概要
東海道新幹線は、JR東海が管轄する東京新大阪間、約515kmの路線。日本最初の新幹線路線でもある。
歴史
東京オリンピック開幕を9日後に控えた1964年10月1日に営業開始。世間一般には(2020年東京オリンピックに擬えているのもあるが)オリンピックに合わせた開通という認識であるが、実際には平行する東海道本線の抜本的な輸送力増強を図った路線であった。
東京駅9番線(当時)から6時発ひかり1号がテープカットと共に発車した。当初は12両編成で、最高速度210km/hで4時間掛けて運行していた。
所要時間が4時間なのは当初慣らし運行として180km/h程度で運行していたことと、路盤が固まっておらず、徐行区間が多数存在したため。後に3時間10分となる。
1966年4月25日 ひかり42号が走行中に車軸が折れる事故が生。異常に気付いた車掌が豊橋へ緊急停車させ被害はなし。
1969年4月25日、三島駅新設。
1985年10月1日には、2階建て車両が特徴的な100系が登場。1986年以降の0系と同じ220km/h運行であった。この車両は設計上270km/h運行可能な性能を持ってはいるが、騒音基準をクリア出来なかったため、220km/hに抑えられた。
1988年3月13日、新富士・掛川・三河安城駅新設。
1992年3月14日、初代のぞみとして300系が登場。270km/h運行開始、東京 - 新大阪間を最速2時間30分で結ぶようになる。
1995年1月17日、阪神・淡路大震災発生。20日に復旧(ただし、山陽新幹線新大阪 - 姫路間不通に伴い4月6日まで新大阪で折返し運行)。翌21日、955形300X試験開始。
同年12月27日 三島駅乗客転落事故が発生。駆込み乗車した乗客がドアに挟まれたまま列車が発車し亡くなる。この事故を受けて、ドア構造を改良した。また駆込み乗車対策として発車ベル鳴動時間厳格化やメロディを発車合図として使用することを禁止するなどの対策を自社在来線のみならずJR東海管内他社局にも厳格に適用した。
1997年に500系が登場。最初は山陽区間のみで走っていたが、同年11月29日に東海道区間へも乗入れ。東海道区間では急曲線が多いため270km/hが最高であるが、山陽区間では300km/hで走行。ダイヤ乱れや車両故障時の冗長性確保(300系や700系とドア位置や座席配置や定員数が異なり、乗客の座席位置を変えずに他系列と入替えて運用することが出来ない)のため、2010年2月末限りでJR西日本所属N700系N編成へ置換えられる形で東海道区間から退いている。→500系のぞみ
同年11月29日に名古屋と京都が全列車停車となり、名古屋飛ばしが消滅。
1999年3月13日に700系が登場。エアロストリーム形式(カモノハシ型)先頭部を有する。この列車も東海道区間では270km/h運行を実施。同年9月18日に0系営業運行終了。
2003年9月16日に100系が東海道区間より撤退。これにより食堂車だけでなく、カフェテリア営業も廃止された。同年10月1日改正で東海道新幹線全列車が270km/h運行へ統一。ひかり中心ダイヤからのぞみ中心ダイヤへ変更。のぞみ自由席、品川駅新設。
2007年7月1日にN700系が運行を開始。曲線通過時、車体傾斜システムにより路線全体の3分の2を270km/h運行することが可能となった。その結果、東京-新大阪間を最速2時間25分と5分短縮。
2008年3月15日ダイヤ改正で品川、新横浜が全列車停車に。
2012年3月16日改正に合わせて300系が引退。
2015年3月14日ダイヤ改正で運行速度を再度変更。N700系(N700A)の強化した車体傾斜装置を活用し、これまで半径2500m区間で255km/hに減速しないためだけに使っていたそれを、半径3500m区間でも動作させることにより、半径2500m区間のみ270km/hに減速する方法で最高速度をさらに引上げ、285km/hに。その結果、東京 - 新大阪間が最速2時間22分へ短縮。
同年6月30日にのぞみ225号車内でガソリンを使った自爆テロが発生し、テロリスト1名の他に乗客1名が巻き込まれ死亡。喫煙ルームの一部を不審者対応用具入れへ改造。
2017年12月11日 のぞみ34号の台車に亀裂が見つかり、名古屋で運行中止。17日まで14番線が使えなくなる。原因は製造時のミス。
2020年3月1日 700系引退。当初は3月8日予定であったが(中略)。これに伴い東海道新幹線営業列車より喫煙席がなくなり、全て全席禁煙車となった。また、東海道新幹線を走行する車両がN700系列に統一された。
同年7月1日にN700Sデビュー。東海道新幹線初の全席コンセント搭載車両。
2021年4月20日 同年7月施行のバリアフリー基準を満たすため、車椅子スペースを6席に増やしたN700Sマイナーチェンジ車運行開始。
将来的には、特に線形が良い米原 - 京都間など限定した区間・時間帯に限り330km/h運行も計画されている。
構造
規格
在来線の東海道本線がパンク寸前であったため、なるべく大きな輸送力が担保出来る車体断面が求められた。そこで車両限界は大振りな戦前の「弾丸列車計画」のものを概ね引継ぐこととされた。
かつての「弾丸列車計画」では満鉄への直通も意図されていたため、結果としてこれらとも車両限界が近似するが、上述の目的から戦前のそれらの旅客車より車幅が30cm程広げられている。これにより、平屋の車体で通路を60cm程確保した上で横5列席配置が可能となった(修学旅行電車などの5列席は大人よりは小柄な中学生を前提に座席も通路も無理矢理詰め込んだもので、通路も狭い)。
電車のみの運行とされたため、車両軸重は空車で16t程度と、機関車列車前提であった「弾丸列車計画」よりは大幅に下げられた(20 - 23t)。
当初の予定最高速度は210km/hではなく250km/hであった。しかし1960年頃、一部試験列車を除き実用域でそんな速度を出している鉄道は全くなかったため200km/hを目安に、回復のために10km/h上乗せした210km/hが当初の最高運行速度(名目値)となった。
現在こそ最高速度は285km/hであるが、東京 - 熱海間はカーブが多く、出しても210km/h程度までしか出せない。特に線内一の急カーブを抱える武蔵小杉駅(横須賀線ホーム脇を通過、最小曲線半径500m)や、熱海駅(同1500m)が有名どころである。
武蔵小杉駅を通過するN700A。
電源
交流25kV電化なのは後発の全フル規格新幹線と同じである。ただし、東海道区間東側150km程は50Hzの東京電力管轄エリアを走行するが、全線に渡り60Hzで列車へ給電している。
1960年代で一応、在来線車両であればED70など試験的に両周波数対応車両が作られていたが、新幹線の場合は交流電化に対応したATCを用いるため、これも両周波数に対応となると当時の技術ではコストや重量に著しい制約を受けた。また、延伸方向がこの時点では専ら山陽方面のみ想定されたため、その場合50Hz区間走行比率はさらに低下する。
このため、車両構造簡素化を優先し、代わりに地上へ巨大な回転式周波数変換機を置いて50Hzから60Hzへ変換した電力を給電。
後に半導体技術の発展により、設備増強分の変換機は回転式ではなく半導体式のものが用いられている。
「国際標準電圧」と一応称されるが、世界中基本的には名目値+10%で加圧・-20%まで性能を担保で設備が構築されている。そのため、25kV電化であれば本来加圧27.5kV・性能保証下限20kVとなる(在来線の20kV電化ではこの考えによって22kV給電としている)が、新幹線は特に大電力を消費するということで+20%・-10%を基準として給電電圧は30kVとされた。この+20%加圧は高速鉄道に於いては現在ではデファクトスタンダードとなっている。
同じ交流電化でも在来線と異なり、高速走行することからセクション目視による惰行・再力行という運行は無理があると判断され、担当変電所の境目では地上側で受電区分を0.1秒程度で切り替える方式を用いている。しかし、開通当初はまだ商用周波数電化でのAT饋電方式が実用化されておらず(元々は16.7Hz用など低周波数交流電化の技術)、交流電化で問題となる誘導障害を避けるには負饋電線を用いるBT饋電方式が必要であった。しかしBT方式は随所(3 - 4kmごと)にレールから帰線電流を吸上げるブースタートランス(これの略称が「BT」)と前後区間の架線を分断する(この分断部分で架線電流が変圧器巻線を通る)セクションが要るものであり、こちらには切替セクションが構造上作れない。これを在来線の倍以上の速度(=半分以下の時隔)で通過する上、力行したままであるため問題が残った(在来線速度では惰行で通過して問題ないダイヤであるため、惰行忘れによる架線損傷事故も数件しか起きていない)。
山陽新幹線岡山延伸(1972年)までに商用周波数でのAT饋電が実用化されたためそれ以降の新幹線にはBTセクションはなく、「のぞみ」運転開始までに東海道区間も全てAT饋電へ変更された。
運行
現在の運行本数は1時間当たり最大17本(臨時列車含む)。能力上は1時間に15本まで走らせることが出来るが、実際は東京駅と大井にある車両基地の間で回送列車を走らせないといけないので東京発着列車はこれ以上増発出来ない。ただし、品川駅で折返しが出来ない訳ではないので品川以西であれば1時間に最大15本劣者を走らせることが出来る。(葛西敬之名誉会長が自身の著書でそのような用途を持たせる意味でも品川駅を建設したと語っている。)
現在早朝に品川・新横浜それぞれで始発列車(それぞれぞみ・ひかり。両駅を6:00発)が出ているのは、この構造を活用したものである。
主なトンネル
新丹那トンネル 延長7,959m 熱海 - 三島間
南郷山トンネル延長5,170m 小田原 - 熱海間
音羽山トンネル延長5,045m 米原 - 京都間
蒲原トンネル延長4,934m 新富士 - 静岡間
最長橋梁
富士川橋梁 延長1,373m 新富士 - 静岡間
開通前史
東海道新幹線を先に走った阪急電車
京都 - 新大阪間の一部で、東海道新幹線は阪急京都線と高架で並行している。新幹線の建設に際し、元は高架ではなかった阪急線東側にほぼ並行して新幹線の高架を建設することになったのだが、淀川沿いで脆弱な地盤ということもあって、工事で阪急線が地盤沈下する可能性があった。そのため、阪急京都線大山崎 - 水無瀬 - 上牧の高架化工事も同時に施工し、並行させることとなった。
その過程で、新幹線開通前の1963年(昭和38年)4 - 12月の間(大阪方面は4月24日 - 12月14日まで、京都方面は5月10日 - 12月19日まで)、先に完成していた東海道新幹線の高架線路を阪急線工事中の仮線として用いて、仮設駅ホームも新設して暫定的に阪急電鉄(当時京阪神急行電鉄)の車両を走らせていた。これは阪急電鉄路線が、新幹線同様標準軌であるからこそ成し得たことであった。
よって新幹線の「線路」を走った初の営業列車は、阪急京都線列車となる。 参考までに当時この区間を走行した車両のうち、阪急電鉄2300系車両は2015年3月下旬に全車引退するまで、最後まで残った「新幹線の線路を走った阪急電車」であった。
その後、阪急線用高架線路も完成したことから、それぞれの線路は本来の目的に使われるようになった。
エピソード等
・開通当初はダイヤが空いており、新大阪発1番列車運転士は最高速度で飛ばしに飛ばした結果、東京到着時の早着を防ぐため、東京都内は相当スピードを落として運行したとか。その際に山手線電車に追い抜かれたらしい。
・神奈川県の鴨宮 - 綾瀬の辺り一帯の区間がモデル線として先行整備され、試験車両走行試験や運転手の訓練などが行われていた。一般客向け試乗会も行われ、沿線住民から駐日大使、やんごとなきお方まで数多くの人が試乗へ訪れた。ちなみに試乗列車のトイレは施錠されていたのであるが、乗務員の判断で鍵を開けて使用させていた。そんなことを続けているうちにタンクが一杯となってしまい、ある日の夜、タンクの中身を酒匂川へ投棄したらしい。
この最初期の試運転は2両編成A編成、4両編成B編成の「1000形」が用いられた。上述の規格通り60Hz運行前提車両であるが、モデル線区は全線神奈川県内のため周波数変電所を介さなければならない(営業用より編成が短いので暫定の小容量)。しかし、新設が間に合わず、設備が整う前に電車がモデル線へ入線することとなった。やむなく50Hzを仮にそのまま車両に給電し、補器一部小改造の上で徐行運行した(当然ながら全力運行は一切不可である)。仮設備は九州周波数転換工事で出て来た(かつては随所に50Hz地域があった)中古機材であるが、それの到着が遅れたためである。
・旧国鉄時代にイギリスのエリザベス女王が来日した際、新幹線で移動するはずが…ストライキ真っ最中で、キャンセルとなった。
「イギリスにもストはありますから」
平謝りする日本側に、女王陛下は笑って答えたという。
・東海道新幹線建設当時、「旅客運用しない夜間に貨物列車を運行させてしまえ」ということで貨物新幹線という計画もあった。しかし肝心の東海道新幹線建設費がインフレの影響で2倍近くに膨れ上がってしまい断念。既に確保していた用地は車両基地や在来線貨物ターミナルへ転用された。
また新幹線大阪運転所(鳥飼基地)京都側に本線を跨ぐ形で、未完成ながら貨物新幹線用構造物が残されている。過密ダイヤで運行する新幹線頭上の構造体を支障なく撤去する術がないまま近年まで放置されてきたが、安全に撤去する工法の目処が立ったことから2013年から順次撤去されている。(これらは全て「世界銀行からの融資を受けるためのダミー構想である」という通説があったが、最近となって当時の計画担当がこれを否定している)。
・1992年から運行されたのぞみ301号は新横浜発車後は終点新大阪までノンストップのダイヤで、「名古屋飛ばし」として話題となった。ただし、名古屋と京都は全列車が停まることを前提として作られているため駅前後の線形がきつく、安全のため70km/hで通過していた。現在では両駅共に通過を前提としない構造のホームドアが設置されている(熱海駅やかつての新横浜駅にあるような高速通過を考慮したホームドアは通過時の風圧での破損を防ぐためホーム端から2m程度離れて設置される)。
・JR東海の在来線を含めた全路線での収益の大部分をこの東海道新幹線が占めており、今やJR東海にとってはなくてはならない最重要路線の1つとなっている。
今後の予定
2022年
- 10月31日:JR東海のプレスリリースで、東海道新幹線にグリーン車の上級クラス座席『上級グリーン車(仮称)』の導入を検討すると発表。詳細・名称・導入時期については未定であるが、JR東日本におけるグランクラスに相当する座席になると見られる。2024年4月17日に個室導入を発表(後述の欄を参照)。
- 12月15日:2023年春からのぞみの貸切車両を導入すると発表。1両毎、若しくは16両全車両貸切可能となるという。
- その一例。2023年6月17日に行われた広島東洋カープ応援貸切ツアー。
2023年
- 2月16日:JR東海所有新幹線車内チャイムをUAの新曲「会いにいこう」へ変更すると発表。7月21日から導入。
- 8月8日:同年10月末限りでのぞみ・ひかりの車内販売を終了すると発表。同年11月からはグリーン車のみQRコードを利用した『モバイルオーダーサービス』に変更。
- 10月12日:車内販売に代わり、のぞみ停車駅へ順次、人気が高かったドリップコーヒーにアイスクリームの自販機を新設すると発表。同年11月1日までに新設を完了する予定。
- 10月18日:2024年3月ダイヤ改正により、東海道・山陽・九州新幹線列車内喫煙ルームを廃止。非常用飲料水等を設置する倉庫へ転用。
2024年
- 4月17日:一部N700Sに1人用個室を2室導入すると発表。従来のグリーン車を上回る座席となる。2026年度より導入予定。
駅一覧
●:停車 ○:一部通過 ▲:一部停車 レ:通過
駅名 | のぞみ | ひかり | こだま | 乗換路線 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
東京 | ● | ● | ● | ※ | |
品川 | ● | ● | ● |
| ※ |
↑東京都/↓神奈川県 | |||||
新横浜 | ● | ● | ● | ||
小田原 | レ | ▲ | ● | ||
↑神奈川県/↓静岡県 | |||||
熱海 | レ | ▲ | ● | ||
三島 | レ | ▲ | ● |
| |
新富士 | レ | レ | ● | ||
静岡 | レ | ○ | ● | ||
掛川 | レ | レ | ● |
| |
浜松 | レ | ○ | ● | ||
↑静岡県/↓愛知県 | |||||
豊橋 | レ | ▲ | ● | ||
三河安城 | レ | レ | ● | 東海道本線(CA55) | |
名古屋 | ● | ● | ● | ||
↑愛知県/↓岐阜県 | |||||
岐阜羽島 | レ | ○ | ● | 名鉄羽島線(新羽島・TH09) | |
↑岐阜県/↓滋賀県 | |||||
米原 | レ | ○ | ● | ||
栗東信号場 | レ | レ | レ | ||
↑滋賀県/↓京都府 | |||||
京都 | ● | ● | ● | ||
↑京都府/↓大阪府 | |||||
鳥飼信号場 | レ | レ | レ | ||
新大阪 | ● | ● | ● |
| |
↓JR西日本山陽新幹線博多まで直通運転 |
※:在来線に3レターコードが設定されている駅
東京:TYO 品川:SGW
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