略歴
豪栄道豪太郎はの境川部屋所属の力士。本名は澤井豪太郎。
相撲との出会いは小学校1年の時で、当時やんちゃだった豪太郎少年を見かねた両親が「自分より凄い子がいることを思い知らせる」ために地元の相撲大会に出場させた所、両親の思惑とは裏腹に優勝してしまい、本人もそれ以来相撲の虜になる。小学校3年から本格的に相撲を習い、小学校5年生の頃に「わんぱく横綱」となる。
中学時代は体重が増えずに低迷したが、高校の監督からの勧誘をきっかけに増量に努め、それが功を成して埼玉栄高校入学以降は頭角を表し、高校横綱、世界ジュニア相撲選手権大会無差別級優勝などのタイトルを獲得。
卒業後、境川部屋に入門し、2005年1月場所に初土俵。
2006年11月場所において新十両へ昇進し、四股名を本名の「澤井」から「豪栄道」へと改名。
2007年9月場所にて新入幕。大勝したためにいきなり優勝争いに加わり、12日目から大関や横綱との取組が3日連続で組まれたが、いずれも勝つことはできなかった。最終的には11勝4敗と好成績で終わる形となり、存在感を十二分に知らしめることになった。
2010年に発覚した大相撲野球賭博問題では野球賭博に関与したため謹慎休場となり、一時的に十両に陥落するも一場所で幕内に復帰。謹慎中は自責の念に思い悩み、引退を口にすることもあったが、母親や師匠のフォローもあって立ち直ることができた。
2012年5月場所から2014年7月場所まで、連続14場所関脇を務め、関脇連続在位記録を樹立、更新。この安定した成績が評価され、同年9月場所大関に昇進した。
大関昇進以降は度重なるケガもあって成績はふるわず、2016年7月場所までの大関での勝率は5割2分、度々大関カド番を迎える。
しかし4度目のカド番を迎えた同年9月場所で全勝で初優勝。
30歳5カ月での初優勝は、年6場所が定着してから歴代5位、新入幕から54場所目の初優勝は1909年以降4番目のスロー優勝。またかど番を迎えた大関の優勝は史上3人目で、全勝優勝となると史上初の快挙となる。
その後の九州場所では6日目に黒星を喫したあと相撲に精細を欠いて黒星を重ねてしまい、結局綱とりは白紙に戻ってしまった。
その後も好不調の波は大きく、史上最多9度目のカド番を迎えた2020年初場所では楽日を待たずに負け越し、関脇陥落が決定。千秋楽にも、白鵬、鶴竜の両横綱が休場する中、貴景勝との大関同士との一番が組まれることもなく、5勝10敗と大きく負け越し場所を終えた。
場所後に現役引退を表明し、年寄・武隈を襲名。当面は境川部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたる予定。
余談
- 四股名に「豪」という字が入っている事から外国人力士と勘違いされる事が多いが、これは本名(豪太郎)由来であり、本人はバリバリの日本人である。
- 大関になってからは上記のように成績が振るわなかったこともあってか、ピクシブ百科事典では単独記事が2016年9月場所に優勝するまで作られなかった。この時の現役大関としては最後の記事作成である。
- 元幕下力士でお笑い芸人のマービンJr.は高校時代の後輩に当たる。
- かなり首投げを試みる力士であったが、主にそれは土俵際の苦し紛れの捨身である事が多く、異常に綺麗に決まる事もあるが殆どが墓穴を掘り、安易に頼る悪癖と言われていた。しかし全勝優勝の際のターニングポイントとなった13日目の日馬富士との取り組みでは押し込まれてる中完璧なタイミングでの首投げで逆転の白星を奪い取り、完全に豪栄道を象徴する技となった。
- 現役時代は稽古熱心で本場所の勝負に真剣な面があった一方で、金遣いや人遣いの荒さも指摘されていた。
関連人物
- 境川親方(第12代)
入門時からの師匠。
現役時代は両国の四股名で活躍した(最高位は小結)。
同級生で高校時代からのライバル。
同い年で同じ境川部屋所属にして高校時代も同じ埼玉栄高校の相撲部であった。
高校の二年後輩。