国鉄が設計・新製した交直流両用電気機関車。1968年に1号機が新製され、翌1969年より量産機と併せ営業運転開始。
概要
電車における485系・583系などと同じく、国鉄在来線が採用したすべての電化方式(直流・交流50Hz・交流60Hz)に対応している。
番台区分としては試作型の1号機、量産型の基本番代、関門トンネル区間内での車体腐食対策で外板をステンレスとした300番台、老朽化したEF30の代替機として1986年に基本番代より重連総括対応改造された400番台。JR移行後に製造された基本番台に準じる500番台と、関門間増発用として400番台同様重連総括仕様で製造された450番台。そして近年JR貨物に残存する基本番代を100km/h限定と言う意味で改番された600番台が存在する。
当初は北陸本線・信越本線(金沢~新潟)で運用を開始、その後の羽越本線の電化、湖西線の開業で運用区間はさらに拡大(大阪~秋田)した。また、常磐線・東北本線(上野・隅田川~平・福島)、山陽本線(下関~門司・当初300番台のみ)などで運用され、国鉄時代末期にはさらに運用区間が拡大された。国鉄分割民営化に際しても全車両がJR東日本・JR西日本・JR九州・JR貨物に承継され、JR貨物においては1989年から1992年にかけて8両が追加新製(※1)されている。
投入時の事情
1960年代後半の国鉄の幹線・亜幹線では、各地で電化が進展していた。
しかし、地域によって電気方式が直流(1.5Kv)、交流(20Kv・50Hzまたは60Hz)と異なっており、これらの区間を直通できる電気機関車が求められた。既に電車では(直流電車をベースに)異電流区間を直通できるものが開発・運用されており、また少数ではあるが電気機関車も交直両用のものが運用されていた。だが、それらの機関車は構造的に特殊で運用区間も限定的なものであった。
開発当初サイリスタ制御の採用なども検討されたが、開発期間やコストの関係から直流機のEF65形をベースに交流機器を追加した当型式が開発された。
当時の国鉄の考え方として、「製造費の高い交直両用の機関車は、交直接続区間を中心に中~短距離で運用すること」を念頭に開発されており、本形式も当初は前記の通り比較的短い区間の運用を中心としていた。
設計上の問題
額面上のスペックこそEF65形とほぼ同等の性能があるとされているが、自重が交流機器で4.8t分増加した分重量出力比は相対的に低くなっている上、交流区間では変圧・整流ロスで出力が1割がた低下している。また台車内での軸重移動が非常に激しく、それに有効な空転対策が車体容積や重量の問題から直流機と比較して簡易的なものにとどまっている。実質的な性能は国鉄新性能F機では同じくロクな軸重移動対策がなされず空転に終始悩まされたEF71形と並び最低クラスと言えよう。
とは言え、1960年代末の技術的レベルでは、前述のように交流機に採用されたばかりのサイリスタ制御は時期尚早、かつコストの問題で非常に困難であり(高周波による誘導電流など、地上側の設備にも対策を要する場合がある)、さらに運用が想定される路線の厳しい軸重(自重)制限下では、性能的にもある程度の妥協はやむを得なかったと思われる。
製造・運用コストが高いことから、事故などで破損しても容易に廃車にはできず、JR移行後までは廃車が発生しなかった。90号機のように3度の大事故と1度の大改造で車体・内蔵部品・台車の全てが交換され、結果として製造時の構成部品が全く残っていなかったなどという極端な事例もある。(編者はかつて該当機を実見したことがあるが、車体の形態や仕上げなど、造りそのものが全く製造時期と一致しないという、事前知識がなくても妙な違和感を覚える個体だった。)
運用環境の変化とそれに伴う問題
1970年代以後は客車列車や貨物列車の削減による老朽・余剰機の置き換え、それに伴って運用区間の拡大、さらに運用の効率化による超ロングラン運用など、その汎用性故に設計当時の想定を大幅に超越した運用をされることも増えていく。
最終的には交流区間で入線事例がないのが北海道内と津軽海峡線・東北内陸部(奥羽本線南部・仙山線・磐越西線)・九州の一部(日豊本線南延岡駅以南)ぐらい、北は青森から南は鹿児島、西は長崎まで(※2)、足跡を残すということになった。特にブルートレインは直流・非電化区間しか走らなかった列車(瀬戸や出雲等)や一部の東北線列車(北星)を除いて、ほとんどの列車に使用されたほどである(出雲廃止以降、EF510登場までは本数は激減したがすべての寝台特急で使用されていた)。東北本線直流区間に於ける北斗星牽引では、速度種別「通特・C3速度」(83km/h)・最高110km/hと、EF65とほぼ同等の高速性能を生かした運用もあった。(それでもまだ余裕があったらしい)
設計当時の前提は先に挙げたとおり「交直接続区間前後の比較的短くかつ急勾配がない区間での運用(ベースのEF65形も本来は平坦線用の機関車である)」であり、いくら汎用機とはいえ全ての使用条件下で理想的な機関車ではない。特に豪雪地帯かつ峠越え区間を挟む上越線経由の「あけぼの」運用では、冬季降雪時の同線内で空転して牽引不能になる醜態を幾度もさらした揚句、同線を含む直流区間の牽引機は元々当該区間専用に開発されたEF64形1000番台に戻されることになった。
近年の状況
1993年頃から客車列車の減少でJR東日本・九州所属機に余剰廃車が出始め、その後も徐々に淘汰が進んだ。また、一部はJR貨物に転籍したものもある。JR貨物においては初期車を中心に更新修繕が進められたが、やはり老朽化が進行して後継機となるEF510形・EH500形への置換などで徐々に活躍の場は狭められた。
当型式の発祥の地である北陸本線では、2015年のトワイライトエクスプレスの廃止、さらにJR貨物に於いてもJR東日本から譲渡されたEF510形500番台が富山機関区に転入して同所配置車両を置き換えていき、2016年に旅客・貨物全ての運用が消滅。2023年4月には臨時列車用として残存していたJR西日本所属車が全廃され、姿を消した。
2024年現在、定期運用を持っているのはJR貨物の門司機関区所属機のみ。当初の投入区間だった関門トンネルの運用は全てEH500に置き換えられており、ED76形に混じって鹿児島本線・日豊本線などで最後の活躍を続けている。
2022年には後継機であるEF510形300番台が門司機関区に配備され、試運転を開始。2024年からは増備車も登場し、今後はED76と共に順次置き換えられる予定である。
特徴的な機体
JR貨物所属機以外は定期運用を持っておらず、臨時列車や工事にて不定期に使用される。
- 81号機
JR東日本所属。1985年4月、つくば科学博覧会開催に伴う昭和天皇のお召し列車牽引に抜擢。この時に施された装飾はのちの赤2号→北斗星色化に伴い消滅するも、随所に面影が残っていた。2014年に往年の姿に復刻されている。
- 90号機
元JR東日本所属。度重なる事故などで、2008年の廃車時に新製時の部品が一切なかったという所謂テセウスの船のような車両。解体済みで現存しない。詳しくはWikipediaを参照。
- 95号機
JR東日本所属。スーパーエクスプレスレインボーの指定牽引機で、車体側面に大きく書かれた「EF81」の文字が特徴。同編成が廃車された後も同じカラーリングを纏っている。
- 97号機
JR東日本所属。長らく北斗星色を纏っていたが、2018年11月の全般検査時にJRマークの消去とHゴムのグレー戻しを行い、国鉄時代の姿に復元され出場。併せて長岡区に転属している。令和時点で非常に希少なグレーHゴムの車両ということで人気が高い。
- 98号機
元JR東日本所属。北斗星塗色機の側面には流星が描かれているが、他機とは異なり星が車体裾に迫る位置にまで達しており異彩を放っていた。これは2007年の全般検査で修正されたが、この後同僚の80・133号機が相次いで側面採光窓のレタリングを省略する中、当機は変わらず維持し続けたことで今度は最後の正統派北斗星塗色機として人気を集めることに。2023年1月、「カシオペア紀行返却回送での運用中にブレーキ不緩解に関連するトラブルにより出火し自走不可能となる。救援され帰還するも復帰は断念され同年3月に廃車となった。
- 134・136・139~141号機
JR東日本所属。双頭連結器を装備しており、電車の牽引が可能であることから廃車回送や遠方工場への送り込みに使用されることが多い。
- 113号機
元JR西日本所属。トワイライトエクスプレスの指定牽引機で、同列車の廃止後も同じカラーリングを纏った。トワイライト牽引機は他に43・44・103・104・114号機がいたが最後まで活躍したのは当機のみであった。2023年3月に廃車となっている。
- 133号機
元JR東日本所属。庇付の所謂「後期型」スタイルの車両では唯一の北斗星色機として高い人気を誇った。2022年に廃車となっている。因みに庇類は最初からあったものではなく、落成時は中期型スタイルであった(電暖灯のみ後期タイプの変則形態)が、後年の改造で増設されたもの。同様の改造は134・135・136号機にも行われた。
- 303号機
JR貨物所属。関門トンネルの湿気対策でステンレス製のボディを持つ300番台の唯一の現役機。ファンからは「銀釜」の通称がある。かつては関門トンネルを通過するブルートレインの牽引もこなしていた。
- 451・452号機
JR貨物所属で、国鉄民営化後にJR貨物が発注し誕生した。この2機のみライトが角形で、位置も運転台下部に変更されているため、外観が大きく異なる。
- 1号機
元JR貨物所属。記念すべきトップナンバーであるためか、廃車後も富山機関区にて一部機器を外した状態で屋外保管されている。事実上の試作機であり、製造時には正面にシャッター式タイフォンが付いていた。
- 76号機
元JR東日本→貨物所属。2007年にJR東日本で廃車となったがそのままJR貨物に購入され門司機関区に配置。九州を走った唯一のもとJR東日本所属機となった(門司区の他機と異なり当機は重連総括非対応のため、ED76の北九州タ~福岡タ 間の運用を代走する形で運用入りしていた)。翌年には富山に転属となり、2010年春を以て廃車となっている。
因みに九州を走った「赤2号のEF81」だが、400番台が改造竣工直後に赤2号で運用入りしていたことがあるため、76号機が唯一ではない。
- 120号機
元JR貨物所属。敦賀機関区時代の1975年4月、滋賀植樹祭開催に伴うお召列車を牽引。EF81では初のお召牽引機となった。この際の予備機は121号機が務めている。民営化後は富山区で活躍し、2010年に廃車となった。
- 135号機
元JR東日本→貨物所属。東日本移籍機として唯一更新工事を受けた車両だが、後期型スタイルで更新された車両は他におらず唯一無二の形態で人気を集めた。富山での活躍の後門司に転属するも、そこで運用入りすることはなく2021年に解体されている。
- 404号機
JR貨物所属。改造前の131号機時代、ステップの外付改造+スノープラウの大型化が行われたことで中期型ながら後期型仕様のスカートを持つ珍形態に。そのままの仕様で400番台化されただけでなく、なんと富山転属後に現地で更新を受けたことで「富山更新色400番台」という唯一無二の仕様となった。富山での活躍を終え門司に帰還後は動きがなかったものの、2020年2月に全般検査を受け復活。現在は小倉タイプの更新色へと生まれ変わり元気に活躍中。
- 407号機
もとJR貨物所属。試験的に冷房設置改造が行われた車両で、助士側側面に大きなルーバーが設置され異彩を放っていた。2010年7月12日、鳥栖貨物ターミナルで出火事故を起こし機器室を焼損。損傷の大きさからそのまま廃車された。
東日本大震災による影響
2011年には東日本大震災による日本海縦貫線の貨物列車増発の応援で、門司区を離れたことが無かった303・304の両機が富山機関区へ貸し出されたこともあった。(この時に303号機は東青森まで足跡を残している)この際、機能停止していた寒地用ヒーターの復元やスノープラウの取り付けなどの寒地対策を施して運用された。300番台は落成当初から需給の都合で転属した際に、極力不都合が生じないよう寒地対策がなされていたのである。
注記
※1:日本海縦貫線用500番台と関門トンネル用450番台。450番台のうち後期製造車は見込み生産の500番台用の鋼体を流用しており、そのグループは後に日本海縦貫線用に富山機関区に転属したが、再び門司機関区に戻った。
※2:EF81形303号機が2006年1月1日に寝台特急あかつきの下り鳥栖~長崎間・上りの長崎~下関間をダイヤの都合により牽引
関連タグ
北斗星 カシオペア トワイライトエクスプレス あけぼの 北陸 日本海
つばめや - 兵庫県姫路市や西宮市に存在していた模型店。サンテレビで放映されていた同店の懐かCMでは青りんごの横を300番代の銀釜がご機嫌で走っていた。2016年に閉店。
103系:同じように想定範囲を超えた運用で酷使されたクチ。
マケボノ:上記「あけぼの」でトラブルを起こした場合こうなる。