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概要編集

首都ウランバートル
人口350万4,741人(2024年11月時点)
面積156万4,116平方km
通貨トゥグルグ
公用語モンゴル語
国家元首(職)大統領
政体半大統領制 共和国

モンゴル国(モンゴルこく・モンゴル語:ᠮᠣᠩᠭᠣᠯ ᠤᠯᠤᠰ、Монгол Улс・読み:モンゴル・オルス)は、ユーラシア大陸または東アジア北部に位置する共和国。中国ロシアと国境を接する内陸国で、国連加盟国の中で人口密度が最も低い国である。


現在の国土は清朝時代に外モンゴルと呼ばれたモンゴル高原北部の地域であり、南部の内モンゴルは現在中国の内モンゴル自治区となっている。モンゴル国に住んでいるモンゴル人よりも内モンゴル自治区に住んでいるモンゴル族の方が多い。モンゴル人は騎馬民族として中国を征服した歴史があり、13世紀には中国のみならず、ユーラシアを席巻していた。


国連分類では東アジアの国とされ、実際に2006年モンゴル対日世論調査では日本韓国などへの好意と関心の高さが報告されて近隣諸国への意識の一端が垣間見えた。だが上述のユーラシアを席巻してきた歴史があり、北アジアのロシア領内自治諸共和国にもモンゴル族は広がっている。また中央アジアテュルク諸民族は共にモンゴル帝国支配層を形成してきた同胞である。それらも考慮すれば、モンゴルはユーラシアの国という言い方が一番近いかもしれない。


歴史編集

近世以前編集

モンゴル帝国」を参照。


清朝からの独立編集

1636年5月から旧モンゴル帝国の故地は、モンゴル系諸ハン国衰退に伴って清朝に支配されていた。1911年12月に辛亥革命で清王朝が打倒されたのを契機に自立。チベット仏教でのモンゴルの化身であるラマであったボグド・ハーンを君主とする政権を樹立した。ロシア帝国から支援を受けて外モンゴルに加えて一時は内モンゴルの大部分も制圧するが、ロシア帝国は中華民国との外交的な配慮から内モンゴルを放棄する様に求めて撤退を余儀なくされ、1919年11月にロシア革命に乗じた中華民国からの侵略を受けて政権は崩壊する。


社会主義時代編集

1921年3月に人民党が結成されてからは旧ソ連の援助を求め、これに応じた赤軍・極東共和国軍はモンゴルに介入した。同年7月に人民革命が成功に終わって外モンゴルが解放された後は、1924年11月に世界で2番目の社会主義共和国としてモンゴル人民共和国が成立した。


1939年3月にホルローギーン・チョイバルサンが閣僚会議議長に就任。1941年3月にモンゴル語表記がキリル文字に切り替わった。1952年1月にチョイバルサンが死去した後にユムジャーギィン・ツェデンバルが就任し、その治世では1960年4月から表面化した中ソ対立で一貫してソ連支持の姿勢を取り、ソ連の方針でモンゴル文化の独自性は抑圧されて文化の東ヨーロッパ化が進行した。


一方でモンゴルなど東側諸国の5ヶ国・日本など西側諸国の13ヶ国が国連に加盟する案が国連安保理で一括協議されたが、1955年12月に中華民国がモンゴル加盟に領有権を主張して拒否権を発動したため、旧ソ連は報復として日本加盟に拒否権を発動した。結局、モンゴルが加盟するのは1961年10月まで持ち越されることとなったが、旧ソ連と東ヨーロッパ諸国は戦略的な要地であるモンゴル支援に注力して経済成長が続いた。


民主化・その後編集

1989年12月に東西冷戦が終結後にモンゴルは方針転換を迫られ、1990年3月にドゥマーギーン・ソドノム閣僚会議議長(首相)の決断によって、モンゴルは人民革命党による一党独裁制を放棄した。1992年2月にはモンゴル国に改称して新憲法を制定。社会主義を完全に放棄してからは2010年11月に人民革命党は人民党に改称、多党制の中でも重要な地位を占めている。



政治編集

立法府は「国家大会議(Улсын Их Хурал)」と呼ばれ、人民党と民主派諸党が合流した民主党との二大政党制である。行政権は直接選挙の大統領と、国家大会議の多数派から選出される首相が存在する半大統領制を採用している。大統領の行政権は首相または国家大会議の支持が必要で首相権限が強いが、大統領には国家大会議が議決した法案の拒否権があり、これを覆すには国家大会議で2/3以上の議決を要する。立法権は大統領が三権分立の牽制役を担っているといえよう。



国際関係編集

外交方針は隣国・中国&ロシアとのバランスを維持しながら、それに依存し過ぎずに第3の隣国であるロシア以外の旧ソ連諸国、日本・韓国米国カEU諸国などとの関係を発展させることで、特にカザフスタンを初めとする中央アジア諸国とは歴史・風土としての親近感から強い絆で結ばれている。2015年9月にツァヒアギーン・エルベグドルジ大統領(当時)がモンゴルを永世中立国とすると宣言したが、2020年5月に事実上頓挫している。


米国編集

東西冷戦があった時代は旧ソ連と緊密な友好関係にあったため、結局外交関係を樹立したのはその末期であった1987年1月とかなり遅い時期であった。米国はこれまでケネディ・ジョンソン・ニクソン・カーターの4人がそれぞれ政権を持っていた時代、何度か国内・モンゴル代表との協議を通じて承認の可能性を検討したものの成功せずに終わっていた。


ロシア編集

1921年11月に外交関係を樹立、旧ソ連と政治・経済・軍事・文化分野で協力した。鉄道建設などを含むインフラ整備に貢献したロシアとは友好関係にあり、その影響から公用語・モンゴル語は1941年3月からキリル文字使用している。社会主義時代は旧ソ連従属政策を徹底、1960年4月に表面化した中ソ対立では旧ソ連側に付いた。1991年12月に旧ソ連が崩壊してからは経済関係が大幅後退したが、軍事では旧ソ連製装備を導入するなど両国関係は密接である。


中国編集

1949年10月に外交関係を樹立し、1960年5月に友好相互援助条約を締結した。橋などの建設・鉄道の完成など当初は友好関係にあったが、中ソ対立期間は中国との激しい抗争を続け、1988年11月に両国の国境問題処理に関する条約と領事条約が締結された。冷戦後に一時流入した西側資本が撤退するのに伴って最重要産業の鉱業を中国資本が主導する様になり、これを規制しようとするモンゴル政府と激しい対立が生じ、輸出主軸である銅・石炭は大部分が中国に輸出されている。


歴史的に何度も中国からの侵略を受けて来たモンゴルは、今でも中国に対する激しい敵対心を抱いており、中国人がモンゴル国内で襲撃される程である。国内極右団体が極端な反中国・中国人運動を展開しており、中国人男性と寝たとの理由で複数のモンゴル人女性の頭髪を丸刈りとする・中国と関係が深かったモンゴル人を殺害する事件が発生している。首都であるウランバートル市内には、ハーケンクロイツのマークと共に「中国人を射殺せよ」とする落書きが多く見られる。


北朝鮮編集

2010年4月、横綱朝青龍金正日総書記を訪問して話題となった。


韓国編集

1990年3月に外交関係を樹立。特にモンゴル人男性出稼ぎ先としてここが最も多く選ばれている。彼らが出稼後の帰国に伴って韓国の大衆文化がモンゴルに流入しており、映画・テレビ番組などが人気次第では放映された直後にモンゴルでも放映され、食文化ではキムチなど従来のモンゴルにはなかった辛い味の食品が導入される様になった。


日本編集

1972年2月に外交関係を樹立、1977年8月に経済協力協定を締結してノモンハン事件の対日賠償請求を取下げた。その代わりに日本は50億円を無償贈与、ウランバートルにカシミア工場が建設された。しかし社会主義時代は冷戦と旧ソ連の影響もあって外交関係を有さず、本格的な交流強化は1990年3月に民主化されるのを待たなければならなかった。社会主義時代の反日教育があったものの、伝統的にモンゴル人の日本に対するイメージは良好で、モンゴルは日本にとって北東アジアの安全保障に極めて重要なパートナーとなっている。


今でもモンゴル相撲ブフ)という伝統的な格闘技が存在することもあり、日本角界での強豪力士はモンゴル出身者が多い。ゴビ砂漠化石調査には日本調査団が参加しており、先にも述べた通り、相撲や映画などの撮影・ゴルバンゴル計画(チンギス・ハーンの墳墓捜索)に対する協力などから、日本との関連性が年々増加している。


軍事編集

平時の編成としては5つの部門から構成され、陸軍空軍・建設・工兵軍・サイバーセキュリティ軍・特殊部隊が存在する。特に陸軍は精強でT-72型戦車を変態機動させることで有名であり、戦車で蒙古騎兵機動を行っていると例えれば分かりやすいであろうか。空軍ならMig-29など中国を牽制する両国の意図もあり、主にロシア製装備を配備している。国際貢献の海外派遣に積極的であり、南スーダンコソボアフガンなどで活動実績がある。


かつては内陸国でありながら海軍を保有、フブスグル湖の石油輸送を任務としていたが、後に民営化。現在は輸送と共に観光事業も行っている。


地理編集

概ね南に行く程乾燥しており、北部には森林・南部は砂漠が広がる。モンゴルのゴビ砂漠恐竜の世界的産地の1つでもあり、これまで数多くの化石が発見された。


中部には草原があって伝統的に遊牧・放牧が主な産業で、羊肉などを利用するヒツジ・高級繊維・カシミアが得られるヤギなどが飼育される。特にカシミアはモンゴル産が世界的にも良質で珍重されるが、寒暖差が厳しい内の気候に悩まされ、近年は南部からの砂漠化進行も問題となっている。国内に石炭レアメタルなど豊富な鉱物資源を埋蔵、近年は重要な輸出産業に成長して鉱業従事者も増加しており、その重要性は銅・石炭で輸出品目の大部分を占める程である。



国内編集

核兵器編集

1国だけで非核地帯を設置しており、1992年9月にモンゴルのポンサルマーギーン・オチルバト大統領が国際連合総会で非核兵器地帯化を宣言。核保有国に対して非核地帯としての地位の尊重と安全を保証するよう求めた。1998年12月に総会決議で非核地帯として国際的に承認され、2012年9月に核保有国である米国・英国・フランス・ロシア・中国はモンゴルの非核地帯としての地位を尊重し、これを侵害する如何なる行為にも寄与しない旨の共同宣言に署名した。


国民編集

モンゴル系が多数派であり、少数民族にテュルクツングース系などが存在する。言語でも大多数がモンゴル語を用い、テュルク諸語が少数派で存在する。この国で標準的に用いられるモンゴル語をハルハ方言、ハルハ・モンゴル語とも呼び、これに対し中国の内モンゴル自治区で標準的に用いられているモンゴル語をチャハル方言という。ソ連の影響にあった時代に用いられたキリル文字表記が民主化によって撤廃され、政府はモンゴル文字表記を推奨した。しかし横書きができないという弱点があり、必ずしも全面的な移行は進んでいない。パソコンでの横書きではラテン文字も推奨されているが、現時点はキリル文字も含めた諸々の表記法が混在している。


宗教はモンゴル系を中心に約半数がチベット仏教で、その指導者であるボグド・ハーンことジェプツンダンバ・ホトクト8世は人民革命の後に帝位に復帰。しかし、共産主義政権は8世で転生は終わったと称して後継者捜索を禁止。その後は人民革命党の政治局が任命したガンダン寺僧院長が指導者とされ、実質的に人民革命党支配下に置かれた。しかし、民主化後にチベットでダライ・ラマに認定された9世がガンダン寺指導者を兼ねることとなり、2023年にはモンゴル人の10世がダライ・ラマに認定されて伝統の復活が確実となった。モンゴルでは他にシャーマニズムも盛んで冷戦後に復権している。


旧ソ連の影響下にあった時代は建国英雄であるチンギス・ハーンがロシアの侵略者として手厳しい評価が規制されていたが、旧ソ連が崩壊したと共に復権して各所に像が設置される様になった。ウランバートル中心のスフバートル広場でも、人民革命の英雄であるスフバートル像と向かい合ってチンギス・ハーン像が立てられ、結婚式記念撮影場所としても人気を集めている。


人口編集

2024年11月時点での人口は350万4,771人であった。人口密度は1平方km当たり2人ぐらいでしかなく、日本の約4倍を誇る国土面積に対して世界で最も人口が希薄な国である。


関連イラスト編集

無題モンゴル


関連タグ編集

地域編集

アジア 北アジア 東アジア


歴史編集

チンギス・ハーン 元寇 モンゴル帝国


文化編集

モンゴル人 モンゴル料理 モンゴル神話 蒼き狼

馬頭琴モリンホール) モンゴル相撲 スーホの白い馬


キャラ編集



その他編集


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