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概要編集

1984年生まれ。モンゴルウランバートル市出身(大相撲での取り組みでは実父の出身であるゴビ・アルタイ県を出身地としている)。現在の所属部屋は伊勢ヶ濱部屋。しこ名は「日馬富士 公平(はるまふじ こうへい)」(大関昇進までは「安馬 公平(あま こうへい)」)で、本名は「ダワーニャミーン・ビャンバドルジ」


三人兄弟の末っ子。父親は警察官であった。2000年に安治川部屋(現在の伊勢ヶ濱部屋)からスカウトされ入門。2001年に前相撲の形で初土俵。次の3月場所でいきなり序の口で初優勝をしたのをはじめとして番付を徐々に上げて行き、2004年3月場所にて新十両昇進。さらに同年の11月場所で新入幕。関脇として臨んだ2008年11月場所では白鵬との優勝決定戦で敗れはしたものの、大関昇進の基準を満たしていたため大関昇進が決まる。この時にしこ名を「安馬」から「日馬富士」に変えた。


大関昇進後は2009年・2011年に1回ずつ優勝してはいるものの、成績が安定しなかったが、2012年の7月場所・9月場所に2場所続けて15勝全勝・優勝を達成し、場所後に横綱へ昇進した。横綱昇進後は2013年に2回、2015年に1回、2016年に1回、2017年に1回優勝。大横綱白鵬が在位しているなか、合計9回も幕内優勝を決めている。

朝青龍の引退後は白鵬最大のライバルで天敵だった、対戦成績21勝36敗。


本人も節目となる10回目の優勝を目指していたが、2017年11月29日に下記の不祥事の責任を取る形で引退届を提出、受理された。

引退までに日本国籍を取得できず、親方になれなかったため伊勢ヶ浜部屋のコーチとして部屋にとどまり(親方になれなかった元関取がコーチやアドバイザーなどで角界に残ることは珍しくは無い)、また実業家として、モンゴルの首都郊外に小中高一貫私学「新モンゴル日馬富士学校」を開校させ、理事長として祖国で人材育成に励んでいる。



不祥事編集

2017年10月、モンゴル人力士同士の飲み会で後輩の貴ノ岩の態度にキレた日馬富士は「ビール瓶で彼を殴打、貴ノ岩は右中頭蓋底骨の怪我を負った」と、スポーツニッポンスクープした。貴ノ岩はしばらく自身の師匠である貴乃花親方(当時、以下同じ)にも言えずにいたが、彼を問い詰めて事情を知った貴乃花親方は激怒、被害届を提出した。師匠の伊勢ヶ濱親方ともども貴乃花部屋に謝罪に訪れたものの、警察や相撲協会も動き出す事態になった。


ところが、同席していた白鵬からは暴行はあったが、ビール瓶で殴ったことは否定されていたり(※1)、貴ノ岩の症状はあくまで「骨折の疑い」で相撲に支障はないと医師から診断されたり(※2)と捜査が進むにつれて事態が二転三転しており、「酒を飲んでも怒っている所を見たことがない」という入門当時から日馬富士を見ていた近隣住民の証言(※3)や白鵬から「貴ノ岩もあの場で謝罪をしており、次の日も両者握手を交わして取組をした、お互い納得していた」という証言(参考ニュース1参照)もあった。真相は「白鵬・日馬富士が貴ノ岩への説教中に貴ノ岩がスマートフォンをいじっていたため、日馬富士が怒って平手打ちやリモコンでの殴打を繰り返した」というものだった(※4。先輩の前でスマートフォンをいじるのは大変失礼だと思うのだが・・・)。ちなみに貴ノ岩本人は「横綱が別の話をしていた際に返信をしていたので傷害を負わされる理由は全く無い」と危機管理委員会の聞き取り調査で説明している(※5)。


協会を通さずに警察へ届出を出した貴乃花親方の行動も一部から問題視されている(かつてから親方と協会の確執は話題になっていたため)。大事な弟子を怪我させられた親方の怒りはもっともだが、「巡業部長」として協会を通さなかったことで却って事態をややこしくさせたとも言われている。この結果、貴乃花は巡業部長から降ろされることとなった。


その後も警察と危機管理委員会で事実関係の調査を進めており、結果がまとまり次第処分が決まる方針だったが、日馬富士は処分を待たずに2017年11月29日に自ら引退の道を選んでいった。(※6)騒ぎが大きくなりすぎていたために復帰は絶望的だったが、残念な結果に国内外から惜しむ声が上がった。


真相が明らかになってみればスポーツニッポンが最初に報じた内容はかなり事実と相違(ビール瓶の有無や怪我の程度)しており、暴行を行った日馬富士に当然非はあるが、不確実な情報に相撲ファンからそうでない者まで翻弄されることとなった。おかげで今でもツイッター等で「横綱がビール瓶で殴った」と信じる人は多く、一部の漫画やアニメでもネタにされる始末となっている。この騒ぎが相撲の評価の低下に繋がったことは言う間でもないだろう。


事件から翌年には日馬富士と貴ノ岩の二人だけで飲み会をし和解したと報じられた。

そんな中開催された同年の九州場所は1996年以来21年ぶりに15日間の満員御礼を達成し、根強い人気を見せた。(※7)。


なお、その一年後、事件の被害者であった貴ノ岩が、周囲の支えもあって幕内復帰したにもかかわらず、今度は、付け人を殴打する暴行加害者となった挙げ句、引責の形で引退するという事態となった(しかも理由は「風邪薬を付け人が忘れた」というそれこそ些細な理由である)。

そのため、周囲から応援され散々フォローしてもらったにもかかわらず、最悪の形でその恩を仇で返したこととなり、暴力問題により厳しい目を向けられる原因を作っておきながら、自分自身がそれが引き金となって引退するという愚行であり、当然ながら非難轟々の事態となった。


※1~6…NHKwebニュース参考、1~5は記事がリンク切れのためリンク削除。

※7…サンスポのweb記事を参考、リンク切れ。



人物編集

  • 幕内力士では130kg代と軽量である。重心を低くして真っ向勝負で相撲に臨んでいる。
  • 祖国モンゴルの慈善活動にも積極的。地方の検診活動の費用を懸賞金で賄った。学校を建てたのも先述の通り。
  • 油絵がうまい。来日前にはモンゴルで美術学校に通い、15歳の時に個展を開いた経験もある。2015年には東京・銀座で個展を開いた。
  • 色んな後輩力士に分け隔てなく声をかけ、消極的な力士にはアドバイスを交えながら叱咤激励し(「参考リンク1」)、気迫溢れる力士には素直に称賛を送っていた(「参考リンク2」)。また稽古熱心であり、よく稀勢の里を求めて出稽古に行くことが大相撲放送でアナウンサーから語られた他、2016年9月場所が始まる前には初めて境川部屋を訪れ、豪栄道らと稽古したことが話題になった。
  • 2014年に法政大学大学院政策創造研究科に入学。2017年まで大学院生として在籍していた。現役引退後の2019年からは城西国際大学大学院の国際アドミニストレーション研究科に通い、経営管理や教育者としての見識を学び2021年に修了。

関連タグ編集

相撲大相撲 力士 横綱 白鵬 鶴竜

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