Dàojiào、英語:Taoism
道教とは、中国の伝統的な宗教のことである。
この宗教の概要
概念
この宗教の中心概念の道( タオ )とは宇宙と人生の根源的な不滅の真理を指す。
また道の字は辶( しんにょう、ただし点二つ )の部首が終結、また「首」の部首が始まりを示し、道の字自体が太極にもある二元論的要素を表している。
この道(タオ)と一体となる修行のために錬丹術を用いて、不老不死の霊薬である丹を錬ったり、各種の行動を行うことにより仙人となることを究極の理想とする。
詳細
この宗教において、神仙、すなわち通常の人間から離脱した神や仙人となって長命を得ることは「道を得る」機会が増えることであり、奨励される。
真理としての宇宙観には多様性が存在し、中国においては儒・仏・道の三教が各々補完し合って共存しているとするのがこの宗教の思想となっている。
また、食生活においても一般的には仏教のような何かを食することを禁ずる律( りつ、決まりのこと )は存在せず、さまざまな食物を得ることで均衡が取れ、長生きすることができるとされる。ただし仙人を目指すのであれば別であるが。
この宗教は現在においても台湾や東南アジアの華僑・華人の間ではかなり根強く信仰される。一方中華人民共和国は共産主義に基づく国家であるため、宗教を認めず、さらに文化大革命の影響もあり壊滅的な打撃を受けたものの、民衆の間では未だにその慣習が息づいている。
老荘思想と道教
老荘、すなわち道家の思想とこの宗教には実は直接的な関係はないとするのが、日本及び中国の研究者の従来の見解であった。
老子や荘子についてはその生涯について謎が多く、後世の文献に記される事績においても二人が宗教団体を設立した、という記述は見られない。
そのため、歴史上の老子、荘子と道教との直接的な関係は少なくとも学問的には、客観的には証明できないものということになる。
関係性をあげるとするなら、後世の道教の信徒が老荘の書や思想を取り入れた、という所までだろう。
老子、荘子と道教の結びつけは、紀元後1世紀以降から見られるようになる。当時インド等から移入された仏教に対抗して道教が創唱宗教、すなわち特別な人物により提唱された宗教、の形態を取る過程において老子を教祖に祭り上げ、仏教の経典に当たる大蔵経に倣った道蔵を編んで道家の書物や思想を取り入れたことが事実として認められる。
スタイルにも影響があり、道蔵に収録された道教の経典には、漢訳仏教経典が頭に「仏説」とつけるように、「(神格・神仙名)説」とついたタイトルのものが数多く見られる。
神仙の像を造るのも、仏菩薩や天部の像を造る仏教の影響で始まっている。
時代がさらに進むと神格化された老子(太上老君)や荘子(南華真人)が、神仙として地上の信徒の前に姿を現し、啓示や教示を行うという神秘体験や伝承が語られるようになり、道教における老荘との結びつきは確たるものとなった。
3世紀頃に老子が釈迦に教え諭したという「老子化胡説」を説くなど老子を強く崇拝する「楼観派」が生まれているが、老子の道教内での位置をさらに決定的なものとし、また荘子もそれに準じるものとしたのが唐の時代の9代目皇帝玄宗の施策である。
発祥においても楼観派が深く関与した唐王朝は、既に老子を開祖と位置づけていた道教を利用するため、唐の初代皇帝の遠い祖先は老子であるとし、積極的に道教の要素を取り入れた。
玄宗は玄元皇帝(老子、太上老君の別名)を「仙聖の宗師」と呼び仙人と聖者の師匠と位置づけ、その像を盛んに造らせて全国各地の道教寺院に設置させ、また科挙の試験科目に『老子』『荘子』、また道家の他の書である『文子』『列子』も加えた。
さらに荘周(荘子)に「南華真人」、文子に「通玄真人」、列子に「沖虚真人」そして荘子の登場人物庚桑子に「洞虚真人」という号を贈り「真人(仙人)」という扱いをした。
『荘子』に『南華真経』、『文子』に『通玄真経』、『列子』に『沖虚真経』、庚桑子の書に『洞虚真経』という新たな書題を付し、経典として扱われるものとした。
そして当時、既に『道徳経』と呼ばれていた『老子(老子道徳経)』を『道徳真経』と呼び、全ての道教経典の内の最上位として位置づけた。
そして自身が描いた『老子』の注釈書を共に学者たちに学ばせた。
これにより、老子を神仙の頂点とする信仰とその書を最高経典とする考えが中国全土に広まることになる。
西欧では、19世紀後半に史実の老子の思想と道教の両方を指す語としてタオイズム( Tao-ism )という単語が造られた。
アンリ・マスペロを筆頭とするフランス学派の学者たちを中心に両者の間に因果関係を認める傾向が存在し、日本にも同意見の研究者がいる。
太上老君は重要な信仰対象であり続け、『道徳経』も道教の中心聖典であり続けているが、この書じたいが老子本人の思想をどれだけ反映さているかにも議論がある。少なくとも直筆のものとする有力な学説はない。
また道教の信仰の在り方は宗派や信徒各人によって異なり、道教の祭りや祭日には参加しても老子の文面を意識して読む習慣を持たない人もいる。
これらを踏まえた上で「老子と道教には関係がある」または「ない」と呼ぶかどうかは、それぞれの判断基準次第ということになる。
起源
中国古来の巫術鬼道信仰と黄帝の説が起源とされているが、思想としての確立は紀元142年に張道陵の五斗米教によるもの、そして南北朝(589年)に行われた宗教改革に陰陽家、道家と共に「黄老道」に統合されたことだと思われている。
施設
道教の寺院は道教宮観、略して道観という。
教団組織の面では、中国において同時期に整備されたと推測される仏教教団の影響も受け、隋・唐・およびその後の混乱期である五代十国の時期に宗教教団としての組織と儀礼と神学教理とを一応完成するに至った。
人物と歴史
西晋末の葛洪( かっこう )は、『抱朴子( ほうぼくし )』を著し、仙人となるための修行法を説いた。
北魏の寇謙之( こうけんし )は、新天師道を興した。
5世紀頃、劉宋の江南で活躍した道士(道教を生業とする人)、陸修静(406年 - 477年 )はさまざまな流れのあった道教をまとめ上げる事に大きな寄与をした、と言われている。
当時、江南呪術の系譜であるといわれる「三皇経」、またその他に「霊宝経」、「上清経」などと称される経典群があったが、それらは、系統的に別々の流れのものだった。この頃には、道の変化した神である「元始天尊」「霊宝天尊」「道徳天尊」の三清が文献上現れている。
南斉・梁の陶弘景( とうこうけい456年 - 536年 )は、それらを体系づけた『真誥( しんこう)』を著した。
同姓の老子(本名は李耳とされる)を宗室の祖と仰ぐ唐朝は、宮中での道教の席次を仏教の上に置いた( 道先仏後 )。玄宗の時代には、司馬承禎から法籙を受け道士皇帝となり、自ら『老子道徳経(いわゆる書としての老子)』の注釈書を作り、崇玄学( 道教の学校 )を設置してその試験の合格者は貢挙の及第者と同格とされた( 道挙 )。
唐末の道士、杜光庭(とこうてい)は『道教霊験記( どうきょうれいげんき)』、『洞天福地岳瀆名山記(どうてんふくちがくとくめいざんき)』を著わした。
宋代には真宗や徽宗といった皇帝がこの宗教を保護し、内丹術(ないたんじゅつ)や錬度(れんど )の科目が盛行し道教の姿も大きく変化していった。
北宋の張伯端(ちょうはくたん)は『悟真篇(ごしんへん)』という 内丹道の主要経典を著わした。
書籍に登場する道教
この宗教においては「八仙」と呼ばれる8人の仙人が並び称されるが、中でも宋代の呂洞賓( りょどうひん )が、もっとも有名な仙人と言える。
金・元の時代に、北方で全真教に代表される新道教が成立した( 他に、真大道教と太一教の教団が勃興した )。南方には、五斗米道の流れを汲むとされる正一教が教勢を張っていた。
明代の正統年間には『正統道蔵』、万暦年間には『万暦続道蔵』と、道教の経典である道蔵が成立した。
『西遊記』では、玉皇大帝( ぎょくこうたいてい )が孫悟空に斉天大聖( せいてんたいせい )の位を与えている。
明代の通俗小説『封神演義(ほうしんえんぎ)』では道教の神々が数多く登場するが、この小説の内容が民間で流行したために、『封神演義』で創作された故事がそれまで伝えられていた説話と置き換わったり、廟に創作上の人物の名が掲げられたりするなど、後の信仰に影響を与えている。
民間における信仰に影響を与えた小説類としては他に『西遊記』『三国志演義』がある。
道教の神様
道教においては神とされる存在には複数存在する。これはこの宗教が民間伝承や外来の宗教などを取り込んだ点も存在するため、そのような格の異なる神が存在することになったためである。
また、仙人という存在も話をややこしくしている。
序列自体は神様の上のほう(最初から神様扱いされたものや、仙人が神となったものなど)>仙人>神様の下のほう(有能な人間などが上位の神に任命され神ととなったものや、祟りがあったり利益を起こす契約でまつられたもの)らしいが、この辺りはよくわからない。
日本における道教
道教は思想そのものが本体だとされているので、権力面よりも、易経など典籍による影響の方が多いだと思われている。そして日本独自の陰陽道に発展していった。
「天皇」という称号も道教に由来するという説が存在( すなわち北極星を示す天皇大帝がその名称のもととなっている) している。
煉丹術(外丹術)は唐辺りの出来事なので、日本における道教とはほとんど関係はない。
修験道
古神道の一種である神奈備や磐座という山岳信仰が仏教と習合したとされる修験道には、道教、陰陽道などの要素も加わっているといわれている。
風水
風水は道教に取り入れられていた陰陽五行説を応用したものである。現在でも開運を願って取り入れようとする人がおり、韓国や日本などで盛んであり、特に香港では特に盛んである。ただし日本においては天円地方と呼ばれる概念のうち地方が欠落しているなどの差異が存在する。
陰陽道の思想は日本においては平城京・平安京・長岡京など古代の都や寺社などの創建、さらには沖縄の首里城などにも影響を与えているとされる。
暦法
易術も道教に取り込まれた占術( これは元となる書籍易経が同様に儒教にも取り入れられているものである )であり、街頭で易者を見掛けるなど、日本でも根付いている。
また暦法も結びついており、辛亥、甲子革令( 十干十二支の60の年の内、辛亥及び甲子の年には革命が起こりやすい )、二十四節気などの暦に関することもかなり道教の影響を受けているが、陰陽道と同じく日本独自の思想と習合などがなされている。
また根付いた道教信仰として庚申信仰があげられる。各地に庚申講や庚申待ちという組織や風習が定着し庚申塔や庚申堂が造られている。現代でも、庚申堂を中心とした庚申信仰が生きている地域では、軒先に身代わり猿を吊り下げる風習が見られることもあり、一目でそれと分かるとされる。
ただし、これもまたもともとの信仰や伝承から外れ、地域独自の信仰となっているものも存在する。
関連項目
神仙
武神:玄天上帝 関聖帝君 二郎真君 托塔李天王 哪吒太子 斉天大聖