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概要編集

1957年に登場した国鉄電気機関車

日本初の量産型交流電気機関車である。

生産量数は19両、製造は三菱重工が担当した。


仙山線で行われた交流電化の試験に使用されたED44及びED45のうち後者の構造、つまり従台車の無い1軸1モーターの4軸駆動で低圧タップ式 水銀整流器と直流電動機の組み合わせを継承し、加えて10‰勾配で1,000t以上の引き出しが可能となるよう性能が強化されていた。

北陸本線田村駅敦賀駅間が1957年10月1日に交流20000V(20KV) 60サイクル(60Hz)で電化されたことに伴って登場した。


構造編集

車体編集

DF50に似たデッキがない箱型車体で、原型機のED45によく似ている。

前面中央部に重連の際に使用するために、これもDF50に似た内開きの貫通扉が付けられたが、隙間風が入りやすいと不評だったために後に塞がれている。(その後の機関車には車体開口部に対し大寸で外開きのものが採用された)

車体は交流用電気機関車の塗色として後に標準化された赤2号(えんじ、ワインレッドとも)で塗られた。


電装・駆動機器編集

主たる制御は変圧器の出力電圧を切り替えるタップ制御で、本形式は低圧側に切り替え回路がある低圧タップ式である。

整流器にイグナイトロン水銀整流器を採用している。


走行装置は、2軸台車「DT104」が2つ(Bo-Bo)で、駆動装置はこの頃の国鉄電気機関車に多く採用されたクイル式である。


改造編集

1960年代初頭に、新車時には無かった客車に暖房用電力を供給する電源回路の設置が行われた。

また水銀整流器をシリコン整流器に載せ替えられている。これらの機関車に採用された水銀整流器は位相制御が可能で、実効電圧を無段階に調整できたためけん引性能の確保に一役買っていたが、そもそも水銀整流器自体が鉄道車両に向いていたとも言えなかったこと、水銀自体の毒性問題もあり、牽引力低下を承知の上で載せ替えられた。同じように、水銀整流器を使用していたED71の一部やED72ED73の全車もシリコン整流器へ載せ替えられたが、いずれも性能低下を招くことになりED75ED76に取って変わられた。


引退編集

初の量産交流機であったために試作的要素が強く、維持整備に手間がかかるとされた事や、のちに登場したさらに強力なEF70や3電源交直流機のEF81が充足された為に登場から20年と経たない1975年には全車引退した。

1号機のみ解体を免れ、敦賀第二機関区で保管された後、現在は滋賀県長浜市の「長浜鉄道スクエア」に保存されている。


余談編集

  • 活躍期間が短く、比較的マイナーな機関車であるが、ルッどういうわけか鉄道模型化に恵まれており、完成品NゲージとしてTOMIXKATOマイクロエースの3社から製品化されたことがある。
  • 唯一保存されている1号機は、現在では交直流期の標準色であるローズピンクに近い、発色の薄い色調に塗装されている。

関連項目編集

電気機関車 国鉄 北陸本線

EF70ED74…北陸本線におけるED70の後輩機。

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電気機関車 でんききかんしゃ

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