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番付

ばんづけ

番付とは、大相撲における力士等の地位を掲載した表、および、格付けそのものを指す。
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概要編集

 大相撲において、力士等の格付けと名を1枚のにまとめたもの。ちなみに、正式には「番付表」と称する。力士(厳密には幕下以下は「力士養成員」として扱われるが、本稿では便宜上まとめて力士とする)のみならず、年寄(親方)や行司・呼出・その他裏方の名前も一部を除いて掲載される。

 一般に番付表と言えば印刷されたものが想起されるが、本場所の会場前には興行の宣伝として、木製の板番付も掲げられている。

 番付表は本場所開催前および開催期間中に国技館で、地方場所の場合は国技館に加えて本場所の会場でも購入できる(1部55円)。また、ベースボール・マガジン社発行の雑誌『相撲』の奇数月号に、その月に開催される本場所の番付が付録として収録されている。


構成・特徴編集

 中央の縦長のスペースの最上部に「蒙御免(ごめんこうむる)」と書かれ、江戸時代に寺社奉行から興行の許可を受けていたことの名残である。中央のスペースにはその下に、当該場所の期間・会場、ならびに行司、審判委員、そして主催者名である「公益財団法人 日本相撲協会」の字が記載される。

 その帯を境に、向かって右側に東方の力士、左側に西方の力士の地位と名前が書かれる。力士の名が書かれるスペースはそれぞれ5段に分かれており、どこに、どの程度の字の太さで書かれるかによって地位が判断できるようになっている。書かれる位置は下記の通り。

  • 最上段……幕内力士(横綱、三役、平幕)
  • 2段目……十両、幕下
  • 3段目……三段目
  • 4段目……序二段
  • 最下段……序ノ口

 最下段に書かれるのは序ノ口力士だけではなく、東方には年寄のうち理事・副理事(・相談役)・役員待遇・委員、ならびに、親方ではないが、幕下以下の指導監督に当たる若者頭(わかいものがしら)や相撲競技用具の運搬や保管の任などに当たる世話人が記載される。若者頭も世話人も引退した力士が採用される。

 一方、最下段の西方には、年寄出身の公益財団法人日本相撲協会の評議員(年寄名ではなく本名が書かれる)、また、主任及び平年寄、呼出、床山の名が記され、さらに「此外中前相撲東西ニ御座候(※1)」および、「千穐万歳大々叶(せんしゅうばんざいだいだいかのう)(※2)」と書かれている。


 番付において、各力士について上から「地位・出身地・四股名」が記載される。

  • 地位については、役力士以外は全て「前頭」と表現される(詳細は後述)。
  • 出身地は相撲協会に届け出たもので、日本国内の場合は都道府県が、外国出身の場合は出身国名が書かれる。届け出る出身地は実際の出生地や生育地である必要はない。
  • 四股名を改名した場合、幕内力士の場合は出身地の横に、十両以下の場合は出身地と四股名の間に旧四股名を、たとえば「琴欧州改」のように書かれる。但し、下の名前だけを改めた場合(たとえば「大砂嵐金太郎→大砂嵐金崇郎(きんたろう)」など)は特に何も書かれない。

 力士が改名届を提出した後、何らかの手違いで四股名が誤記される事態が稀に発生する。仕方なくその場所は番付に書かれた四股名で土俵に上がり、場所後に再度改名届を提出する力士もいれば、海乃山(かいのやま、※3)のようにそのまま通す力士もいる。


 ※1……「この番付に記載された者以外に、本中、前相撲の力士がいる」という意味。本中(ほんちゅう。前相撲で連勝を2回して上がる、地位ではないが序ノ口の手前という位置づけ)は、現在は廃止されている。

 ※2……「千年も万年も大入りでありますように」という願いが込められた言葉。

 ※3……1960年代に幕内で活躍した力士。本名の入井で初土俵を踏んだ後、力道山にあやかって「海力山(かいりきざん)」に改名しようとしたが、番付表で誤記されてしまった。しかし、訂正することなくその四股名で土俵に上がり続けた。一時期「信夫竜(しのぶりゅう)」と名乗っていたが、1961年9月場所の再入幕に際し、元の「海乃山」に戻した。9年間にわたり幕内に在位し、最高位は関脇であった。

番付の書き手と番付表の作成編集

 番付を書くのは特定の行司が担当する業務であり、番付の書き手となる行司は、書き手の助手として何年にもわたって修行や補佐をした上で、その任に就く。後述の通り、担当者には厳しい守秘義務が課されるため、相撲字の上手さよりも口の堅さが番付の書き手に求められる資質であると、番付の書き手を務めていた36代木村庄之助(番付を書いていた当時は式守敏廣)は述べている。とはいえ相撲字の腕前も卓越したものが求められるのは確かであるため、歴代の書き手を務めた行司は相撲字の名人と評されている者ばかりである。

 番付表の作成はBや2Bなどの柔らかい鉛筆で一人ひとり分の枠を引き、その後力士の四股名を書くにあたっては下書きを一切しない一発勝負である(※1)ため、書き手には特別なプレッシャーがかかる作業である。36代庄之助は、番付を書くにあたっては太さの違うが7本必要になるが、筆には当たりはずれもあることから、毎回20~30本の筆を買っていたと証言している。

 番付は相撲字(これ自体は全ての行司が練習する)と呼ばれる独特の書体で書かれるが、この時、紙に白い部分ができるだけ残らないように書くことがコツとされる。これには、客席に空きが出ないようにという願いが込められている。

 ちなみに、世に出回る番付表は畳一畳ほどの大きさのケント紙に書かれた元書きを縮小印刷したものである。

 なお、行司が番付を書くようになったのは昭和19年からであり、それ以前には番付版元として根岸治右衛門(※2)が書くという伝統が200年以上継続されていた。ただし行司全員が相撲字の修業をするという伝統は江戸時代から存在した。


 ※1……2代木村容堂(後に30代木村庄之助)によれば、かつて自らが番付を書いている途中で犬に用紙を踏まれ、墨の足跡をつけられた事があるという。この際には剃刀で足跡を切り取り、そのためにできた穴には下から別に紙を当てて完成させた。


 ※2……根岸治右衛門は大相撲唯一の世襲年寄名跡であったが、第2次大戦後に当時の襲名者(10代)が返上した事で廃止され現存しない。


番付編成編集

 本場所終了後の3日以内(通常は3日後の水曜日)に審判部長を議長とする番付編成会議が開かれ、翌場所の番付が編成される。番付は初場所を除いて当該場所初日の13日前(月曜日)の午前6時ごろに発表され(初場所の場合は発表日が早まる)、その時点から翌場所の番付発表までが、一つの番付の有効期間である。

 番付編成会議後に、新横綱・新大関および幕下から十両への昇進力士が発表されるが、新横綱・新大関が昇進伝達式を以て新地位で扱われるのに対し、十両昇進者に関しては番付発表日から関取として扱われる。新十両、再十両が先行発表されるのは、新十両力士が化粧廻し、締め込み、正装の紋付などを準備する必要があるためである。それ以外の地位については番付発表まで極秘扱いされる。

 「番付は生き物」や「番付運」という言葉があるように、番付編成に関しては恣意性(作為性とは限らない)や時代・情勢による多少の変化はつきものだと考えられている。

力士の階級について編集

十両以上の力士を関取と呼び、給料が支給され一人前の相撲取りとして扱われる。幕下以下は「力士養成員」という扱いとなり、十両以上と幕下以下とでは待遇が一変する。幕下以下の力士は俗に「取的」や「若い衆」とも呼ばれ、関取や親方などの付け人などの雑務もこなさなければならず、結婚も許されていない(入門時に既婚、あるいは妻帯者が十両から幕下に降格の場合は別居しなければならない)。

 廻しについても、関取は稽古用の白廻しと取組で用いる締め込みが別になっているのに対し、幕下以下の力士は黒の稽古廻しで本場所の土俵に上がる。また、関取は本場所において15日間毎日取組があるが、幕下以下の場合、本場所では原則として7番(7日間)しか相撲を取らない。取組編成の都合上、幕下以下の力士が例外的に8番目の相撲を取る場合、「勝ち得、負け得」と言って、その相撲の白星を星勘定に加算し、負けた場合には黒星として扱わない、という見返りないしは救済措置がある(※)。

 なお、幕下以下の力士は通常は相撲部屋に住みこみ、師匠に必要経費が支給されるので、関取になれなくとも衣食住に困るようなことはない。

 ちなみに、力士志望者は入門後新弟子検査を受けなければならない。受験資格は後述の例外を除き、検査日に於いて23歳未満で、中卒以上または出身国の義務教育を終えた男子となっている。体格検査(幕下付出は免除)および健康診断を受け、合格すれば力士としての活動ができるようになる。余談だが、体格検査については髪を盛る(頭部へのシリコーン注入は現在では禁止)、背伸びをする、水を大量に飲んで文字通り体重を水増しするなどしても合格と判定される。即ち、志望者の熱意を優先し、厳密に基準を適用しないということはままある。

 詳細は下記の通り。


(※)極端なケースでは、2005年の九州場所において、既に7戦全敗を喫していた幕下力士が千秋楽に十両力士(この力士も14日目まで全敗だった)との八番相撲が組まれていたものの、対戦相手の十両力士が引退届を提出したため不戦勝となり、1勝7敗で場所を終えた、という事態が発生したことがある。

横綱および三役編集

 横綱大関関脇小結については、個別の記事を参照されたい。

幕内前頭編集

 幕内力士のうち、横綱及び三役を除いた力士。一般的に「前頭」というのは、この地位を指す。役についていない幕内力士であるため、「平幕」ともいわれることがある(ただし、前頭○枚目ということはあっても、平幕○枚目ということはまずない)。前頭5枚目以上は役力士との対戦が組まれるが、6枚目以下だと好成績でもない限り、あまり役力士との対戦は組まれない。ただし、平幕中位以下であっても大勝ちすれば、大関や横綱との対戦が組まれる場合もあるし、一気に小結や関脇まで昇進することはありうる。

平幕力士が横綱に勝つことを「金星を挙げる」(横綱側から見れば「金星配給」)といい、金星を獲得すると場所ごとに力士に支給される褒賞金に4万円が加算される。ただし、不戦勝や横綱の反則負けの場合は金星とはならない。

 横綱・三役を含めた幕内の定員が42名となっており、平幕力士の人数は、役力士の人数によって変動する。大関、関脇、小結は東西に一名ずついなければならないため(大関が一名以下で、横綱がいる場合は、番付表記上でのみ横綱が「横綱大関」という扱いになる)、42人から6人を引いた東西各18枚・合計36人が、2020年3月現在、制度上ありうる平幕力士の人数の最大値である。

また、幕内全員の特権として、5、7、9月場所は四股名や派手なイラストが描かれた「染め抜き着物」を着用したり、自分の四股名入りの控え座布団を本場所に持ち込むことができる。

「前頭」という語について編集

 番付上は、横綱及び三役以外の力士の地位はすべて「前頭」と書かれ、平幕力士や十両力士の場合は個別に、幕下以下の場合は「同」の字またはその略字で何人かまとめて地位を表記する。「前頭」とは「前相撲の頭」という意味から始まったとされ、番付に載らない前相撲(後述)より格上であることを示す。従って、関脇・小結から平幕に下がることを「前頭に落ちる」ということはあっても、十両から入幕を果たすことを「前頭に上がる」というのは誤りになる。


十両編集

 正式な呼称は十枚目で、当日の取組表(会場で配布されたり、相撲協会のウェブサイトに掲載されたりする)や、優勝決定戦のアナウンス、表彰状には正式名称が用いられる。もともとは、幕下の上位10枚目までに10両の給金を渡して特別待遇を与えたことがこの地位の由来だといわれている。江戸時代には存在せず、明治の半ばになって正式な存在となった比較的歴史の浅い地位である。

 幕下から上がってくる勢いのある力士や、幕内から落ちてきた力士らが競い合い、かつ大負けすると関取の座を失うことから、厳しい地位であるといえる。

 在位する力士の実力が拮抗し、また、枚数が少ないために十両内での位置に関係なく取組が組まれることから、十両での全勝優勝はその他の地位に比べて極めて少ない。1場所15日制の下では、栃光(のち大関)、内田(のち大関2代豊山、時津風・相撲協会理事長)、北の富士(のち横綱)、把瑠都(のち大関)、そして栃ノ心(のち大関)の5名がそれぞれ1回だけ成し遂げており、2020年1月場所終了時点において十両と幕内双方で15戦全勝優勝を達成したのは北の富士のみである。

 なお、幕内に休場者が出た場合、穴埋めのために十両力士が繰り上がって幕内の相撲に出場する。ただし、その場合でも土俵入りは本来の番付通り、十両土俵入りの時に行う。

 定員は東西各14枚の28名。

幕下編集

 本来の意味からすればは幕内以外全員幕下である。一般的な意味で言う幕下は正式には幕下二段目と称するが、「十枚目」よりも目にする機会は少ない。ただし前述の十両が分かれて正式な関取としての地位が確立する前については、現在の幕下と区別する目的で「二段目」と表現される事がある。

幕下15枚目以上(幕下上位と呼ばれる)になると、関取の座も窺えることから、十両昇進・十両復帰を狙う者たちがひしめく競争の激しい地位となる。ここから博多帯と冬場のコート着用および番傘の使用が認められる。

 幕内や十両に休場者が出た場合、その穴を埋めるために幕下上位の力士が十両の土俵で相撲を取る。このとき、十両の土俵で相撲を取る幕下力士は、関取同様に大銀杏を結うことが義務付けられる(出世が早いなどの理由で大銀杏が結えない場合はこの限りではない)。

 定員は東西各60枚、計120名(幕下付出を除く)である。

 幕下東西15枚目以内で全勝した場合、優勝の有無関係なく十両昇進第一位優先権を獲得する。たたしあくまでも十両昇進の権利が第一位で優先されるだけで、100%十両昇進が確定するものではない

 余談だが、ポケモンマクノシタの名前は、この地位に由来している。

幕下付出編集

 アマチュア相撲で実績のある者(※1)を入門時に優遇する制度。現在は幕下10枚目格と、15枚目格の付け出しがある。それぞれ幕下10.5枚目、15.5枚目というイメージになるが、番付には掲載されない。1966年から2000年9月までは、幕下60枚目(最下位)格付出に固定されており、最後に適用されたのは岩木山(のち小結、現・関ノ戸親方)である。

 大正時代から2010年代半ばまでは付出が設けられていたのは幕下のみであったが、近年には八百長への関与を疑われて日本相撲協会を一度解雇された後に、解雇無効判決を受けた蒼国来を「幕内最下位格付出」の地位で現役復帰させることを検討したケースもある(※2)。

 当然のことではあるが、幕下付出でデビューしたからと言って上位での活躍が保障されているわけではなく、関取に昇進できずに引退した者も少なくない。


 ※1……幕下15枚目格付出は、全日本相撲選手権大会(アマチュア横綱)・全国学生相撲選手権大会(学生横綱)・全日本実業団相撲選手権大会(実業団横綱)・国民体育大会相撲競技(成年男子A)(国体横綱)のうち一つを優勝、幕下10枚目格付出は、アマチュア横綱と、それ以外の三つのタイトルのうち一つを獲得することでその資格を得る。ただし、有効期間は優勝から1年以内である。幕下10枚目格付出は2015年3月現在、清瀬海(当時は市原、最高位西前頭10枚目)と、現役の遠藤御嶽海(みたけうみ)しかいない。

 ※2……実際には、2013年の名古屋場所において、解雇直前の地位である西前頭15枚目で復帰した。

三段目編集

 正式には「幕下三段目」と呼ぶ。名称の由来は、番付表の上から三段目に書かれることから。この地位になると、雪駄の着用が許される。この地位でどのような成績を上げられるかが、関取になれるかどうかの分かれ目、とする見方も存在する。定員は東西各100枚、合計200人である。

三段目最下位格付出編集

 2015年5月に相撲協会の理事会により承認され、適用されることになった制度である。全日本選手権、全日本実業団選手権、国体成年個人の3大会のいずれかでベスト8以上の成績を収めた者が対象である。新弟子検査の年齢制限がこの場合に限って緩和されており、新弟子検査前日時点で満25歳未満の者となっている。

 この制度の適用第一号は、石橋(現・朝乃山)と小柳(4代豊山)である。

序二段編集

 「序二段」の名称は番付表の下から二段目に書かれることから。三段目に続く地位という意味で四段目という表現が古くは存在したが、現在ではまず用いられない。

定員は定められていないが、2014年においては東西各89枚から101枚、178~202人がその地位にあった。

序ノ口編集

 番付に載る地位の中では最も低い。番付表には極めて小さな文字で書かれることから「虫眼鏡」との俗称がある(いわば比喩であり、実際には肉眼でも読み取れる文字の大きさではある)。

 この場所で1番でも相撲を取れば、たとえ全敗であっても翌場所も序ノ口に留め置かれるが、逆に全休をすると翌場所は番付に載らない前相撲の地位に陥落する為、負傷により休場している力士であっても、七番相撲を取るために13日目から出場する(成績上は1勝6、または1敗6休となる)ケースは多い。

 物事の取りかかりを指す「序の口」という単語は、この地位に由来する。

前相撲編集

 その場所で初土俵を踏む力士(幕下付出・三段目付出を除く)、ならびに前の場所において序ノ口で全休した力士がこの地位で相撲を取る。番付には掲載されないため「番付外」との呼び方もある。2014年現在、前相撲を1番でも取れば、その成績に関わらず次の場所で序ノ口に昇進する。古くは前相撲で1勝もできない力士は出世させずに翌場所も前相撲のままで留め置いていた。

力士以外の階級について編集

 行司、呼出、床山にも階級があり、基本的には年功序列だったが、昭和40年代には実力審査が公式に加えられ、優秀と判断されれば上位を追い越して昇進していく。このため上位をことごとく抜いて高速出世し長く上位を務めた者がいる一方で、抜かれて出世が止められてしまった者もいる。

行司編集

 相撲の勝敗を判定し(ただし、勝敗の最終決定権者ではない)、取組の進行を行う。他には場内アナウンスや番付書き、各種会議の書記、土俵入りの先導など、様々な役目を担っている。

階級は、上から、立行司(首席木村庄之助、次席式守伊之助)(※1)、三役格行司、幕内格行司、十枚目格行司、幕下格行司、三段目格行司、序二段格行司、序ノ口格行司と続く。昭和26年5月から34年11月までは立行司と三役格行司の間に副立行司という地位もあったが、現在は既に廃止されている。

 番付にはその場所が初土俵となる行司を除いて、全員の名前が書かれる。また、立行司については代数も記載される。

 なお、行司の改名は力士の改名とは逆に、姓を変えた事には触れず、下の名前が変わった事のみが添え書きされる。例えば木村和一郎(後の38代木村庄之助)が式守与之吉を襲名した際には、「和一郎改式守与之吉」と書かれていて、木村から式守に改姓した事には触れていなかった。これは元々は行司の改姓が存在しなかったため、生涯1つの姓で通した事に由来している。


※1……昭和2年1月から26年1月までは3席として大坂相撲の立行司名である木村玉之助も存在、東京大坂合併当時の13代から副立行司に降格した16代までがいた。降格された本人である16代が停年退職して以降、同地位の名跡である「木村玉之助」を名乗る者は誰もいない。


呼出編集

 取組前に力士を呼び上げる者。他にも土俵の整備(土俵を造るのも呼出の仕事である)や力士や審判委員の世話、補助を行う。力士や行司とは異なり、「秀男」「拓郎」のように、下の名前しかないのが特徴。

 階級は、立呼出、副立呼出、三役呼出、以下、幕内呼出、十枚目呼出、幕下呼出、三段目呼出、序二段呼出、序ノ口呼出と続く。番付に記載されるのは十枚目呼出以上(資格者という)である。

 余談になるが大相撲が財政難とGHQの民主改革に苦慮していた前後すぐの頃から、呼出の着る着物はおつまみの製造販売会社であるなとりがタニマチ(スポンサー)として用意している。そのため呼出の着物には背中に大きく「なとり」と企業ロゴが書かれているものがあり、この事から呼出は力士を呼び上げる役目も絡んで「なとり(名取り)さん」と呼ばれる事がある(厳密には、思いっきり誤用だが)。

床山編集

 力士の髷を結う者。勤続年数と成績に応じて特等から五等までの六つの階級に分けられ、三等までが養成員扱いとなる。ただし、関取の正式な髷である大銀杏を結うことができるようになると、一人前扱いをされる。「床○」という床山名を名乗る。

 番付には特等床山と一等床山が記載される。


参考文献・資料・ウェブサイト編集

  • 33代木村庄之助『力士(ちからびと)の世界』 (<文春新書 603>文藝春秋、2007年)
  • 金指基 原著、日本相撲協会 監修『相撲大事典』(現代書館、第3版2011年、初版2002年)
  • 根間弘海『大相撲行司の世界』(<歴史文化ライブラリー332>吉川弘文館、2011年)
  • 「相撲」編集部・編『大相撲人物大事典』(ベースボール・マガジン社、2001年)
  • 佐竹義惇『戦後新入幕力士物語 第2巻 昭和30年-39年』(全5巻。ベースボール・マガジン社、1990年)
  • 三十六代木村庄之助『大相撲 行司さんのちょっといい話』(<双葉文庫>双葉社、2014年)
  • 『相撲』2014年7月号(第63巻第8号、通巻829号)付録、平成26年7月場所番付表
  • 相撲レファレンス

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