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仏教

ぶっきょう

インドの釈迦(ゴータマ・シッダッタ、あるいはガウタマ・シッダールタ)を開祖とする宗教である。
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仏教とは、インド発祥の宗教である。キリスト教・イスラム教と並んで世界三大宗教のひとつ、仏陀(目覚めた人)の説いた教え、また自ら仏陀に成るための教えであるとされる。

概要

発祥紀元前500年頃/インド
開祖ゴータマ・シッタールダ(ブッダ/釈迦)
体系「法(ダルマ)」と、それを体現した「仏(ブッダ)」を中心とする
シンボル宝輪
サフランオレンジ
菩提樹


南アジアを発祥の地とし、東アジア東南アジアを中心に信仰される宗教。ブッダ釈迦)が開祖である。
悟りを開いて極楽往生することや、輪廻転生からの解脱などを説いている。
現在存続している宗派は、大まかに、

がある。

教義

世界観

仏教の世界観は必然的に、仏教誕生の地であるインドの世界観である輪廻と解脱の考えに基づいている。
人の一生は苦であり、永遠に続く輪廻の中で苦しみ続けることになる(たとえであっても、何億・何兆年の命を終えれば、行いにより神や人や動物などに輪廻する)。その苦しみから抜け出すことが解脱、到達する境地が涅槃であり、修行により解脱を目指すことが初期仏教の目的であった。

輪廻転生・六道・仏教と神

仏教においては、生前の業によって次の輪廻の転生先が決定するとされている。六道に基づき生前に良い行いを続け功徳を積めば次の輪廻では天道に生まれ変わり、悪業を積めば修羅道や地獄道などに生まれ変わる。

そして仏教における神の扱いは、神(天)とは天道の生物であり、人間などと同じ生命(有情)の一種という位置づけであり、厳密には仏教徒の間で神々は帰依の対象とはならない。天道も多数ある世界の一つであり、楽園のような場所だが、天国とは違い、人が最終的に至るべき場所ではない。
ただし、「非常に優れた生物」であるため、仏教に帰依した神々は人間を庇護すると考えられ、寺院でも祀られている。
仏教における「神」は、キリスト教やイスラム教の「天使」にあたる位置にある。

神より上位にあるのが、「法(ダルマ)」であり、世界の真理である。法は現実の事象すべてと密接につながりを持つ。法を体現したのが「仏」や「菩薩」、「阿羅漢」であり、完全に法を体現した仏は、神々より上位の存在である。
世界の真理であるという点は、キリスト教やイスラム教の「神」(≒人格を備えた法)と共通するが、「法」はあくまでも真理そのものであり、人格を備えているものではない。

仏教における信仰は帰依と表現され、他宗教の信仰とは意義が異なっており、たとえば修行者が守るべき戒律を保つために神霊との契約をするという考えも存在しない(副次的に、仏教を守護する神霊の守護を願う事はある)。

これらの内容は、各地方の土着の信仰の影響により、民間信仰においては様子が一変していることが多く、それが仏教を分かりづらくする原因の一つとなっている。
もっともそのため、土着の信仰の神を仏教の内部に包摂する事ができ、「共同体の宗教」としての土着信仰の上に「救済論」としての仏教が結合するようになった。
日本では、著名な神々は、仏や菩薩が日本人に教えを説くために現れたもの(権神)と考えられるようになり、天道の生物としてランク付けられる神々(実神)より上位の存在で、信仰を受けるのによりふさわしいとされた。

三法印・三相

三法印は、仏教におけるこの世の真理(法“ダルマ”)は「無常」「無我」「涅槃」の3つであるとされる根本思想。四諦がやや実践面を強調しているのに対し、三法印はやや思想面を強調している。しかし根本的には同じ原理をやや異なる切り口で語っているにすぎない。三法印に「一切皆苦(苦)」を付加し、四法印とする経典もある。

  1. 諸行無常(無常) - 一切の形成されたものは無常であり、縁起による存在としてのみある
  2. 諸法無我(無我) - 一切の存在には形成されたものでないもの、アートマンのような実体はない
  3. 涅槃寂静(涅槃) - 苦を生んでいた煩悩の炎が消え去り、一切の苦から解放された境地が目標である
  4. 一切皆苦() - 一切の形成されたものは、自分の思い通りにはならず、苦しいものである

また、上記は大乗仏教のものであり、上座部仏教では三相と呼ばれ、修道上の教えとして実践的に観察することが強調されている。「一切行苦」を欠いた大乗の三法印とは違い、上座部で説かれるのは「無常」「苦」「無我」の3つである。
  1. 無常 - 全ては常に変化し続けること。
  2. - この世は自分の思い通りにはならず、苦しく不満なものであること。
  3. 無我 - 我は無い、すなわち「私のものではない・私ではない・私の本質ではない」ということ。

二諦

仏教における、世界の仕組みとその認識を、二つに区別して説明されたものである。
仏門と出会いそれを学ぼうとしなければ、何度この世に転生しても真理にはたどり着けず、苦しみから脱せないとされる。

  • 世俗諦 - 普通の人間が認識できる世界の仕組み
  • 勝義諦 - 悟りを開いた者に解るこの世界の本当の仕組み

因果論

仏教は、物事の成立には原因と結果があるという因果論を基本的考え方にすえている。
釈迦は、原因だけでは結果は生じないとし、直接的要因『』と間接的要因『』の両方がそろったとき『因縁和合』に結果はもたらされるとし、これを『因縁果』という。

生命の行為・行動(思考・感情も含まれる)にはその結果である果報が生じるとする業論があり、果報の内容如何により人の行為を善行と悪行に分け(善因善果・悪因悪果)、人々に悪行をなさずに善行を積むことを勧める。

また個々の生に対しては業の積み重ねによる果報である次の生すなわち輪廻転生を論じ世間の生き方を脱して涅槃を証さない(悟りを開かない)限り、あらゆる生命は無限にこの輪廻を続けると言う。
輪廻・転生および解脱の思想はインド由来の宗教や哲学に普遍的にみられる要素だが、輪廻や解脱を因果論に基づいて再編したことが仏教の特徴である。

人の世は苦しみに満ち溢れている。そして、あらゆる物事は原因と結果から基づいているので、人々の苦しみにも原因が存在する。したがって、苦しみの原因を取り除けば人は苦しみから抜け出すことが出来る。これが仏教における解脱論である。

仏教においては、輪廻の主体となる永遠不滅の魂(アートマン)の存在は「空」の概念によって否定され、輪廻は生命の生存中にも起こるプロセスであると説明されることがある点でも、仏教以前の思想・哲学における輪廻概念とは大きく異なっている(このことから、釈迦が輪廻に基づいて教義を説いたのは、輪廻が当然の前提であった当時のインド社会における「方便」にすぎないとし、輪廻論を否定する仏教徒もいる)。

因果(線形因果)

物事の成立には原因と結果がある考え。仏教は明確な因果論をインド思想に持ち込み大きな影響を与えた。
以下因果に基づき苦のメカニズムを整理された十二支縁起を示す。

  1. 無明(現象が無我であることを知らない根源的無知)
  2. (潜在的形成力)
  3. (識別作用)
  4. 名色(心身)
  5. 六入(六感覚器官)
  6. (接触)
  7. (感受作用)
  8. (渇愛)
  9. (執着)
  10. (存在)
  11. (出生)
  12. 老死(老いと死)
これはなぜ「生老病死」という苦のもとで生きているのかの由来を示すと同時に、「無明」という条件を破壊する事により「生老病死」がなくなるという涅槃に至る因果を示している。

因縁生起(因縁・縁起)

原因と条件より結果が生まれるという考え。因縁は最初に二文字を縁起は二文字目と四文字目を抜き取り、省略したものであり本来は同じ言葉である。
例えば、pixivに投稿されたイラストの場合、「原因」は投稿者、「条件」はpixivというサイトであり、その結果が投稿されたイラストである。

この世の万物は、複雑な因果がより合わさった関係性によって成り立っているという考え。
他のものに依存せずに存在するものは、何一つ存在しないということ。
禅の公案で「隻手の声を聞く」(片手の音はどのような音か)というものもある。

詳細⇒空(仏教)

苦、その原因と解決法

詳細⇒一切皆苦

戒律

五戒

仏の道を志すものが心得え守るべき五つの『戒』

  • 不殺生戒(ふせっしょうかい):殺すなかれ
  • 不偸盗戒(ふちゅうとうかい):盗むなかれ
  • 不邪淫戒(ふじゃいんかい):不道徳な性行為をするなかれ
  • 不妄語戒(ふもうごかい):嘘をつくなかれ
  • 不飲酒戒(ふおんじゅかい):酒を飲むなかれ

三宝への帰依


波羅蜜

煩悩にまみれないために修行として実践すべき徳目のことであり、総称して『六波羅蜜』と呼ばれる。

  • 布施波羅蜜 - 檀那(だんな、Dāna ダーナ)
物や金品を惜しまず与えることで、財物を与えることを『財施』、仏様の教えを説くことを『法施』、人の心を慰めることを『無畏施』と呼ぶ。
  • 持戒波羅蜜 - 尸羅(しら、Śīla シーラ)
戒律を守ることで、上述した仏の道を志すものが守るべき『五戒』を心得ること。
  • 忍辱波羅蜜 - 羼提(せんだい、Kṣānti' クシャーンティ)
耐え忍ぶこと。
  • 精進波羅蜜 - 毘梨耶(びりや、Vīrya ヴィーリヤ)
努力すること。一所懸命にものごとにあたること。
  • 禅定波羅蜜 - 禅那(ぜんな、Dhyāna ディヤーナ)
心を静めて一つのことに集中すること。
  • 智慧波羅蜜 - 般若(はんにゃ、prajñā プラジュニャー)
ここまでの五つ『五波羅蜜』を実践していくことでたどり着く、ものごとをありのままに受けとめ、真理を見きわめていくことができる境地のこと。

禅・瞑想

釈迦(ゴータマシッダールダ)は瞑想によって悟りを開いたと言われている。

仏教における存在論

仏教そのものが存在を説明するものとなっている。
変化しない実体を一切認めないとされる。

仏教は無我論および無常論であるとする人もおり、そういう人は仏教はすべての生命について魂や神といった本体を認めないとする。そうではなくて釈迦が説いたのは「無我」ではなくて「非我」である(真実の我ではない、と説いたのだ)とする人もいる。

衆生(生命・生きとし生けるもの)と生命でない物質との境は、ある存在が識(認識する働き)を持つか否かで区別される。また物質にも不変の実体を認めず、物理現象も無常、すなわち変化の連続であるとの認識に立つ。

物質にも精神にも普遍の実体および本体がないことについて、「行為はあるが行為者はいない」などと説明されている。

人間存在の構成要素を五蘊に分ける。これは物理作用と4種類の心理機能のことで、物理と精神との二つで名色とも言う。 これらはブッダの死後、ブッダの言葉を研究したアビダルマ(対法)の研究者たちによって分類されたものであり、ブッダ自身が説かれた説では無いと言われている。
猶、仏教には魂の存在を肯定する宗派もあれば、肯定も否定もしない宗派もあれば、否定的な宗派もある。

世界の諸宗教は概して魂の存在を認めているが、仏教は宗教にしては珍しく霊魂に対して否定的な見解を示す宗派も存在する。

その理由については様々な説明がありうるが、ひとつには釈迦がある男に尋ねられた際の話が元になっているとする人もいる。

〜その男は
釈迦にこの宇宙はどうやって出来ているのか人間はどこから来て、死んだらどこに行くのか霊魂はあるのか死後の世界はあるのか極楽や地獄はあるのか等と尋ねてみた所、釈迦は

「自分はそうした質問には答えない、お前は目の前で毒矢に当たって苦しんでいる男がいるのにその毒矢がどこから飛んで来たのかその毒は何なのかその毒矢は誰が放ったのかそういうことを訊くのか、そんなことよりも目の前で毒矢に当たって苦しんでいるその男を救ってあげることの方が大事ではないか。」

と説いたという(毒矢の喩え 『マッジマ・ニカーヤ』(中部経典)第63経「Cula-Malunkyovada Sutta」(小マールンキャ経))。

この思想は釈迦の「無記」の思想とも言われている。

仏教では、根本教義において一切魂について説かなかったとしそれに習う形でそういう質問については一切答えない宗派もあり、やがて後代になるといつのまにか「無記」でもなく、「仏陀は霊魂の存在に否定的な見解を示したのだ」と解釈する宗派も出てきた。

経典

初期仏教時代の『阿含経』ですら膨大な量であり、さらに後の世になって大乗仏教運動が新たな経典を作成し続けたため、仏教は異様に経典が多く、一ヶ月ぐらいで完読できる聖書やコーランのようにはいかない。一生かかっても無理と言われるほどである。

よって大乗仏教圏では経典をランク分けし、好きなものだけ読むという習慣が生まれた。このため多くの派閥が生まれ、それによって読む経典が全く違うという形態になっている。

信者の多い地域

イメージに反して仏教徒も時には戦争をする(日本にも一向一揆などがいた)が、イスラム・キリスト教ほど上手ではなかった。そのため多くの仏教国は滅ぶか、東アジアのように急速に世俗化し、日本では葬式・観光が主となって教えは隠れ、未だに熱心な一部の新興宗教が煙たがれる状況になっている。末法濁世においては仏教もまた無常ということなのだろう。
禅や瞑想法などは世界的に広まっているイメージがあるが、あくまでヒッピーブームとエクササイズの領域を脱しているものではない。これは日本で教会結婚式が増えているのと同じである。
世界的には人口増の時代ではあるが、アブラハムの宗教の教徒の急増により偶像崇拝等で軋轢が予想される。今後は人口が伸びる上座部の国々がどれだけ世界的影響力をつけられるかというところである。

上座部仏教

大乗仏教

チベット仏教


インドでは中世以降衰退し、中央部の住民(ヒンドゥー教徒が主流)から差別を受けていた北西部と東端部に信者が集中していたが、大半がイスラム教に改宗した。現在は復興運動が行われており、ヒンドゥー教の下位カーストから差別を嫌い改宗した信者が多い。

ネパールインドネシア中央アジアでも、ヒンドゥー教徒・イスラム教徒が増える前は仏教が盛んだった。現在も決して少なくはないが、大半はヒンドゥー/イスラムが占めている。

日本の主な仏教宗派

日本では、もっぱら漢訳大乗経典が読まれた。ここを経由して入ってきた漢語は現在の日本語にも大きな影響を与えている。

日本での特殊な思想に、浄土教系各派、日蓮系各派で受け継がれている無戒思想がある。
これは、現在(11世紀以降)は末法の時代であり、悪い人間しか生まれてこない時代であるため、そのような人々はこれまでの仏教のやり方では救えない、またそんな悪い時代は僧も名ばかりなのが当然であるので、戒律なんか意味がないとする思想である。
これは『末法灯明記』という作者不明の謎の本を根拠とし、法然が飲酒を許可して以降、日本では僧の妻帯、肉食、飲酒が広まった。
これは現在でも海外のお坊さんが見たら絶句するような過激な主張であり、各派から激しく非難されたが、近代になると合理主義的な発想として再評価された。

もう一つはオレンジ色の袈裟が非主流な点である。末法思想では末法には袈裟の色が変わってしまうというのがあり、この影響も受けている。

南都六宗

平安二宗

天台宗から分離


仏教タグ

ゴータマ・シッダールタ/仏陀 菩提僊那 達磨大師 維摩居士 空海 最澄 役小角 日蓮 親鸞 一字金輪仏頂

仏教文化 /お寺/寺院
お坊さん/僧侶/ 和尚 /尼僧 坊主 袈裟 木魚 仏像 大仏 地蔵 ボダイジュ/菩提樹 車輪 今昔物語 卒塔婆 居士 仏教心理学

仏教用語 六道 出家 /修行 荒行 坐禅 無常(諸行無常) 無我(諸法無我) 涅槃(涅槃寂静) (一切皆苦) (ダルマ) 因果応報 自業自得 三毒/ 煩悩 方便 仏教心理学 上座部仏教 大乗仏教 神仏習合 禅宗 南無阿弥陀仏 南無三 四門出遊 十界

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