曖昧さ回避
鉄道車両形式の1つ。
Pixiv上ではほぼ新幹線0系電車に関するイラストに付与されるタグとなっている。
新幹線以外の0系は、各記事を参照。
- 千葉都市モノレール0形:通称「URBAN_FLYER」。
- 関東鉄道(関鉄)キハ0形
- 横浜高速鉄道Y000系:こどもの国線用車両。
- 長野電鉄(長電)0系:OSカー。引退済。
- L0系:中央新幹線車両。今のところ試験車のみ存在。
概要
0系とは、国鉄(日本国有鉄道)が開発した初代営業用新幹線電車である。世界初の高速鉄道専用車両で、最高速度は210km/h(後に220km/h)。
当初は単に「新幹線電車」と呼ばれていたが、東北・上越新幹線向け車両(200系)や後継車両(100系)が登場、「0系」と呼ばれる様になった。
1964(昭和39年) - 86年(同61年)の間に3,216両(224編成)が製造された。ただし、全車両が同時に存在したことはない(後述)。
1965年(昭和40年)、第8回鉄道友の会ブルーリボン賞受賞。
1987年(昭和62年)4月1日の国鉄分割民営化に伴い、JR東海・JR西日本にそれぞれ継承された(後述)。
車両について
東海道新幹線用初代車両として開発された。鴨宮実験線で走行試験を行っていた1000形試験車データを反映・改良の上、量産された。ちなみに、第1編成(N1)6両は当初1000形C編成(1011 - 1016)として新造された。
空気抵抗を減らすため、丸みを帯びたボンネットが特徴で、「翼がない飛行機」「団子っ鼻」等と呼ばれた。ボンネット先端部はカバーとなっており、当初はアクリル製でヘッドライトの電球から漏れた光でボンヤリ発光しており、「ひかり前頭」と呼ばれたが、鳥等が衝突し、破損が相次いだため、後に発光しないFPR製に交換された。
塗装は様々なデザインが検討されたが、会議室にあったタバコ(ハイライト)の箱の色(白・青)をベースとした塗装が採用された。
なお、車両設計自体は極めて保守的であり、未経験の新機軸は敢えて使用していない。
前述の通り、1964 - 86年までの23年間に224編成(3,216両)が製造され、当初は古い0系を新車で置換える現象も発生していた。このため、3,216両が同時に存在したことはなく、1976年(昭和51年)の2,338両が同時に存在した最多車両である。
長期に渡って製造されたため、増備の度に仕様変更が行われ、大きく分けて3種類存在する。
- 0番台:大窓車(1 - 21次車)。2,288両製造。
- 1000番台:小窓車(22 - 29次車)。619両製造。1976年度以降。
- 2000番台:中窓車(30 - 38次車)。309両製造。1981年度以降。
この他、改造に伴い、3000・5000・7000番台等も誕生している。
この様に最近の車両とは異なり、需要増減や老朽車置換に伴う編成組替も多く行われている。
国鉄時代
1964年10月1日、東海道新幹線開通と同時にデビュー。1等車(→グリーン車)2両を組込んだ12両編成30本。編成番号アルファベットは製造メーカーを表していた。
ちなみに、12両編成で登場したが、1次車6連に中間車(2次車)6両を挿入する形を取ったため、デビューの時点で編成内の車番が乱れていた(2号車と10車の入れ替わり:29編成、1・2次車の車番合わず:3編成)。
1966年、「こだま」の1等車(→グリーン車)の乗車率が悪く、2等車(→普通車)が混雑する状況を解消する目的で、「ひかり」「こだま」で編成を分けることになり、グリーン車なし12連4 - 5次車を製造。編成を組替え、1等車を2→1両に減車した「こだま」編成を用意。
そのため、案内上、7・8号車が入替わる編成が出現した(1971年度の「ひかり」編成増備で解消)。
1970年、大阪万博開催に伴い、「ひかり」16両編成化、「こだま」増発のため10次車を製造。
1972年、度重なる編成組替で編成内のメーカーが揃わなくなり、「ひかり」をH編成、「こだま」をK編成と区別する編成番号に変更された。また、K編成ビュフェ車2両のうち1両を売店車に差し替える編成替えが進められたが、全編成には及ばなかった(最終的に47編成中7本にビュフェ車2両が残った)。
1973年、K編成も16両化。
1974年、H編成に食堂車を組込み。
1976年、開通時の1・2次車を置換えるため、小窓仕様1000番台が登場したが、編成内で廃車とする分だけを新車(1000番台)で代替した。その手法で続く3 - 5次車置換も進められた。このため、大窓・小窓車混在編成が誕生。
1980年、当時利用率が低下した「こだま」編成の削減開始。(1984年度までに
47編成→41編成)
1981年、1000番台よりシートピッチ(座席間隔)を拡張した2000番台が登場。
廃車対象外の「ひかり」編成に新車を組込み、その捻出車や削減された「こだま」編成の残存車で他編成の老朽車を置換えたことから、その後編成によって、また編成内で車両ごとの製造年がまるでバラバラとなる一因となってしまった。特に自由席車が多く(指定席販売上の制約が少ない)、新大阪以西への定期運用がない「こだま」編成ではビュフェ車の両数や組成位置にいくつかのバリエーションが見られた(さらに一部「こだま」編成では、岡山以西入線に必要な連続強制換気装置未装備編成が含まれていた)。
1984年、「こだま」を12両編成に短縮。大窓車が先頭となる場合は「S編成」、小窓車が先頭の場合「SK編成」となる。
1986年、0系最終製造。小倉 - 博多間限定運用として6連R編成が登場、後に山陽区間「こだま」用に編成増強。
余談ではあるが、16両全てが新車で揃った編成は、
- 1973年製造H41 - 43編成(「ひかり」用編成、翌年にいずれも7・8号車を新車食堂車ユニットに差し替え)
- 1974年製造H70編成(IPU(列国議会同盟)参加者輸送用特別編成。中間12両がグリーン車、用途終了後組換)
- 1976年製造N97 - 99編成(「ひかり」用編成・全車小窓・1000番台)
以上の7編成のみである。
JR時代
JR東海
1339両(91編成及び保留車35両)が承継された。
1989年から、「こだま」用編成を対象に再度16連化と指定席車(9 - 12号車)に2 - 2シート導入などが行われた。しかし、東海道新幹線では16連固定でも需要が逼迫していたことと、最高速度220km/hの0系がダイヤ上のネックとなっていたため、100・300系による淘汰が急速に進行。1995年には「ひかり」編成が消滅、同時に東京発着定期「ひかり」運用から離脱した。このため、パンタカバーが設置された程であり、大規模な改造等は行われなかった。
JR西日本
715両(58編成及び保留車17両)が承継された。
JR西日本では「ウエストひかり」へのグレードアップを筆頭に、短編成化用に先頭車化改造まで行われるなど、大規模な延命・改装が盛んに行なわれた。
「ウエストひかり」としては座席の拡張(横5列配置を4列配置に見直し)や暗室でビデオを上映する「シネマカー」の連結(当初は有料。無料化後も利用率は悪く、終いには睡眠目的で利用される有様であったため、1994年(平成6年)3月末限りで廃止。また、上映は一部列車のみで実施されていた)やアップグレードされたビュッフェ等のサービスアップに伴い、当初の6・8連から最長12連まで編成を再度増車する等好評を博した他、食堂車やビュッフェを子供サロン用に改造した「ファミリーひかり」、本来「こだま」に使用される編成を用いた「シャトルひかり」運行等、最終増備車製造から10年以上経った時点でも西日本区間では第一線で活躍を続けた。
特記すべき編成
- NH82編成:100系同様、特高圧回路を設けてパンタグラフを削減することを目的としてケーブルヘッドやパンタグラフカバー取付工事が行われた。一定の効果は認められたが、費用面や工事期間等の面から改造は本格化せず、後に元に戻された。
- R23・R51編成*:R23編成先頭車はグリーン車を改造した。R51編成は「ウエストひかり」用でそれぞれ6連。1988 - 91年(平成3年)の多客時にこの2編成を連結した12連(R23編成が自由席、R51編成が指定席)が運行された。連結は車庫内で行われ、半固定編成として使用されたが、車両運用上の使い勝手の問題から、短期間で終了した(参照)。
淘汰
JR東海
前述の通り、性能が劣る0系は100・300系に置換えられる形で減少。1995年に「ひかり」用NH編成が運用を離脱。「こだま」用のYK編成も、1999年(平成11年)3月時点で6編成(YK8・20・29・38・40・41編成)が残るのみとなり、運用は東京 - 新大阪間1往復(「こだま414・425号」)及び東京 - 名古屋間1往復(同464・473号)となっていた。
同年7月31日及び8月8・28日には臨時「ひかり」を運行、この時点で残っていた3編成(YK8・29・41)の光前頭に「長い間のご利用ありがとうございました」の装飾が掲げられた。
翌9月18日のYK8編成定期「こだま473号」(東京→名古屋間)を最後に東海道新幹線運用を終了した。
ちなみに、新幹線車両において定期列車で運用終了した最初で最後の事例である(以降、新幹線車両ラストランは全席指定臨時列車や団体専用列車で行われている)。
JR西日本
1999年の東海道新幹線引退以降も山陽新幹線では引続き運用され、「ひかり」充当もある等、2社間ではかなり温度差があった。
JR発足後の需給見直しに伴い、短編成頻発ダイヤに切替えられていたが、0系がオールM車のため、MM'ユニット(2両)単位で長短組成可能であるため重宝され、JR東海所有100系が大量に廃車される中、JR西日本では0系が延命工事施工の上で活躍し続けるという事態が発生した(※JR東海100系は先頭車が動力がない制御車のため、M車ユニットの前後関係が逆転しており、単純な編成変更が出来なかった。なお、一部先頭車の運転台はJR西日本所属編成減車時に誕生した先頭車化改造車に流用された)。
しかし、「ウエストひかり」と呼ばれるグループもJR発足後にリニューアル工事を受けているとはいえ、車両老朽化は隠せず、2000年(平成12年)3月改正で700系7000番台「ひかりレールスター」が登場すると翌月までに新大阪発着「ひかり」運用から撤退(この「ウエストひかり」廃止に伴い、定期「ひかり」運用は消滅。臨時運用は「ファミリーひかり」が2002年まで行われていたため、同年まで存続)。「こだま」のみとなり、また、その編成も4・6連まで短縮されるなど、徐々にその活躍の場は狭まって行った。
2002年からはR編成(「こだま」用6連)の座席を廃車となった100系グリーン席を転用し、2&2シート化。色を500系や700系7000番台「レールスター」同様グレーとしたリニューアル車が現れる。このグループが最後まで残ることになった。
2008年(平成20年)4月、最後まで残った3編成(R61・T67・R68編成)が登場当時の塗装に復元され、同年11月30日限りで定期列車運用を終了。
その後、翌12月6・13・14日にさよなら運行(臨時「ひかり」)を実施。最終日のR61編成充当「ひかり347号(新大阪→博多、速達列車を再現)」を最後に全廃となった。
なお、0系引退後の「こだま」は、短編成化された100・500系V編成が担当。
また、さよなら運行時に新山口で500系V編成「こだま」が0系「ひかり」の通過待ちをするダイヤが組まれ、「(当時)日本最速車両を初代新幹線が追い抜く」という象徴的なシーンが演出され、話題となった。
余談
メーカー
東海道新幹線開通当初の編成記号は製造メーカーごとに区分されていた。編成も全て同一会社製で揃えてあった。
N:日本車輌・K:汽車製造・R:川崎重工・H:日立製作所・S:近畿車輌・T:東急車輛
これは本来製造メーカーのローマ字イニシャルを冠しようとしたものであるが、「K」で始まる会社が3社もあったため、それらについては汽車を除いた2社について漢字頭文字の英語直訳で代替したものである(川崎→川→River・近畿→近→Short)。
ところが、増結や編成組換等に伴い、同じ会社での編成が困難となったため、1971年より、
- H:「ひかり」用編成
- S・K:「こだま」用編成
となっている。
また、R編成(6両=RokuryoのR)・Q編成(4両=16両の1/4=「Quarter」のQ)等短編成も登場した
食堂車
1972年(昭和47年)の山陽新幹線岡山延伸や1975年(昭和50年)の博多延伸に伴い、長時間乗車する乗客が出て来る様になり、食事対応として1974年から長距離運用が多い「ひかり」に食堂車が組み込まれた。
海側を食事スペース、山側を通路として間を壁で区切ったが、窓がなく、乗客から「富士山が見たい」との声が上がった。そこで1979年以降壁に窓ガラスを新設、山側の景色を楽しみながら食事が出来る様になった。これは「マウント富士計画」と呼ばれた。
特別編成
1974年10月には第61回列国議会同盟日本大会が開催され、参加する国会議員専用団体列車が運行された。当日製造中であったH編成用グリーン車6ユニット12両+先頭車ユニット+一般中間車1ユニット2両のH70編成が組成された。終了後、グリーン車は正規のH70編成の他、グリーン車なしで新造された他編成に組込まれた。現在においても12両もののグリーン車を連結した編成は存在しない。
強度
1999年、山陽新幹線福岡トンネルでコンクリート片が走行中の0系「ひかり351号」を直撃する事故が発生した。しかし、空調設備等があったこと・車体が鋼製であったことが幸いし、車体は損傷したものの、負傷者は1人も出なかった(これが現在主流のアルミ合金であったら貫通して死者が出ていてもおかしくなかったという)。
ドクターイエロー
1000形を改造した922形0番台を置換する目的で、1974年に0系0番台をベースとした922形10番台(T2編成)が製造所された。7連であるが、5両目(軌道検測車両)は921形を名乗り、車体が短い。
1979年には1000番台をベースとした922形20番台(T3編成)が登場。窓の大きさで判別が可能。
1986年、T2編成7号車・T3編成1号車に自動分割併合装置が付けられ、試験に使用された(参照)。これは後に東北・山形・秋田新幹線で採用された。
T2編成はJR東海に継承されて2001年。T3編成はJR西日本に継承されて2005年まで活躍した。なお、T3編成7号車(922-26)がリニア・鉄道館に保存されている。
特別ラッピング
1998年12月5日 - 翌年5月5日まで、JR西日本は『NINTENDO64』のテレビゲーム『バンジョーとカズーイの大冒険』(日本では1998年12月6日発売)とのタイアップを実施。0系「ファミリーひかり」用編成に専用ラッピングを施し、『バンジョー&カズーイの大冒険号』として山陽新幹線(新大阪 - 博多間)で運行された。
ゲーム販売戦略としても新幹線営業戦略としても当時としては異例で、同方法を取った最初のケースとなった。
静態保存車
- 京都鉄道博物館(21-1+16-1+35-1+22-1)
- 鉄道博物館(21-2・21-25の先頭部)
- リニア・鉄道館(21-86+36-84・37-2523・16-2034)
- 青梅鉄道公園(22-75)
- 四国鉄道文化館(21-141)
- 富士市新通町公園(21-59)
- 摂津市新幹線公園(21-73)
- 福岡市さつき幼稚園(22-77)
- 昭島市民図書館つつじが丘分室(21-100)
- 並河駅鉄道歴史公園(22-1003の先頭部)
- 総合車両製作所横浜事業所(21-2023の先頭部)
- 日本車輌製造豊川製作所(22-2029)
- 吹田市立健都ライブラリー(22-7007)
- 川崎重工業兵庫工場(21-7008)
- 神戸海洋博物館 カワサキワールド(21-7038の先頭部)
- イギリスヨーク Leeman Road 国立鉄道博物館(22-141)
- 台湾高速鉄道台南駅前(21-5035)
↑鉄道博物館(21-2・21-25)※イラストは交通博物館時代、青梅鉄道公園(22-75)、リニア・鉄道館(21-86)
モチーフとしての0系
0系モチーフのラッピング車両
JR四国がキハ32-3に0系をイメージしたカバーを取付けた改造車両で、2014年(平成26年)3月15日から運行している。同系が装備していた座席やタイフォーンを設置している。
600形617号車に0系をイメージしたラッピングを施し、2024年(令和6年)8月10日より2ヶ月限定で運行。
高知県交通運輸政策課が四国新幹線実現に向けてPRを行ったもの。
0系モチーフのキャラ
- 新幹線ロボット:当時新幹線は0系のみであった。
- ココ:『チャギントン』に登場するキャラ。ただし、当車両以外にもドア背後機器室があることで英国国鉄373型電気機関車もモデルとなっている。
- シンカリオン0:2024年放送のシリーズ第3作目『シンカリオン_チェンジ_ザ_ワールド』で、2000番台がロボットに変形する「シンカリオン0(ゼロ)」が登場。始まりのシンカリオンで、敵として登場する青年やその担任であった中学教師がかつて乗っていた機体。
映像作品
- 黒の超特急:1964年10月公開。新幹線建設の土地買収疑惑をテーマとした作品。
- 新幹線大爆破:1975年7月公開。「ひかり」に爆弾が仕掛けられたという設定で、国鉄側が協力を拒否したのに関わらず、隠し撮りや車両メーカーからコッソリ取り寄せた部品を用いて撮影。国鉄側を激怒させた伝説がある。
- ゴジラシリーズ:度々ゴジラに新幹線が襲われている。
- ALWAYS 三丁目の夕日'64:ラストシーンに0系が登場。青梅鉄道公園の車両でロケ。
- 仮面ライダービヨンド・ジェネレーションズ:2021年12月公開。仮面ライダー生誕50周年作品。0系新幹線が物語で重要なキーとなっており、度々登場する。青梅鉄道公園の車両の他、走行シーンはCGモデルで再現。
- キン肉マン:0系を押し競う競技が出て来る。線路上にいた子犬を救うため、テリーマンが列車を止めたシーンが有名。
その他
関連イラスト
関連動画
関連タグ
100系 300系 500系 700系 N700系 N700S L0系