概要
千代の富士貢(ちよのふじ みつぐ)は、元大相撲力士。第58代横綱。
北海道松前郡福島町出身。2014年まで日本相撲協会理事。本名は秋元貢。
通算1045勝、幕内通算807勝、53連勝を記録するなどして一時代を築いた。優勝31回。横綱在位59場所。11月場所(九州場所)では8年連続を含む9度優勝しており、旧・蔵前国技館と現・両国国技館の両方で優勝した唯一の力士である。また、第61代横綱・北勝海(現・八角親方)は弟弟子である。
昭和最後の大横綱として
身長:183cm、体重:127kg(現役時代)。
デビュー当時は体重が100Kgもない小兵(小柄)であったが、大乃国、小錦などの大型力士を相手に圧倒的な強さを誇り、独特のワイルドな風貌から「ウルフ」の愛称で親しまれ、国民的人気を博した昭和の大横綱である。
圧倒的な強さのほかに四股の美しさ、出し投げ、上手投げの鮮やかさは今なお語り継がれるほどである。
特に重い綱を締めた状態の四股で、足が頭より高い場所まで高々と上がる横綱というのは千代の富士や貴乃花など数えるほどしかいない。
1988年(昭和63年)には5月場所7日目から11月場所14日目まで69連勝の双葉山に次ぐ歴代2位(当時、現在では白鵬に抜かれ3位)53連勝を達成(この間4場所連続優勝)。敗れた11月場所千秋楽の結びの一番の大乃国戦が、結果として大相撲の昭和最後の取組となった。
デビュー当初は上手投げを主力とした「投げ相撲」を得意とし、向かい合う対戦相手をちぎっては投げの豪快かつ華麗な取り口を持ち味とした。
しかし階位が上がるごとに、相手の体重も技量も上がり、73年3月場所の白藤戦で左肩を脱臼、そこからたびたび左肩を脱臼、さらに部屋での稽古や生活でも脱臼を繰り返した。これは後の検査で、彼の肩関節の臼の深さが平均値の2/3しかねないほど浅く、先天的に脱臼しやすい体質だったことが災いしたことと判明している。
これからしばらく暗黒期に突入し、追い討ちをかけるように九重親方も急逝する。しかし九重親方から部屋を継承した北の富士親方の指導で、徹底した筋トレによる関節周りの補強と、これまでの投げ相撲から下手から廻しをとって引き付け、相手の体幹を崩す速攻を重視した「押し/引き相撲」へと切り替えた。投げる際も肩への負担の少なく、廻しの引き付けを活かせる「出し投げ」に軸を移した。
ここから息を吹き返し、徐々に調子を取り戻していき、やがて破竹の快進撃へと繋がっていった。
1989年9月場所には通算勝ち星の新記録を達成し、相撲界初となる国民栄誉賞を授与された。しかし頂点を極めたことで徐々にモチベーションが下がり始め、1991年5月には当時18歳だった貴花田(後の横綱貴乃花)に敗北。3日目の貴闘力に敗れた後に引退を発表した。引退会見における「体力の限界…ッ!気力も無くなり…引退することとなりました。」という涙ながらに言い切るような言葉は何度も放送され非常に有名である。
しかし一方で、力ある若手の登場を歓迎する姿勢も見せ、次世代の力士に角界を託す旨も述べている。
引退後
引退後は一代年寄を贈られるも辞退。このため、千代の富士の名跡は力士の現役名として使用可能であり、将来的に「三代目千代の富士」が誕生する可能性が存在する。
1992年に九重部屋を継承し「九重親方」(13代目)として後進の指導をしてきた。師匠として、千代大海(現在の九重親方。14代目)を大関に育て、ほかにも複数の三役力士(小結三人)を輩出している。
もっとも弟子には出し投げや上手投げを得意とする四つ相撲の力士より、突き押し相撲の力士が多いため(これは初代師匠の千代の山が突き押しの力士だったこととも関係が深いと思われる)その日は遠いかもしれないが。
弟子の千代の国は投げ技に優れ、千代翔馬は千代の富士の取り口をお手本とすると公言しており、「三代目千代の富士」の可能性があるとすればこの二人であろう。
2015年には60歳を迎え、国技館で還暦土俵入りを行った。四股を踏むときの足は現役時代ほど上がらなかったものの、60歳とは思えぬ四股と肉体美であり、並の現役力士よりを凌ぐ見事なものであった。
しかし一方では膵臓がんを患っており、2016年7月31日に東京都内の病院で死去。享年61。
体型
大相撲力士としては異例と言えるほどに筋肉質なソップ型。特に肩の周りは強靱な筋肉で覆われていた。
これは肩の脱臼を繰り返して外れやすくなってしまい、その弱点を克服するために医者から筋トレによる肩の補強を薦められたことがきっかけ。
この“筋肉の鎧”を得て以降、千代の富士は数々の快進撃を披露し、大横綱となった。
まさに怪我の功名といえよう。
なお、筋肉のおかげで脱臼はしにくくなったものの、この状態から脱臼を起こすと応急処置で嵌め直すことすら困難であり、処置を施せるのは元大関清國の9代伊勢ヶ濱親方ただ1人だけであった。
余談
存在感は圧倒的。あまりの存在感のため、最後の取組の時には在位を59年と間違ってアナウンスされた。その知名度から創作作品でも名前が登場することがある。
各界でも知られた家族愛の深い人物で、当時優勝記念の場に女性や子供を入れることを忌避する風潮があったにもかかわらず、記念撮影の場に1歳の長女を連れて膝に乗せて写真を取った。しかもそれを次女・三女でもやってのけた。
残念ながら三女は幼くして夭折してしまったが、その娘に捧げるように次の場所でも優勝を飾った。
有名ドコロでは、『キン肉マン』に登場するウルフマン(アニメ版ではリキシマン)は同氏がモデルであり、投稿者による応募キャラクターが多い本作において作者のゆでたまご自身がデザインした数少ないキャラクターである。
なお、千代の富士当人はウルフマンを気に入っていて、アニメ版で大人の事情で名前を変えたことに対し「なぜ変えたのか、ウルフマンのままでよかったのに」とゆでたまごに会った際に述べている 参考
また『ジョジョの奇妙な冒険』に登場する空条承太郎は好角家であり、プロフィールにて同氏のファンであると語られている。
横綱時代は人格者と信じられていたが、後年では目線を下げられないお山の大将というマイナス面が多々報じられている。
関連タグ
サクラチヨノオー:四股名由来の競走馬