47形のトイレを従来の線路垂れ流し和式(使用停止)から汚物処理装置を備えた洋式に改造
- スハフ42 2173はトイレ室を機械室に変更
- バッテリーの再整備を実施し、スハフ42 2173・2234は尾灯のLED化を施工
- 旧客の蒸気暖房設備を使えるよう再整備し、2012年から冬期の使用開始※
以下の再整備工事が実施された。
またこの整備の他に、2012年9月にはスハフ42 2173を皮切りに室内灯を従来の蛍光灯から白熱灯風の雰囲気を模したLED灯に交換する工事が施工された。
近代化改装から漏れたためか製造当時の白熱灯照明のままだったオハニ36に至っては、外のシェードは元々のガラス製品のまま、中身だけをLED発光体に替え、印象を全く変えずにLED化されている。
※蒸気機関車牽引が殆どであるので、電気暖房併設車でも蒸気暖房の方が優先順位は高い。但し、オハニ36だけが電気暖房を持たず(持っていれば形式がスハニ37になっていた)、同車を含む編成のとき、今現在の電気機関車単独で冬場の営業運転は実質的に出来ない。
その後、2020年に以下のリニューアルが行われた。
・昭和初期をイメージした木目柄の車内にリニューアル
・シートを張り替え、オハニ36とスハフ32はオリジナルと同じブルー、スハフ42 2173はレッド、その他4両はグリーンの生地に
・スハフ32以外のカーテンを花柄のものに取り換え
・スハフ42 2173はラウンジカーとし、大部分の座席を撤去しカウンターを新設。残った座席部分にはテーブルを設置しフリースペースに
因みにJR東日本には嘗てスエ78 15と言う戦災復旧救援車(元をただせばスロシ38形と言う2等・食堂合造車であり、京都鉄道博物館所蔵のスシ28301(正体はスハシ38 102)とは製造時は同形であった)も所有し、他の旧客と共にイベント列車においてのイベントスペースとして運転使用されていたが、老朽化により1990年代後半には運用離脱、2007年に除籍、後に台枠の亀裂が原因で翌年解体された。
これにより戦災復旧車である70系客車および、形式としての救援車は系列消滅となった。
JR北海道
SLニセコ号・SLすずらん号・SL函館大沼号・SL冬の湿原号等に使用されている旧客で、スハフ42 2261・オハシ47 2001・オハフ33 2555・スハフ42 2071は平成11年と12年にJR東日本から譲渡された。
この内カフェカーとして連結されているオハシ47 2001はオハ47 2239からの改造車で、当初JR北海道はこのカフェカーの他に展望客車をこの購入した旧客を改造して作る予定で、実際に当時の鉄道ファン2000年5月号には展望車化されたスハフ42のイメージ図等が掲載されていた。
しかし当時の鉄道ファンの猛烈な抗議によって展望車への改造は中止となったと言う逸話がある。
スハシ44 1はオハシ47 2001と同様カフェカーで、かつてC62を用いて運行されていたSLニセコ号で使用されていた客車5両の内の一両。1996年に一旦除籍・廃車となるがSLすずらんの運行に際して車籍が復活、再整備をした上でSLすずらん・SL函館大沼号・SL冬の湿原号に使用された。
2020年現在、スハシ44が14系に組み込まれて冬の湿原号に使用されているのみで、他の4両は使用されず旭川運転所に留置されている。
大井川鐵道
- オハ35(22・149・435・459・559・857)、オハフ33(215・469)
- オハ47(81・380・398・517) スハフ42(184・186・286・302)
- スハフ43(2・3)
- オハニ36(7)
日本のSL動態保存列車の原点であり、現在もほぼ毎日SL列車を走らせている。
旧客を19両も所有しており、保有両数においては日本で一番多い。尚、この内スハフ43とオハニ36は日本ナショナルトラストの所有の客車となっている。
車体色も茶色の他に青色と緑色をした旧客が在籍しており、最近はトーマスイベント等にも使われてる為、一部はオレンジに塗装変更されている。
この旧客の他、大井川鐵道では電車からの改造客車であるナロ80型2両とスイテ82型1両を所有してる。
津軽鉄道
主にストーブ列車用として1983年に国鉄から譲渡された。
機関車に暖房用蒸気供給設備がないため3両ともダルマストーブを設置している。
外見塗装はオハフ33とオハ46 3が、グレーとオレンジのツートンカラーとなり、オハ46 2は車体全体をレッド、乗降ドアや窓枠部分をイエローに塗装された。
主な静態保存車両
JR西日本
現在はマロネフ59 1、スシ28 301、マイテ49 2、オハ46 13の旧客が京都鉄道博物館で保存。
マイテ49は嘗て特急富士・つばめ・はとに使用された展望客車で、製造当初はスイテ37040形として新製されたが1941年10月称号改正によりスイテ49に改定された。戦後、進駐軍に接収された際に冷房装置を搭載していたが、接収解除後に落成時の状態に復旧されてこの時形式をマイテ49に改定された。
マイテ49 2はつばめやはとに使用されたが、1960年に等級が3等級制から2等級制に移行し本車両もマロテ49に形式変更されたが翌年一旦廃車となった。廃車後マロテ49 2は大阪の大阪科学博物館に保存されていたが、1987年にマイテ49として車籍復帰し以後夏季のSLやまぐち号や多数のイベント列車に使用された。
2009年での運用を最後に、SLやまぐち号を含めた臨時列車での運用は一度もない状態が続いていたが、その後京都鉄道博物館への収蔵・保存が決まり、2022年10月14日付けで再度車籍が抹消されている。本車両は前述のJR東日本に所属していたスエ78 15が2007年に除籍されたことから、営業運転可能な状態に保たれていた最後の3軸ボギー客車であった。
JR西日本ではマイテ49 2の他にオハ46 13・オハフ33 33・48・289を所有し、マイテ49と共にSLやまぐち号や他のイベント列車等で使用されたが、いつの間にか使用されなくなり、2011年10月31日にはオハ46 13が車籍抹消(同時にEF58 150も車籍が抹消)されていた。
因みにオハ46 13とオハフ33 48は2000年頃に(京都鉄博の前身の1つである)梅小路蒸気機関車館にいつの間にか持ち込まれて同館脇の留置線に留め置かれ、時には蒸気機関車と連結した事も合ったが2009年3月14日~16日にオハ33 48が解体されて宮原操に留置されていたオハフ33 289も同時期に解体された。この2両に関しては今現在でも何故梅小路に持ってきたのか不明な点も多く、一説にはSLスチーム号用客車として使うつもりで持ってきたが、バリアフリーの関係で使用出来ずに計画が頓挫したと言われている。宮原運転所網干支所に半ば放置状態で状態が悪かったオハフ33は、2009年4月に解体された。
その他
- 上記の旧国鉄の譲渡車両を除いて、旧国鉄、JR以外の私鉄で客車が運用された例は、過去には地方私鉄が自社製造したものなどがあったが(江若鉄道、片上鉄道など)、現在では大半が気動車、電車化されるか路線ないし会社が廃線されるかで、現在は営業用としては運用されておらず、一部(片上鉄道)が動態保存のイベントで運転されている程度である。
- 大手私鉄では早くに電車化が進んだので、客車自体を使用することがほとんどなかったが、旧客を使用した例では、南海電気鉄道が紀勢本線乗り入れ用に国鉄のスハ43形をベースとしたサハ4801形を製造、使用したのがある。国鉄線内は主に阪和・紀勢直通用オハフ33と中間車の間に連結されたが、南海本線内では電車に牽引され上下線とも最後尾(和歌山方面行きは機回し線を利用して最後尾に連結し直してから発車した)に連結されたため緩急車同様に尾灯を装備した。
- 車内は蛍光灯を配備し、南海の一般電車に準じたラテックススポンジの座面を使用するなど乗り心地は元の43系客車を上回るものであったが、気動車であるキハ5501の配備以降は夜行用に転用され、南海本線の昇圧を控えた1972年に同列車の廃止により用途消滅、廃車となった。
- 建築限界測定車のオヤ31形。新線開通や電化開業時など、線路周辺の建造物に大きな変化が生じた場合に、駅舎などの建造物が建築限界内に収まっているか測定していたもので、こちらも旧客に含まれる。スハ32系。
21世紀に新製された旧客(?)
オロテ35 4001・スハ35 4001・ナハ35 4001・オハ35 4001・スハテ35 4001
詳しくは35系を参照。2017年、JR西日本ではSLやまぐち号で使用されていた12系の老朽化に対して、何と旧客を新製して置き換えるという離れ業をやってのけたのである。
形式的にはかつてのオハ35系の「4000番台」という位置づけだが、台車はボルスタレスの空気ばね、クーラーと発電用エンジンも搭載、車間には転落防止幌を備え、ドアは半自動ボタン式という「見た目は旧客、中身は最新」というものである。
うちオロテ35はマイテ49をモチーフにした展望室付グリーン車、スハテ35は更にオハ35の二つ前の世代の形式であるオハ31をモデルにダブルルーフ構造とし、更に後部展望区画を設けた普通緩急車である。
製造はいすみ鉄道向けにキハ20の新製車も製造した新潟トランシスである。
関連タグ
旧型国電(ツリカケ駆動):定義は違っているが、鉄道趣味的には概ね「電車版旧客」と言えなくもない存在(客車での20系が101系にあたる)。こちらも国鉄民営化までにはほぼ淘汰され、JRからは2003年に最後に営業運用から外れ、現在は旧客のような保存運転も行われていない。
旧型電気機関車:同上の「機関車版旧客」と言えなくもない存在(客車での20系がED60形にあたる)。こちらも国鉄民営化までにはほぼ淘汰され、JRからは2009年に最後に営業運用から外れ、現在は保存運転は行われていない