概要
「月下翁」「月下氷人」「月老」「月老神君」「月老星君」「月老仙師」の異名があり、彼をメインに祀る廟は「月老廟」とも呼ばれる。転じて中国では仲人のことを「月下老」と呼び、台湾では結婚相談所を「月老銀行」と呼ぶ。
多くの髪と髭をたくわえた老年の男性の姿をしており、所謂「運命の赤い糸」を持つ。
彼は既に縁として男女の間に結びついた赤い糸を視認するだけでなく、新たにそれを授ける事が出来るとされる。
民間伝承によると、七星娘娘(織姫)が旧暦の七夕ごとに未婚の男女のリストを天に提出し、月下老人はそこから各人の資質・性質・条件を鑑みて結びつけ名簿にするのだという。
中唐時代の古典『続幽怪録』の「定婚店」という箇所に登場する、韋固という青年が月夜に遭遇した、赤い縄の詰まった袋を持った老人が原型。
「定婚店」のエピソード
杜陵(とりょう、現在の陝西省西安市)の韋固は、幼少時に孤児となった青年であった。彼は早く結婚し、家族を持ちたいと何度も相手を探したが、うまくいかないのであった。
それでも彼はあきらめず、新しい縁談にたどりついた。
月の出たある夜、竜興寺という寺院で待ち合わせする事になった。現場に行ってみたところ、彼は月明かりで書を読む老人がいるのを見た。彼は西方の梵字も読める韋固でも見たことの無い文字が書かれた本を読んでいた。聞いてみると、老人曰くこれは「世間の書」ではなく「幽冥の書」であるという。幽冥の人がなぜこんなところで本を読んでいるのか尋ねると、幽吏(冥府の役人)もこちらの世界で仕事をすることがあるという。この老人はこの天の下で行われる結婚を担当しているとのこと。そこで韋固はこれ幸いと将来の妻について質問した。これから見合いをするのだが、うまくいくだろうか、と。老人はそれを否定した。
「その相手はいま三歳だ。彼女は十七歳になって君の家族になるだろう」
韋固は老人が持っていた袋に何かが入っているのに気づいてその中身を尋ねた。
その老人によると、袋の中身は赤い縄であった。この縄の両端で足首を結ばれた男女は、身分が違っていても、どんなに離れていても結ばれる定めであるという。そこで韋固は自分と赤い縄でつながった女性は誰なのかと尋ねると、老人は彼に将来の妻を予言した。老人が告げた相手は、市で野菜を売る陳という老婆が連れた女児であった。
韋固と待ち合わせしていた相手は来なかった。
夜が明けるまでそこで本を読んでいた老人は「幽冥の書」を閉じ、自分についてきたらその将来の相手を見せてやろうという。老人についていき市場に行った韋固は貧しい、やぶにらみの老婆が三歳の女児を抱いているのを見た。
「彼女が君の妻だよ」老人は言った。
これを訝しがった韋固は逆上し「あんな小娘が自分の将来の妻になるくらいなら、いま殺してしまったほうが良い」と召使の男に命じて刃物で殺させることにした。彼は女児を刃物で刺したが、老婆が邪魔をして心臓ではなく眉間に刺さってしまったと主人に語った。韋固はこれを喜んで彼に報酬を与えた。
それから14年後、韋固は亡くなった父親の功績、そして彼自身も仕事のできる男であったため、役人として出世し、長官から縁談の話を持ち出される。長官の娘は17歳の美しい女性であり、性格も良かったので韋固は非常に喜び彼女を妻として迎えた。しかし気になるところがあった。彼女は常に、入浴時でさえも眉間に造花の髪飾りをつけているのである。韋固は一年間は黙っていたがこらえきれなくなり、ある日強引に髪飾りをはずした。
事情を聞いてみると、彼女は長官の実の娘ではなく、幼い頃に両親をなくし乳母だった女性に育ててもらったという。そしてその時、暴漢に襲われ眉間に怪我をしていた、と。髪飾りはそれを隠すためだった。韋固は14年前に月下で出会った老人とのやりとりを思い出した。
「その陳(のお婆さん)は眇(やぶにらみ)であったか」と韋固は聞いた。
妻は「どうしてそれを知っているのですか」と返した。韋固は暴漢を差し向けたのは自分であると告げた。彼女は「数奇なことです。これは運命です」とこれを受け入れ、二人は生涯とても強く敬い合ったという。
縁結びの神として
月下老人信仰のテキストとして『太上老君說月老仙師禳婚姻真經』がある。三清道祖の一柱太上老君が、地上で男たち女たちが結婚しない世情を見て説いた経典とされる。
テキストでは儒教的な倫理を基盤とし、男と女、夫と妻という異性間の婚姻関係が想定されている。
他の伝統的な「縁結びの神」の多くがそうであったように、月下老人の「縁結び」は男女間のそれがイメージされてきた。
寺院においては月下老人像の両脇に、赤い糸で結ばれる二人の人間の像がおかれることもあるが、専ら男女の人物像であった。
男性同士の関係の守護神「兎児神」を祀る廟を立てた台湾の道士・盧威明は、2007年のニュース記事で、ゲイの参詣者に対して月下老人へのお参りをしないようアドバイスしていると語っていた。「なぜなら、男女間の恋愛は、彼の職分だと信じられているからです。彼は同性愛者の祈りに戸惑い、きっと自分自身にこう言い聞かせるでしょう。『その祈りは正しくないようだ。その代わりに女性と(の縁を)取り持とう』」(Taoist homosexuals turn to the Rabbit God The Rabbit Temple in Yonghe enshrines a deity based on an historic figure that is believed to take care of homosexuals)
2010年代からは、同性間の愛の成就を祈る人々、性的少数者を受けれる事を表明する寺院が出たり、月下老人に参詣し恋の成就を感謝する当事者の存在も明らかになってきている。
台湾においてLGBTのためのサポートやカウンセリング等の支援を行う団体「台灣同志諮詢熱線協會」のメンバー蔡尚文は台北の霞海城隍廟に祀られる月老にお参りして縁結びが実現された事を語っている。2017年に協会はここで記者会見を開き「神明疼眾人,新年求平權(神々は皆を愛し、新年に平等な権利を求める)」というメッセージを表明した(月老牽起同志伴侶姻緣,期待婚姻平權通過後帶喜餅來還願)。
2019年5月24日に台湾で同性婚が認められた際、霞海城隍廟Facebookページでは主祭神城隍神が司法の神でもあることを挙げ、「眾神面前愛無差別、每個人都有追求幸福的權利(数多の神の面前に愛の差別はなく、番人には幸福を追求する権利がある)」とコメントされた(【愛無差別,平等人權】)。
霞海城隍廟の宣伝担当リーダー吳孟寰は同性愛者も月老を拝む事ができるか、という問いに「神は異性愛も同性愛も区別しません。貴方が真心をもって結婚を祈るなら、月老は庇護と祝福を授けるでしょう」と語っている(讓專業的來 破解拜月老都市傳說)。
艋舺龍山寺の董事長(法人の理事長)の黃書瑋も副董事長時代に「月老隨著時代的進步也會改變(月老も時代の進歩に伴い(考え・立場を)変化させていく」とコメントしている(2015/8/22 風傳媒: 七夕破除謠言:同志當然可以拜月老)。
図像表現
清の時代の沈復による自伝小説『浮生六記』では月下老人の姿について記載がある。それによると、一方の手に赤い糸を持ち、もう一方の手には婚姻簿をくくりつけた杖を携えていて、少年のような若々しい顔に鶴のような白髪をしている(一手挽红丝,一手携杖悬婚姻簿,童颜鹤发,)。
神像としてはスタンダードな老仙像がベースとなっており、片方の手に婚姻簿をあらわす巻物や冊子本を持つ。もう一方の手に握られた杖には赤い糸がくくりつけられ、それが婚姻簿と繋がっている作例もある。
この他、糸ではなく赤い布を持つ形もある(日月潭の湖畔・水社村の竜鳳宮の像など)。
配祀
同じく縁結びの神である「紅娘」や「氤氲使者」、婚姻関係にある二人の紅線(関係・結びつき)を維持する女神「月老婆婆」、夫婦和合、家庭円満も司る和合二仙(寒山拾得)と一緒に祀られることもある。
他の脇侍のパターンとしては、地上の人間に近い容姿・服装の男女(「状元」と「状元夫人」)、より神仙人寄りの童子と玉女がある。
桃花仙女と共に斷緣祖師(弘仁大法師)が両脇に配祀される例もある。