概要
大乗仏教の唯識論で説かれている八識の内の第七識。
「断続的に作用し続ける」、「明瞭に思惟する」点で他の識よりも勝るために末那(manas<意>)そのものの識と呼ばれており阿頼耶識と同様に無意識に属する。
主に自己を考えて永続的な苦悩を起こす、我癡・我見・我慢・我愛の我執が生じる識であり、阿頼耶識を対象としてそれを自分であると考えて一生を通して執着し続ける。その結果、表層意識である五識と意識の6識を生じさせているとされる。
(つまり、末那識が存在しなければ無意識以外の6識もまた存在することは無い)
一説ではこの識を因縁識といい、汚れた心である「汚染意」や悪念の集結潜在力(障碍作用)の依所。すなわち人間の業苦の根源であるとされており、この深層的な自我心を滅することによって初めて真の無我行を実践することができると言う。