曖昧さ回避
- サクラソウ科ヤブコウジ属の小低木であるヤブコウジの別名。
- 10両(列車の両数)の表記揺れ
大相撲における十両
江戸時代には存在せず明治時代の1888年(明治21年)春場所より給与制度が導入された際に幕下上位10枚目以内の力士に給与が支給された事から創設された。
正式な呼び名は「十枚目」でこれは上記の幕下上位10枚目以内から来ており「十両」は当時の給金の額から来ている。当初は東西併せて20人が定員であったが現在は東西14枚目まであり28人となっている。
関取と呼ばれるのようになるのはこの地位からで幕下以下の力士養成員の立場では少額しか貰えなかった給金も多く貰えるようになり付け人がついたり部屋にもよるがちゃんこ番等の雑務から解放されたりと待遇面が一気に良くなる。
大相撲における主な十両力士(最高位が十両、現役を除く)
- 鶴嶺山宝一:元関脇鶴ヶ嶺の井筒親方の長男で弟の逆鉾、寺尾と共に井筒三兄弟と呼ばれる。二人の弟のように幕内には昇進できず引退後は「相撲茶屋寺尾」を経営している。
- 維新力浩司:現在はプロレスラーとして知られる※。80年代後半に十両に定着し十両時代の若貴兄弟や曙とも対戦経験がある。1990年秋場所をもって引退しプロレスへと転向した。
- 五剣山博之:藤島部屋→二子山部屋にかつて所属していた。横綱貴乃花の付き人を務めた事で知られ身長194cm 体重195kgの巨漢力士であったが幕内昇進とはならなかった。
- 栃天晃正嵩:最高位は1993年9月場所の東十両4枚目。40歳を越えても現役を続けて1982年の初土俵から2011年の引退まで通算175場所を経験した。なお栃天晃の引退によって1985年に閉鎖した旧蔵前国技館での本場所を経験した現役力士はいなくなった。
- 大竜忠博:現在の大嶽親方。大鵬部屋に所属して最高位は東十両4枚目。引退後は複数の年寄名を経て大鵬部屋(大鵬の定年後は大嶽部屋)の部屋付き親方となるが先代の大嶽親方(元関脇貴闘力)が野球賭博問題で解雇になった後に大嶽部屋を継承した。
※プロレスラーに転向した力士に玉麒麟(田上明)、花嵐(のちの大黒坊弁慶)などがいる。