鶴竜
かくりゅう
1985年生まれ。モンゴル国ウランバートル市出身(大相撲での取り組みでは実父の出身であるスフバートル市を出身地としている)。しこ名は「鶴竜 力三郎(かくりゅう りきさぶろう)」で、本名は「マンガラジャラブ・アナンダ」。
井筒部屋でキャリアをスタートさせ、同部屋の閉鎖後は陸奥(みちのく)部屋へ移籍。幕内最高優勝6回。
裕福な家庭に生まれ、文武両道であった。自宅で相撲中継も視聴することができたため、モンゴル国内での「相撲ブーム」の影響で力士を志すようになる。(当時の)井筒部屋への入門が決まり、2001年に来日し初土俵。
徐々に番付を上げて行き2005年11月場所にて新十両昇進。この時は一度幕下へ落ちたが、1場所で十両に戻り、番付を上げて2006年11月場所にて新入幕。関脇として臨んだ2012年3月場所では白鵬との優勝決定戦で敗れはしたものの、大関昇進の基準を満たしていたため大関昇進が決まる。
2014年の1月場所では14勝1敗の成績で白鵬との優勝決定戦で敗れはしたが、3月場所が綱取り場所となり、その3月場所で14勝1敗の成績をとって初優勝。場所後に横綱へ昇進する。鶴竜の横綱昇進によって、雲龍型の横綱土俵入りと、3横綱体制が久しぶりとなった。横綱昇進後は優勝に届かない成績が多かったが、2015年9月場所では白鵬・日馬富士の途中休場のため1人横綱として場所に臨み、12勝3敗の成績のあと大関照ノ富士との優勝決定戦に勝って、横綱として初めて優勝を決めた。
その後は腰の怪我もあってか横綱としてはいまいちパッとしない場所が続いたが、2016年11月九州場所では初日から抜群の安定感を見せ、千秋楽を待たずして14日目に3度目の優勝を決めた。が、2度の待ったの後の取組であったことと、18時からフィギュアスケートのNHK杯の放送が控えていたため、優勝インタビュー中に番組が終了するというハプニングがあった。
2017年は5月場所以降は成績不振と怪我の影響で、途中休場を含め4場所連続で休場。休場明け場所となった2018年1月場所は白鵬・稀勢の里の休場のため1人横綱として場所に臨んだ。この場所で自信を取り戻し、続く3月場所・5月場所では自身で初めての幕内優勝連覇を決めた。
2021年3月場所前に行われた合同稽古では、御嶽海に対して30連勝するなど好調ぶりを発揮しており本人も出場する決意を見せていたが、初日直前になって脚の肉離れを起こし結局5場所連続の休場に。当初は現役続行の意思を見せていたが、場所中に引退を表明した。
現役引退後も親方として日本相撲協会へ残るつもりで、2020年12月に日本国籍を取得(本名は変更せず)。引退時の四股名のまま年寄の資格を5年間得る制度を使ったのち2023年12月に年寄「音羽山」を襲名、陸奥部屋から独立(音羽山部屋)した。
- 顔が犬に似ていてかわいい。ネット掲示板に「実家の犬に似ているから応援する」という書き込みがあったことが話題となり、ファンからは「わんわん」と呼ばれている。
- 礼儀正しい。また、控えめな性格で感情を表に出すことが少ない。
- ただし、自身の現役時代の途中まで同じ時津風一門所属であった逸ノ城の稽古態度には手を焼き、彼に怒りを見せることもあった。
- 関取となると殆どの力士は移動手段にタクシー等を使う中、彼は部屋でも会場でも自らの足(徒歩または自転車)で移動している。
- モンゴル語と日本語のほか、英語とロシア語も話せる。日本語が上手く、2016年九州場所千秋楽のインタビューで不調だった2年間を振り返って「止まっていた時が動き出した」と表現し、実況していた藤井康生NHKアナウンサーを唸らせた。
- 幕内初優勝は1909年の大相撲個人優勝制度制定後、通算100人目。
- 横綱昇進後、当時の井筒部屋の力士が足りなかったため、他の部屋から付き人をわざわざ借りてきた。2019年に元逆鉾の井筒親方が急逝、井筒部屋閉鎖に伴い陸奥部屋へ転籍。
- 2015年に第1子となる女児が誕生。体重は4480gと重かった。
- 2020年3月場所のみ大関が貴景勝1人になった事から、西横綱の彼が大関を兼ねる「横綱大関」として番付に記載された。