概要
2003年12月31日、ナゴヤドームでの「K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!」にて、元横綱・曙太郎VSボブ・サップの試合が行われた。K-1ファイターに転向した曙のデビュー戦、しかも相手は当時人気絶頂のボブ・サップとあって世間の話題を集め、高視聴率を記録した。
だが結果は惨憺たるものであった。体格差を利してサップをコーナーに追い込む場面はあったものの、慣れないグローブをつけての試合に曙は次第に劣勢になっていき、1ラウンド2分58秒、サップの右ストレートがクリーンヒットした曙は失神KO負けしてしまったのである。
そしてリングに倒れ伏す曙の姿がリング上空に設置されたカメラに映し出されるが、さながら車に轢かれた蛙のようであった。
その時の巨体が横たわったまま動かない姿が視聴者のシリアスな笑いを誘い、ネット上にはコラージュやパロディイラストが溢れ、いつしかこの倒れたアングルのことを「マケボノ」と呼ぶようになった。
その後
デビュー戦ばかり有名であるが、その後の経歴も惨憺たるもの。
2006年にリングを降りるまでの間、K-1ルールでは1勝8敗、総合格闘技ルールでは0勝4敗。
唯一の勝利も、とうに全盛期を過ぎた角田信朗に対する判定勝ちであり、あまり誇れた勝利ではない。
嗚呼、第64代横綱・曙よ……どうしてこうなった……
本当の話……
と、言う事で曙の弱さが目立つK-1参戦ではあったが、実の所この結果は当たり前である。
そもそも、曙は両膝の怪我が悪化し、これ以上の回復が見込めない、と言う理由で引退しており、引退会見でも「横綱として足を引きずった惨めな姿で土俵に上がりたくない」「平凡な勝ち越しは出来るが、もう優勝争いは不可能」とまで発言している。
それほどの負傷で引退した上に、それからK-1参戦までに2年以上も経過している。当然、引退後に現役並のトレーニングをしているとは思えず、衰えているのは間違いない。
また、曙が日本相撲協会を退職したのは11月5日。それ以前は「曙親方」だった訳で、流石に大々的にK-1の練習は出来なかった筈である。そしてデビューが12月31日。K-1ルールでの初戦まで、トレーニング期間はたった2ヶ月弱しかない。
つまり、いかに現役時代の曙が強かろうと、怪我で引退し、2年のブランクで衰えた上に、付け焼き刃のトレーニングでリングに上がって、まともに闘える訳がなかったのである。
結局、このK-1デビューは「横綱もK-1では弱い」と言う演出に使われた出来レースであった、と言うのが本当の所だろう。
また、対戦相手のサップは2013年に出版した暴露本「野獣の怒り」にて「(完全にダウンしているのに動かない)レフェリーは何をしているんだ!と思った」「(曙が)本当に死んでしまうと思った」とこの時の心情を語っている(その証拠に、ダウンを奪った後のサップはその場では喜んだものの、すぐに心配そうな表情で曙のもとに駆け寄っている)。つまり、この時の曙は実はかなり危険な状態であり、そんな状況で見世物としての都合で放置されていたというのが真相だった(前述のように関係者の目論見通りマケボノは最高視聴率を叩き出した)。
さらにその後
このように、マケボノはハッキリ言って無法の極みと言うべき演出だったのだが、当時のK-1人気はこうした無法が許されるほどの絶頂期であった。
それどころか視聴者はこうした演出を持て囃し、ネタにして、大いに盛り上がっていたのだ。
しかし同時にこれは、総合格闘技団体のPRIDEに有力外国人選手を引き抜かれ、実力よりも話題性を重視せざるを得ないがゆえの、苦肉の策でもあった。
それ以降も曙やチェ・ホンマンを始めとした大型選手を「モンスター路線」として売り出したり、テレビタレントで格闘経験のないボビー・オロゴンを「史上最強の素人」として売り出したりと、実力よりも話題性やインパクトを優先した経営方針を続けたが、当然このような無茶が続く筈もなく、徐々にK-1の人気は衰えていく。最終的には、運営会社のFEGが深刻な資金難に陥り、破産。現在は香港の会社に譲渡され、そちらの新体制で細々と続けられている。
なお、PRIDEも八百長問題や総合格闘技ブームが過ぎとことで一気に斜陽を迎え、ほぼ同時期に経営破綻。
双方の団体とも、多くの後継団体が作られたが、ほとんどは早期に撤退。現在は唯一RIZINを残すのみとなっている。
一方、曙は総合格闘技引退後、プロレスラーに転向。こちらではなかなかの成功を収め、K-1時をある程度払拭する事に成功した。
だが、相撲引退後も力士としての体重を保ち続けていた事は身体に負担をかけていたようで闘病生活を送っていた。そして2024年4月、急性心不全により54歳の若さで他界した。
余談
国鉄〜JRにおいて上野駅〜青森駅間で運行されていた寝台特急「あけぼの」が吹雪などの悪天候で運休することも「マケボノ」と呼ばれたこともあった。
奥羽本線の板谷峠を経由していた時代から機関車との相性が悪かった(特にコイツ)が、上越線・羽越本線経由になっていた2005年の突風による脱線事故を機に自然災害にナーバスになったことに加え、さらに平坦線向けで大した空転対策もないEF81を、無理矢理勾配と豪雪のある上越線で使うからこんなことに……。
関連イラスト
動画
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DEATHNOTE - 作中で夜神月とリュークが観戦していた。
テンパランス(HOD) - 倒れ方が意識している(?)。