概要
漢訳大蔵経を聖典とし、中国を経由して朝鮮、日本、ベトナム、台湾に伝播した仏教潮流と共に現存するもう一つの大乗仏教の潮流。
各宗派の最高聖典は「タントラ」と呼ばれる密教経典である。
チベット語に翻訳された大蔵経を聖典とする。インドと地理的に近いこともあり、インド大乗仏教最後の結晶である後期密教をあますことなく継承することができた。
インドにおける仏教滅亡後、チベットと隣接する中国には、チベットから後期密教を伝えることができたが、遠く離れた日本等では、中期密教までの聖典・伝統しか継承されなかった。
「ラマ」という敬称でもって呼ばれる仏僧を擁し、彼らは宗教的師匠として多大な尊敬を集める。
性的な象徴を用いる後期密教を継承しているため、ゲルク派以外は僧侶の妻帯が許可されており、ヤブ・ユム(男女の尊格が抱き合った仏画・仏像)なども用いられる。その為色眼鏡で見られる事もあった。
ニンマ派のテルマ『バルドゥ・トェ・ドル』は「チベットの死者の書」として世界的にブームを起こしたが、様々な神仏がヤブ・ユムが次々に登場する幻想的な描写から、スピリチュアルなサブカルチャーでも受容されたが、
よりによってドラッグによるトリップ体験と結びつける輩も現れた。
地域
チベット、ブータン、モンゴル、ロシア連邦カルムイク共和国、モンゴルなど
ヨーロッパや北米でも布教が行われており、日本にも拠点がある。
宗派
ニンマ派
パドマサンバヴァを開祖とする最も古い宗派。パドマサンバヴァは土地や(現世を超越した真理の領域である)法界に『テルマ(埋蔵経)』という聖典を埋蔵したとされ、また彼の弟子の時代に暴君が現れた時、迫害を逃れて当時のニンマ派仏教徒は必要な書物・宗教用具を隠したという。これらはテルトン(聖典発掘者)によって「発見」される事で再び世に出るとされる。「テルトンによって発掘されるテルマ」というフォーマットはカギュ派、サキャ派、ゲルク派にも継承されている。チベットのもう一つの宗教「ボン教」にもテルマが存在する。
カギュ派
経典翻訳者マルパと彼の弟子ミラレパを開祖とする宗派。この宗派において、仏菩薩がラマに化身する、という「化身ラマ」思想が生まれ、他宗派にも広まった。
仏教教義上、如来は輪廻を脱しているため、化身ラマの位置づけは「生まれ変わり」ではない。
近世においてゲルク派とチベットの主導権を争ったこともあったが、今は協力関係にある。
また、ブータンではカギュ派の流れをくむ南ドゥク派が国教となっている。
サキャ派
ニンマ派の在家行者出身のコンチョク・ギェルポを開祖とする。当時のニンマ派は規律が弱まっており、その環境に満足できなかった彼は、インドから来た高僧ガヤタラの弟子ドクミの元で学んだ。ドクミは経典を翻訳する役職にあり、彼によって訳された聖典がサキャ派の土台となった。モンゴル帝国が同派のサキャ・パンディタやパクパを招いた頃にはチベット仏教の主導権を得た。今も四大宗派に数えられる。
ゲルク派
文殊菩薩から啓示を受けたとされるツォンカパを開祖とする。観世音菩薩の化身ラマである歴代ダライ・ラマはゲルク派に所属する。僧侶育成のためのプログラム、カリキュラムを整備し、多くの人材を育成する事を可能とし、それによって教勢を広めた。
近世以降はチベット仏教の主流派に位置し、ダライ・ラマは実質的なチベットの君主として統治してきた。近世・近代のモンゴルにも広まっており、モンゴル最後の皇帝ボグド・ハーンはゲルク派の化身ラマ、ジェプツンダンバ・ホトクト8世でもあった。
超宗派運動
19世紀に宗派の壁を超えてブッダ本来の教えを探求するリメー運動が生まれた。14代目ダライラマであるテンジン・ギャツォもリメ運動の理念を支持している。
近況
チベット仏教は中国人にも信徒を得たが、中国共産党が権勢を得ると、彼らによってチベット人は弾圧、虐殺され、チベット仏教にも強烈な迫害が加えられるようになった。
1959年の反中国蜂起では多くのチベット人が殺害されたとされ、ダライ・ラマ自身にまで危険が迫る中、ダライ・ラマ14世はインドに亡命した。
文化大革命においてはゲルク派開祖ツォンカパの墓まで破壊されている。中共によって破壊された古刹、宗教遺産は計り知れない。
そしてこれは現在進行形の出来事である。
共産党支配下においてはダライラマ法王への尊敬すら表明できず、それだけでなく、無神論を標榜する共産主義であり、当然ながらそれ自体宗教団体ですらないにもかかわらず、政府が
阿弥陀如来の化身ラマであるパンチェン・ラマの後継者を勝手に公認するという悪い冗談としか思えない行為が行われている。
その「パンチェン・ラマ」は中国共産党の公式見解を言わされる傀儡となっている。
また中国が親中派として期待していたカギュ派の指導者カルマパ17世も、2000年から中国の圧力を避けてインドへ亡命している。