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101系

ひゃくいちけい

主要な形式に101の番号を使用する車両、工業製品などに使用されるタグ。
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読み方は「ひゃくいちけい」のほか、「いちぜろいちけい」「いちまるいちけい」とも。
本項目においては、特に鉄道用通勤型電車について解説する。

国鉄101系電車

日本国有鉄道が1957年に設計した、国鉄初のカルダン駆動採用の電車である。

実はこれ以前に、キハ44000系電気式気動車(ディーゼルエンジンで発電し、モーターで走行する)で直角カルダン駆動を採用しているので、電車を抜いて「国鉄初のカルダン駆動車両」と書くと誤りなので要注意である。

車体は72系最末期形の全金属軽量車体をベースとしつつ、雨樋が埋め込み式となってすっきりとした印象となった。
屋根の半径は試作車の時点では特殊なもので、短径部630mm、長径部2623mmの楕円体で、車体幅との差177mmを埋込式雨樋のスペースにあてている。
またおのおの独立して支持されていた3連の前窓は、車体の開口部は1つとし、桟で3つに区切る連続窓になった。客室の側窓は戦前の関西型国電並みの900mm幅の広窓を採用して車内の採光性を向上させた。屋根上の通風器は戦時製国電の象徴だったグローブ式から押込式に改められた。

量産前提の車両としては国鉄では初めて1300mm幅両開き扉を採用した。ただ、101系の両開き扉は左右に片開き用のドアエンジンを設ける方式で、今のように高度な電子制御技術が導入される以前、機械的な連動機構が無かった為、左右でちぐはぐな動きをする事が度々あり、不具合でドア閉が出来なくなる事もあった(この為、103系以降では西武鉄道所沢工場の開発したベルト連動・1シリンダ駆動式のST式戸閉め機を採用する事になる。西武鉄道がこれの使用権を無償提供する代わり、DT21台車とMT54主電動機を無償ライセンス生産の許諾を与えており、これが西武の601系~801系に用いられている)。

電動機に高速小形のMT46形を採用し、これを全車両に装備する全電動車方式を採用。端子電圧375V・1時間定格出力100KW(と公称されるがユニット出力775kwより厳密には96.875kw)・連続定格出力85kw。弱め界磁率は40%、直後の151系向け以降(MT46A・46B)は35%まで拡大された。
私鉄の全電動車方式の初期高性能電車(概ね75kw)より出力が高いが、これが後々の運用に影響した。また、ブレーキにSELD常時電空併用電磁直通ブレーキ(私鉄のHSC-Dに相当)が採用され、起動加速度3.2km/h/secの高加減速性能と定格速度51km/h(但し70%界磁・全界磁ではMT54と同程度の45km/h前後)の高速性能を両立させる事を可能とした。

車内ではサービス電源用に交流MGを採用し、基本的に72系970番代を踏襲する構成ながら扇風機や40W蛍光灯(それまでの国電は1球40w程度の白熱灯が標準装備)を装備して、快適性を高めた。現代では信じられない話だが、当時特別料金を徴収しない一般用電車においては破格の豪華装備だった。当初の扇風機は首振り式(いわゆる「オルビット扇」)であるが、安全囲いは設けられていなかった。

しかし、量産段階になって計画は頓挫する。試作車は中央線、及び大阪環状線において概ね良好な性能を示したが、消費電力が従来型電車の倍以上となってしまい、量産投入された場合、給電が追いつかない事がわかった。900V程度まで下がることは織り込み済みというものの、さらに下がった710V(高円寺~中野)という極端な電圧降下では、運行を維持できなくなる。また、首都圏、関西圏のラッシュ・アワーの凄まじさは新型車両の投入によってのみでは解決できるレベルのものではなく(山手線で乗車率300%超。ちなみに今私鉄ラッシュワースト1の東京メトロ東西線でも200%を割っている)、信号システムの改良、通勤路線の複々線化による長・中距離列車と通勤電車の分離、そしてもちろん変電所の増強と、地上設備も含めたトータルでの改良が必要であった。

75kwでの全電動車方式であれば消費電力が75%程度に減るため問題なかったとする意見もあるが、これは単に101系8M2Tと同程度の性能となるだけなので、かえってコストがかかるだけとなりやはり採用されなかったろう。実際の使用のままでも給電側がこれに耐えられればMT比4:1で製造されていたはずである。
実際にはラッシュ時の消費電流を下げる為、中央快速線では8M2T組成時でも混雑時間帯には(本末転倒となるが)運行本数の確保を目的として1ユニットカットした状態で走行していた。

続いて誕生した量産車は試作車の美しさから一転、雨樋は従来の「外付け」に逆戻り、ベンチレーターも停車中の換気能力が重視されグローブ式に戻った。
屋根も曲率が連続変化する楕円体ではコンピュータが一般にない当時では量産に難があるため、中央部5000mm、肩部250mmのシンプルな構成となった。

蛇足ではあるが、同時期以降の各大手私鉄の傾向として、車両の美観にもそれなりに重点が置かれている場合が多く、従来形式とこのモハ90試作車の間をとった様な、屋根肩部に雨樋を設けホーム上からは「張り上げ屋根」に見える様式が多用された。(その後のステンレス車については、構造上側面剥き出しの雨樋も少なくなかったが)
国鉄でもキハ58系などごく一部に例外があるが、桜木町事故以来屋上の電気絶縁を第一とした国鉄電車では忌避された(……のだが、後々絶縁しきれない20kVを採用する交流区間が出現したことで、逆に短絡させて変電所側の高速度遮断器に頼る形態となったため、有名無実化していた)。結局キハ58系以降の国鉄在来線の各旅客車は、最後まで張上げ屋根は採用されず、さらに後継のJR東日本ではE233系に至るまで、通勤・近郊電車の雨樋を「剥き出し」にする外見上時代遅れな仕様に拘った。
後に101系試作車も量産車同様の屋根改造が施工されたが、先頭車の中には妻板部分に雨樋の竪樋(排水管)が露出するものまで現れる痛ましい姿に改造されてしまった。一方、ラーメン構造で歪みの激しかったPS13パンタグラフは量産初期の過程で新設計のPS16に変更される。車内ではプロペラ露出形だった扇風機にガードが取り付けられた。

量産車登場後間もなく、前述の変電所容量の問題から一部を付随車として落成させ、さらに制御車を組み込むようになる。しかし、当系列の主電動機であるMT46形は「熱容量不足」の欠陥(過熱しすぎると絶縁破壊=重大故障を招く)も抱えており、空車状態ですら電動車と付随車の比率に制約が出来る有様であった(10両編成で6:4、7両編成で4:3が限度)。さらに次いで投入された山手線では短時間のうちに加速と減速を繰り返す(加速時にも制動時にも加熱する)MT46形にとって最悪とも言えるような使用環境であり、投入当初は発電ブレーキすら使えず、また変電所の容量の関係から限流値(加速度)を下げて使用せざるを得なかったため、旧型車より低性能の状態で使用される逆転現象まで発生した。しかし、これはそれまでの山手線では17m車が混成されていたため、全車20m車8連対応へのホームの有効長延長の工事が終わっていない状況であり、また幅が広い両開き扉を持ち乗降時間の短縮を期待できることから、以上の問題を承知の上で4M3Tで暫定投入したためである。間もなく変電所の増強が事が完了すると6M1T、さらにホームの延伸が完成すると6M2Tとなり、多少消費電力が上がったものの山手線のダイヤカット・混在緩和に大貢献した。

この頃、私鉄はカルダン駆動の通勤形電車を「高性能電車」と呼んでいたが、このような状況では高性能とはいい難いことから新性能電車という国鉄独自の言い換え語が登場した、というのが一般的である。
ただし、私鉄高性能電車とされる中には101系以前から付随車を挿入した東急5000系(初代)(起動加速度2.7km/h/s)や阪急1000系系列もあった他、加速力に置いては101系より上だが、ブレーキ互換性を重視して国鉄の80系と同様のブレーキシステムを採用している車両も多く、また国鉄とは異なり私鉄では発電ブレーキ・さらに阪和電気鉄道など一部では回生ブレーキも採用が戦前から始まっていたことから逆にツリカケ車よりもトータルで性能は落ちたと言う例も散見される(銀座線や西武の初期のカルダン車のことではない)。このことから、「新性能電車」の語源は別であるとする意見もある。

とは言え、逼迫する輸送需要に答えるため101系は最終的に1,535両が製造された。電動車の最終増備分(1965年度製造)は若干経緯が異なっており、特に動力車は151・161系電車の181系への改造により、MT46主電動機が余剰品として発生したため、これを用いたものである。(修学旅行用の155系・交直流用の421系にも流用例が見られる)1535両という数字は103系、新幹線0系113系に次ぐ国鉄第4位の数字である。第5位には205系の1,461両が続くが、これの大半はJR化後の製造であり、国鉄の製造した車両としては群を抜く量産系列のひとつであった。なお、私鉄最多の東武8000系でもこの半分にも達していない。

1963年に後継の103系が登場し、以降、通勤型電車としての主役はそちらに渡す事になる。

その後、1970~78年の間京浜東北線で運用、また武蔵野線開業(1973年)に伴い難燃化改造された1000番台が投入、さらに関西本線の一部電化(1973年)に伴い、やはり当系列が投入された。

101系



冷房改造

1970年代に入ると、通勤・近郊電車にも冷房化の波が到来するようになり、競合する並行路線を持つ大手私鉄を中心に新造車はもちろん既存車の冷房改造にも力が注がれるようになる。
特に中央快速線と並行する京王帝都電鉄では、既に1968年から新造車の冷房化が始まっており、国鉄も競争上冷房車の投入が必須であった。また、山手線では1970年に103系の試作冷房車によって各種データの取得が進められていた。
そして、1972年には中央線特別快速用に10両編成4本が冷房改造されることになった。
冷房装置は集中型のAU75を車体中央部のやや後方寄りに設置、必要な電源は冷房用として独立させる形で、高尾方先頭車のクモハ100と付属編成のモハ100に取り付けられた。(出力210KVA・6両まで給電可能)これらの編成は7両+3両で10連を組んでいた(付属編成は全てクハ100使用)が、電源装置(MG)の配分が5両-5両で給電していたことから、冷房使用時の分割が不可能であった。また重量増による性能上の問題から、シーズンを問わずほぼ特別快速運用限定で運用された。
しかしながら翌年以降の冷房車の投入は、上記の性能問題や新規開業の武蔵野線南武線の新性能化、関西本線の部分電化のために101系が必要になったため、103系の新製冷房車を直接投入するようになった。そのため中央快速線101系の冷房改造車は、1976年の追加改造車1編成と合わせて5本にとどまっている。

1976年以降の追加改造車では、クモハ100・モハ100に4両分の容量(160KVA)を持つMGを、編成中3基を使用するシステム(103系・113/115系と同様)に変更された。(冷房装置の位置も車体ほぼ中央に設置)また、中央・総武線各駅停車向けの冷房改造車は、やはり車両性能上10両編成中3両のみの冷房化にとどまっている。
冷房化による性能低下が無視できない101系自体の問題もあって冷房改造は必要最低限(中央快速線50両/中央総武緩行線12両/片町線12両)に留まり、その後101系を中心に使用する線区の冷房化率の低さが問題になる。なお中央快速線の101系冷房車は、1979年に103系冷房車に置き換えられて南武線に転属、余剰のサハ5両は103系に改造された。(サハ103-768~772)

高速特性は101系?

長くファンの間で議論されてきた問題である。中央快速線での 特別快速 のスピード感と、主電動機の定格回転数が高い事から、駅間が5kmを越す区間では101系の方が高性能を発揮できるというものだ。

ところが、性能曲線を分析してみると、60km/h時でも103系6M4Tは101系8M2Tを上回る牽引力を見せており、性能上は103系の方が高性能である事が解かる。

しかし、MT55の定格回転数は85%界磁で1350rpmとカルダン駆動用主電動機としては低めで、MT46・MT54の1630(MT54全界磁)~1830rpm(MT46・70%界磁)の定格回転数以上では振動増大や寿命の短縮などが発生してしまう。
このため、高速運転を行う103系は「ジェット機」と言われるほどの爆音を立てた。これは常磐快速線埼京線等、平均駅間の広い路線の沿線で騒音公害を発生させ、長く住民を苦しめる事になった

  • なお、この際の基準は101系ではなく常磐線や阪和線で同一の線路を走行した415系や113系である(歯車比4.82・定格速度52.5km/h)。増して大鉄局は当時153系新快速が電車線をかっ飛んでいた(歯車比4.21)ことから、全界磁定格速度が低い(反面、低速域の加速力も阪神のジェットカーほどではない)103系は京阪神緩行線ではあからさまに邪魔くさい存在になった。このような車両と混成ダイヤとなることを考えれば当然「101系のほうがマシ」となる。実際に1970年代の初頭に、松戸電車区の常磐快速用の103系を、101系に置き換える案も存在したのである。(後述)
  • また下記西武101系も弱メ界磁35%で使用されているが、こちらの主電動機は101系のMT46を増強型であるMT54(日立相当品)を更に増強した日立HS-836-Nrb/Prb(またはその相当品)である。また東武8000系も同系統の主電動機で、「私鉄の103系」の二つ名とは裏腹に歯車比は5.31と101系(5.60)より更に高速向けのセッティングである。

これは弱メ界磁の多用だけではなく、国鉄電車の主電動機は北海道向け(酷寒地対策のため別装ファンによる強制通風)を除きすべて外扇自己通風形のため、内部の騒音をより積極的に撒き散らす構造であるのが災いした。同世代の私鉄同目的車輌の多くは内扇形を使っていたので、このような問題が起きにくかったのとは対照的である。民営化後の205系が埼京線や南武線に投入されるに当たって、MT61主電動機が内扇形に改設計されたのもこのためである(ただし、埼京線は部品ローテーション等の結果外扇型装備のものも混じることとなった)。

これはあまり知られていないことであるが、元々101系が投入されていた線区に103系を投入する場合、運転曲線を101系に合わせるために103系側の限流値を下げていた(簡単に言えば、わざと性能を落としていた)ため、加減速、特に高速域の性能が(101系と比較しても)相当悪化していた。そのため当時それらの線区を担当していた運転士の中には、「性能を落とした103系」である認識が無く、その性能について悪く誤解していた者も多かったと言われる。(当時の趣味誌に、こうした認識によって書かれたと思われる文献が散見される)
ただし、その中でも『鉄道ファン』誌で連載していた「870000kmの軌跡」の国鉄~JR西日本OBの宇田賢吉氏は空気ブレーキの応答は101系が一番良かったとしており、103系やMT54世代はそれに比べて一段劣るとしている。言うまでもないが空気ブレーキと限流値は全く関係ない

幻の常磐快速線への投入計画

1967年に常磐線に投入された103系は、上記のように高速運転時の特性や騒音などの問題を抱えており、さらに緩行線の開業後は、中距離列車で101系と同じMT46を装備する401系、その出力増強型であるMT54を採用した403系/415系と同じ線路をほぼ並行するダイヤで走ることになるため、将来的にも103系を継続使用する意味は薄かった。
そこで赤羽線や京浜東北線でそれぞれ少数が配置されていた101系を、主に常磐快速線から転用された103系と交換して型式を統一、さらに総武線から快速線の開業(複々線化・1972年7月開業)による運転間隔の見直しで捻出した、まとまった数の101系を転入させることで、何かと問題の多い常磐快速線の103系を101系で置き換えるプランが考案されたのである。また、緩行線の開業による旅客転移を見込んで、快速の編成を短縮(10両→8両)することも盛り込まれた。
しかしながらこの計画にも問題点があった。少数ながら既に製造を取りやめた101系を新造、また103系から改造する必要があったこともあり、その計画自体に疑問符が付けられたのである。(実際にその直後の1973年から中央快速線に103系冷房車を新製投入、捻出した101系を武蔵野線・南武線・関西本線に玉突き転配、余剰化した付随車をサハ103冷房車に改造する状況になっている)
さらに常磐線自体が緩行線開業(複々線化・1971年12月開業)の際に発生した、快速の編成短縮による大混乱(緩行線・千代田線への旅客移転の見込み違い)が発生、一旦は引退して転用待ちだった旧型車を使用して緊急的な増発を行う事態になっており、それによる輸送力確保(再度の10両編成化)のため緊急的な車両増備が必要になるなど、101系をかき集める転用計画どころではなくなってしまい、結局有耶無耶のうちに計画は幻に終わった。

引退と改造・譲渡

1950年代後半に設計・製造された国鉄旅客車は、軽量設計やその素材から(大人の事情による高張力鋼の不採用など)、老朽化が早期に進行して比較的早期に廃車になるものが少なくなかった。
101系も1978年度末から老朽廃車が開始され、103系冷房車、後に201系に追われ、1985年には発祥の地である中央線快速から撤退する。さらに一部は台車やモーター等の部品を流用して(名義上)事業用車に改造(車体そのものは、国鉄工場または外注の車両メーカーで新造)された。また需要上の関係から、これとは別に付随車・制御車から後期車を中心に103系に改造されたものもある。(サハ103-750番台/クハ103-2000/2050番台)なお、国鉄再末期に改造されたサハ4両とクハ7両(全車)は非冷房のままであり、これらは比較的早期に廃車になっている。中でもサハ103-774は一時期松戸に配置されて常磐快速線で運用されており(青緑1号に塗装)、1両きりの中間車ではあるものの、幻に終わった上記の転用計画が形を変えて実現したことになった。

国鉄最末期の1986年には、36両が秩父鉄道に譲渡されている(秩父鉄道1000形)。

分割・民営化後も残っていたのは、中央・総武線各駅停車、南武線鶴見線片町線の各線向けの224両だけであり、2003年に南武支線での運用を最後に姿を消した。

試作第1編成の先頭車クモハ101-902が大宮の鉄道博物館に保存されている。

ここより、永遠に。

秩父鉄道の1000形は、JRで101系や東日本から103系や201系などが淘汰された後も活躍を見せていたが、東急からの車両譲渡により2009年より廃車が始まった。

彼を礎として181系153系、そして新幹線0系と日本鉄道史上に燦然と輝く名車たちが生まれた。鉄道ファンにこそその存在を強く意識された101系だが、後輩、あるいは息子・娘ともいえる名車たちのように表舞台で称賛を受ける存在ではなかった。
だが、気づいてみればその星空を彩るかの如きスターたちは、速く走る運命をその歴史に背負うかのように、彼を差し置いて走り去っていった。

2014年3月31日、最終編成1003F、除籍。後輩や息子たちを見送った偉大なる礎は、58年目にしてようやく、後輩たちの待つ歴史の彼方に走り去っていった。
そして、この秩父鉄道に渡った車両は、同じ「101」の形式名を持つ電車と度々顔を合わせ、また同僚として働くこととなる。

西武鉄道101系

西武101系


概要

西武における101系は、1969年の西武秩父線開業に合わせて山岳路線を走行するための高出力高ブレーキ性能の車両として登場し、同年3月5日に営業運転を開始した。登場時は「ASカー(All round Service Car)」とも称された。1976年(昭和51年)までに4両編成50本(200両)と6両編成13本(78両)の計278両が新製された。このうち6両固定編成の電動車2ユニット中1ユニットには当時の大手民鉄では大変珍しいハイフン付ナンバー(モハ101-21 - 30・201 - 216)が登場している。
主電動機は、701系用のものから大幅に出力アップした日立製作所製のHS-836-Nrb・Prb(出力150kW)又は東洋電機製造製TDK-8010-A(出力150kW)を搭載、これは軌間1067mm・平行カルダン駆動用のものとしては当時最大クラスのものであった。
歯数比は1:5.73。860mm動輪であるので、国鉄103系(動輪径910mm)の1:6.07と実質同等のギア比である(6.07✕0.86÷0.91=5.736・・)。
最高運転速度は105km/hだが、設計最高速度は120km/hと高いギア比に関わらず高速運転も可能。
ブレーキ関係も西武初の発電制動付き電磁直通空気制動(HSC-D)を採用、勾配抑速発電制動を装備している。これは高出力主電動機・高ギア比共々急勾配が続く山岳線区を走行するための装備であり、同時期に登場した5000系もこれと同様の装備を有する。
これにより在来系列との通常の併結運転が不可能になった(ただし新宿線で運用されていた編成は1980年に改造され401・701・801系と併結できるようになった)。
主制御器は日立製のMMC-HTB-20E(弱め界磁起動1段、直列12段、並列13段、弱め界磁5段、発電制動25段)で、一般的な抵抗制御としては多めに取り高加速性能を得ている。定格回転数を1,850rpm(80%界磁)と高く設定したほか、最弱め界磁率は40%から35%に拡大され、高速性も向上している。
後年では性能上は問題はなかったものの、(西武2000系とは明確に差が出るほど加減速度は高い)消費電力や排熱で後続系列に差をつけられており(建築物の構造もあるだろうが練馬駅などでは抵抗器の廃熱からホーム上がかなりの高温となってしまい、夏季は非常に不快であった)、部品流用車で停車頻度の高い9000系は後年VVVF改造が施された。

旧101系

1969年から製造。西武所沢工場にて製作された。車体形状は先に登場した801系と非常によく似ている。もともとはこのタイプのみであったが、1979年から下記の車輌にマイナーチェンジがなされたため、以降は旧101系と呼ばれるようになった。

新101系・301系

西武新101系も参照。
1979年に登場した101系のマイナーチェンジ車で、前面デザインが大きく変わり精悍な印象となったほか、ベンチレーターも押し込み式に変更となるなど設計変更箇所が多い。このグループはまず2両編成から製造が開始され、その後を追って4両編成および6両編成も製造された。さらに同様の性能を持つ8両編成も登場しており、この8両編成は301系と呼ばれる。

劇的ビフォーアフター!?

101系は平坦線から勾配区間まで、ASカーの名に恥じない活躍を続けてきたが、経年による陳腐化によって、他社がほぼ同時期に投入した電車同様に廃車が発生している。…が、そこは西武。使える部品を有効活用して車体だけ新しくでっち上げるという巧みな手口により、なんと同系列の足回りを流用して以下のような車輌が開発されている。

4000系:おもに秩父線で活躍する近郊型電車。
10000系(ニューレッドアロー):言わずと知れた西武の看板特急。
9000系新2000系とほぼ同様の車体を新造した通勤電車。さらにVVVF化された

譲渡車

近年は新101系も(主に西武系列の)地方私鉄に譲渡されるケースが発生し、流鉄上信電鉄秩父鉄道伊豆箱根鉄道三岐鉄道近江鉄道に譲渡されている。特に秩父鉄道に譲渡された車両は中央の扉を潰して2扉化された上クロスシート化も行われ、6000系として急行「秩父路」で運用されている。

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