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貴乃花

たかのはな

元大相撲の力士。引退後は一代年寄元貴乃花親方。 第65代横綱。平成の大横綱の一人。
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貴乃花 光司 (たかのはな こうじ)は東京都出身の力士

1972年8月12日生まれ。

本名 花田 光司 (はなだ こうじ)。

身長 185cm、体重161kg。

最高位は横綱

幕内最高優勝22回

四股名は貴花田(初土俵)⇒貴ノ花(大関昇進時、二代目)⇒貴乃花。


入門から大関まで

父は元大関貴ノ花、母は女優の藤田憲子。兄に第66代横綱3代若乃花。伯父に第45代横綱初代若乃花がいる。

1988年に兄と共に藤島部屋に入門した。同期に大海(後の第64代横綱)、古賀(後の大関魁皇)がいる。

1989年に関取となった。さらに、1990年には新入幕を果たした。いずれも史上最年少記録である。

1991年5月場所初日に横綱千代の富士に初挑戦し、史上最年少で初金星を獲得した。千代の富士はこの2日後引退した。

1992年には、19歳5か月で初優勝を果たした。その後、20歳5か月で大関に昇進。双葉山以来となる2場所連続全勝優勝を達成し、念願の横綱になった。


横綱時代

新横綱として迎えた1995年初場所では、初日に武双山に黒星を喫するが13勝2敗で優勝した。

曙・貴乃花・若乃花・武蔵丸・貴ノ浪の5強体制は史上最強布陣と言われ、92年秋場所から98年秋場所まで6年間も上記の5人で優勝を独占していた(魁皇・武双山が大関に中々上がれなかった要因の1つ)。

その後、若乃花、武蔵丸も横綱に昇進して4横綱を経験した。

しかし、2001年5月場所14日目の武双山戦で右膝半月板を損傷する大怪我を負った。周囲からは休場を勧められたが強行出場し本割で武蔵丸にあっけなく敗れ、誰もが貴乃花の優勝を諦めかけていたが、優勝決定戦で渾身の上手投げで武蔵丸を破り、22回目の優勝を果たした。勝った時の顔立ちは『鬼の形相』と呼ばれ、表彰式では小泉純一郎「痛みに耐えてよく頑張った!感動した!おめでとう!」と称賛された。


引退

しかし、怪我の代償は大きくこの後7場所連続休場に。

休場明けの2003年1月場所8日目に安美錦に敗れ、翌日引退した。これ以降、稀勢の里が第72代横綱に昇進するまで日本出身横綱が14年間不在となった。貴乃花は功績を評価され一代年寄貴乃花を贈られた。


親方として

引退後は日本相撲協会で理事を務めていたほか、2010年に二所ノ関一門から独立。貴乃花親方を軸として「貴乃花一門」を形成していた。弟子は貴ノ岩貴景勝らが関取となった。


貴乃花事変

2017年秋に弟子の貴ノ岩日馬富士に暴行された事件をきっかけに相撲協会の執行部と対立。後に日馬富士は責任を取り引退したが、その後も内閣府に告発状を提出するなど対立を続けていたが、2018年春場所で弟子の貴公俊が付き人に暴行する事件が発生。一転して責任を追及される立場に追い込まれる。


最終的には理事から最下位の年寄にまで降格させられ、貴乃花一門は消滅。現存するいずれかの一門に所属しなければ部屋の取り潰しなど重大なペナルティが課せられると報道される中、2018年9月に相撲協会を退職。所属していた力士は全て千賀ノ浦部屋に移籍となった。

翌年、相撲の普及活動を目的とする一般社団法人貴乃花道場の理事となり、現在に至る。


その他

元妻はフジテレビアナウンサーだった(現タレント河野景子で、1男2女の父。

長男の花田優一は靴職人として活動中。


兄・若乃花こと花田虎上(勝)とは様々な要因で確執が続いている。明確な原因はわかっていないが、兄弟対決の頃が起点ではないかとの説がある。

また息子の長男優一との確執も公となり、貴乃花は絶縁したことを明らかにしており、優一もこれに対し、各種メディアで父親を非難し、お互い真っ向から反発しあっている。


現役時代にはストイックな人柄として報じられていたが、後年では対人関係において不器用な面が報道でも目立つように。


関連項目

相撲 大相撲 力士 横綱

松村邦洋 日村勇紀バナナマン):ものまね

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