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概要

1976年4月29日生まれ、北海道千歳市生まれ、大分県大分市育ち、本名:須藤龍二(旧姓・廣島)、千代大海龍二


少年時代のあだ名は「ブッチャー」。高校受験に失敗し、中学卒業後、鳶職を経て九重部屋入門。


入門までの経緯には諸説ある。自身の引退直後に朝日新聞が掲載した記事によると、中学卒業後に始めた鳶職を3ヶ月で投げ出して悪友5、6人とアパートでシンナーを吸引していたところを母に見つかって家に連れ帰され、家に帰ってから母に心中を仄めかされたところ、それまで薦められても嫌がっていた相撲を取ろうと「千代の富士に電話をしてくれ」と母に頼み、1992年10月に既に九州入りしていた元千代の富士の九重親方に遭いに行くこととなったという。

一方で九重部屋継承後の『Number Web』の記事によると、中学2年生の頃から学校に行かず1人暮らしを始め、恩師である空手の師範が就職の世話をして鳶職になったが、3年ほどするとSPになりたいと母親に言い出したため母が出刃包丁を持って「いままで一生懸命育ててきたつもりだけど、そんなことを言うなら、この場でお前を殺して私も死ぬ」と泣き出し、母を安心させるために角界入りを約束したとある。


1992年11月に初土俵、「千代大海」と言う四股名は大分県の大と北海道の海という二つのふるさとに由来する。1997年9月場所で初入幕。


1999年1月場所で千秋楽(本割・決定戦は取直しで)の1日で3番取り、初優勝と大関に昇進。2010年に関脇へ陥落するまで、大関在位65場所(歴代1位タイ)の記録を持つ。大関在位時は14度(回数最多)も角番を経験した。幕内優勝は1999年、2002年、2003年に1回ずつ、合計3回。


2010年1月に引退し、20代目佐ノ山襲名2016年8月には、師匠にあたるもと横綱千代の富士、先代の九重親方が死去したのに伴い14代目九重を襲名し、九重部屋を継承した。


魁皇とは20勝34敗、琴光喜とは22勝20敗、栃東とは16勝18敗、雅山とは24勝22敗。


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大相撲 力士 大関 魁皇

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