※この記事は地域としての台湾について説明しています。中華民国という政権を中心に、政治体としての台湾については『中華民国』をご覧ください。台湾の行政区画については『台湾省』を参照のこと。
概要
東アジアにある島、または同島を中心の地域、中心都市は台北市。
台湾島は東シナ海・南シナ海・太平洋に挟まれ、ユーラシア大陸とは海峡で隔たれている。
また、同島を実効支配する国家「中華民国」を指していうこともある。同政権は台湾のほかに福建省の一部(金門島・馬祖島など)を実効支配する。
呼称問題
中華民国が中国大陸の正当な政府について中国共産党と争っていることから中華人民共和国も領有権を主張しており、中華人民共和国としては台湾省という扱い。それに対して、中華民国側は現在の中華人民共和国の全土(チベット、新疆省、内モンゴルを含む)が領土であるとしている(少し前までは外蒙古・モンゴル国も自国領だとしていた)。
ただし、かつて中華民国が主張した「大陸反攻」は事実上不可能となっており、李登輝政権以降の台湾では、大陸との統一に反対し、名実ともに独立した「台灣國」としての道を歩むべき、と主張する動きも活発である(台湾独立運動)。
このような「台湾とも中華民国とも呼べない」事情から、スポーツなどの国際的な場では「チャイニーズ・タイペイ」という呼称が使われている。
美称として美麗島、もしくはフォルモサ(ポルトガル語:Formosa、麗しの島)。
地理
台湾本島は大陸からは約150km、日本の与那国島からは100kmほどの距離にある。面積は36千平方km、日本でいえばほぼ九州と同じ面積になる。環太平洋造山帯に位置し、火山もあり地震も多い。中央部には5つの山脈が走り、その最高峰は玉山で標高3952mに達する。
北部は亜熱帯気候、南部は熱帯モンスーン気候。夏は雨が多く、日本よりもさらに真夏日が多い。北部の冬では降雪こそ稀だが、気温は15℃前後まで下がる。南部の冬は気温があまり下がらず極端に乾燥する乾季となる。太平洋北西沿岸部に位置する事から台風の被害も大きく、被害が予想される場合は「颱風假(タイフォンジャー)」という学校や職場の臨時休業が発表されることもある。
歴史
起源
明朝以前は土着の民族である台湾原住民たちが住む未開の島と位置付けられていた。この原住民は東南アジアや南太平洋諸島に分布するオーストロネシア語族に属すると考えられ、紀元前3000年ごろから台湾を起点に各地へ少しずつ移住・拡大を続けていったと考えられている。
ところで、現代の地図を見てみると、台湾は中国大陸のすぐそばにあることがよく分かる。しかし、台湾島が中国大陸を含めた外界と本格的に関係を持つようになったのはごく最近のことであった。
外界との接触
16世紀半ば、日本は戦国時代の真っ最中、欧州人が東アジアの海に到達した頃、日本の五島列島と平戸を拠点にしていて、日本への鉄砲伝来とも関わる明人・王直が率いた日中混成の後期倭寇は、東アジアの主要な海洋勢力に成長し、一部が台湾を密輸貿易の拠点として利用し始めた。
当時、日本の治安悪化の影響で、明朝は中国船の日本への直接航行を禁止していたため、公式の日明貿易は中断されて、日本と中国の海商・海賊達が、明の統治下にない台湾で出会貿易の密輸を行っていた。
これら王直以下の倭寇の中、後に日本人傭兵を率いてスペイン統治下のフィリピンのマニラをも攻撃した大海賊・林鳳(スペイン側の記録ではリマホン、民間伝承では別の大海賊林道乾と混同されることが多い)は、歴史上最初に名前が記録されている台湾に上陸した台湾原住民以外の人物であった。
また、16世紀末の文献によれば、当時に中国からは「東番」、日本からは「高山国」、欧州人からは「フォルモサ」と呼ばれていた。
1624年、台湾の海岸に詳しい倭寇とも協力関係にあるオランダ(東インド会社)が通商拠点として現在台南一帯の地「タイオワン」を占領し、植民地として開発が始まった。その2年後には北部をスペインが占領したが、のちにオランダによって駆逐された。
そしてオランダ東インド会社はこれまでの日中倭寇と違い、台湾を単なる貿易拠点だけではなく、日本向け貿易で需要が高い砂糖と鹿革などの生産拠点とも建設しようとして、先住民から鹿革を買い上げの他、農業に力を入れて、中国沿岸部から農民を招致、東南アジアから天然の水田農業機械であるスイギュウを導入し、サトウキビと水稲の栽培を拡大、台湾農業の基礎を築いた。
このオランダ統治期で、元は単なる島南西部一帯の地名である「タイオワン」は、訛りが転じて、徐々に島全体の呼称「台湾」として東アジアに浸透し始めた。
オランダ人と倭寇達の関係もすべてが順風満帆というわけではなく、この時期に日蘭貿易に衝撃を与えた「タイオワン事件」も起きた。簡単に言うと、これはオランダ人が課す取引税に不満の日本海商・海賊がオランダ人の台湾行政長官を日本に拉致、監禁した事件であり、事件によって日蘭貿易は数年中断された。しかし平戸駐在のオランダ商館員は、巧妙な立ち回りと賄賂を駆使し、さらに徳川幕府の鎖国政策と組み合わせて、日本の対外貿易を独占する権利を取り戻した。
オランダの台湾統治と同時期に、平戸倭寇の新しい頭領・鄭芝龍は、明王朝に帰順し、オランダ東インド会社と協力して他の倭寇・海賊を駆逐した後、独自の中国対日貿易ルートを構築し始め、逆にオランダ東インド会社の台湾経由対日貿易ルートを脅かし始めた。鄭芝龍の目論見は清朝の南下によって失敗に終わったが、東アジア最大の海上勢力となってしまう鄭一族の軍勢は、間もなく台湾の歴史を大きく変えた。
中華の下に入る
中国で明朝が清朝に滅ぼされた後、1662年、平戸倭寇の末裔・鄭芝龍の子、自身も日本平戸生まれの日中ハーフである明の将軍鄭成功が、新しい拠点を求めて明朝の残党と一族の軍勢を率いて台湾からオランダを追い出し、初の台湾独立政権を築く、一時期とはいえ東アジア最大の海軍国家となっていた。
しかし鄭成功の子の時代で鄭氏政権が中国に再上陸した戦役に大きく消耗した。後に清が鄭成功を裏切った将軍を利用して海軍を構築、これまで東アジア史上最大級の艦隊戦の一つ・澎湖海戦に勝利し、鄭氏政権を倒したことで、台湾は名目上初めて中華帝国の版図となった。
このオランダの統治から清の征服までに大陸の主に現代でいう福建省・広東省から多くの華僑が移住した。この際平地に住んでいた原住民を混血・同化し、現在の台湾人多数派につながる人的集団が形成される。これを本省人と呼ぶ。
山岳地帯に住んでいた原住民は同化せずに独自の文化・風習を保ち続け、「高山族」と言われるようになった。
清の介入
1871年、那覇から宮古島への帰路にあった朝貢船が暴風に流され、台湾南部の八瑶湾に漂着した琉球人のうち54人が現地の台湾原住民(パイワン族)によって惨殺される牡丹社事件(宮古島島民遭難事件とも)が起こった。
当時琉球を日本国の一部として国際的に認知させようとしていた明治政府は、「自国民保護」を名目に清国政府に抗議した。しかし名目上は台湾を領有しながらも、実際には公的な統治を放棄していた清は、台湾を『化外の地(中華文明の外の地方)』として台湾原住民による行為の責任を負おうとしなかった。そのため日本政府は責任追及のため台湾への出兵を決定した。
当然清は日本の派兵に反発したが、イギリスの仲介もあって和議が成立した。これによって漂流民殺害事件は「清国民」によるものとされ、以後清は台湾を自国の一部として本格的に統治に取り組むこととなった。
日本統治
1895年、日清戦争に勝利した日本が統治権を奪取。抵抗する清国の残兵や一部の現地住民と戦闘となるも(乙未戦争)日本陸軍により鎮圧され、名実ともに日本の支配下となった。
台湾に統治機関として置かれた台湾総督府は中央集権式の統治を行い、交通や水利、教育などの整備で急速に近代化を遂げ、台湾社会を変容させた。
しかし一方で台湾住民による抵抗運動は根強く、日清戦争終結から20年後の1915年まで武装蜂起が断続的に続いた。1930年にはセデック族による霧社事件が発生し、理蕃政策の難しさを思い知らされることとなった。
また、日本の統治はインフラなど物理的な面以外に、住民の意識やアイデンティティなど人々の内面についても変化をもたらした。
それまでの台湾住人には「台湾人」という概念が存在しなかったが、近代国民国家である大日本帝国の統治によって台湾に国民の概念が浸透した。
そして内地出身者である「内地人」に対する台湾出身者の「本島人」という日本からの区分(差別)が、従来の「漢人」や「蕃人」を越えて現在につながる「台湾人」というアイデンティティを生み出した。
戦後
1945年、日本の敗戦に伴い当時中国大陸の代表政権だった中国国民党の中華民国の統治に移った。しかし大陸から一方的に支配する国民党による強権的統治から本省人の不満は高まっていった。
そして1947年、台北市での役人と市民の偶発的な衝突をきっかけに台湾全土で国民党政府に対する抗議運動が起こった。これに対して国民党は徹底的な武力弾圧で応えた(二・二八事件)。この時発令された戒厳令が1987年に解除されるまでの恐怖政治は「白色テロ」と呼ばれ、その影響は台湾社会に今なお尾を引いている。
1949年、国民党は日中戦争で中断していた国共内戦で中国共産党に敗れ、中国大陸から台湾へ逃れた。国民党政府の関係者として台湾に来た人々を外省人と呼び、台湾の支配階級として本省人や高山族らを強権支配した。
こうして国民党の独裁政権下、外省人と本省人の間で軋轢が続いたが、中台の分離状態が固定化するなかで外省人も徐々に土着化が進んでいった。90年代初めの民主的総統選挙と憲法改正がなされ、国民党一党支配は民主進歩党(民進党)との二大政党制へと形を変えた。
現代
投票行動では外省人は国民党に入れるというのが台湾社会の傾向であったが、2014年の台北市長選挙において、国民党の長老格の政治家らが外省人と本省人の対立をことさらに煽り立てたことに反発を覚えた外省人が民進党候補に投票したという出来事が起こるなど、外省人の台湾化は顕著であり、特に2世、3世など台湾に生まれ育った世代ほど国民党離れが激しい傾向にある。
現在は98%が漢民族であり、台湾原住民は漢族との混血が激しい。本省人も多くが漢族に属する。
近況
大ざっぱに言えば国民党は保守・中国志向・親米かつ親中的で、民進党はリベラル・独立志向・親米かつ反中的。だが反共・保守を掲げる国民党が中国共産党との関係強化に熱心、という奇妙な「ねじれ」がある。現在の中国国民党は反共を放棄し、容共に転向した。ちなみに、日本やアメリカの親台派の政治家や知識人は保守派・リベラル派を問わず中国を牽制するために台湾の存在を利用しようとしている。一方で経済的には中国経済を無視はできないので、無理に中国との全面衝突を求めている訳ではない。また親中的な国民党といえど親米派でもあるのでアメリカとの関係上、中国との統合を明確に主張するのは避けている。また、民進党も中国との経済関係への配慮から「台湾独立」を明確に主張するのを避けている。事実上「中国と統合するでもなく、独立するでもない」現状を肯定する空気が台湾の主流、そして日米政治の主流を占めているといってよい。
しかし「一つの中国」を掲げる中国共産党は近年台湾へ統合への圧力を強めている。一方の台湾も、2019年からの香港デモを受けて大陸との対立姿勢を明らかにしつつあり、日米も情勢への対処を迫られつつある。かくして、全体として両者の緊張は高まりつつある状況である。一国二制度による大陸との統一も度々言及されるが、香港への圧力を見ればそれも困難となっている。
文化
経済発展がめざましく、アジア太平洋地域における一人当たりGDPではシンガポール、マカオ、香港、オーストラリア、ニュージーランド、日本、韓国に次ぐ富裕地域である。首都台北に建っている超高層ビル「台北101」は2004年から2007年まで世界一の高さを誇っていた。
山岳地帯には様々な原住民の独特な文化が残り、温泉も多い。大陸側では文化大革命などで消えてしまった文化や風習があるが、大陸側の影響をほとんど受けなかった台湾では今でも残っている文化や風習がある。
公用語は中国語。より詳しく言えば、一般に標準語とされているのは現代標準漢語をベースに整備された「中華民国国語」である。ただし「国語」が台湾で用いられるようになったのは戦後(特に国共内戦後)になってからの事であり、住民の8割以上を占める「本省人」(福建系のホーロー人と広東系の客家)はそれぞれ土着の台湾語(ビン南語、ホーロー語とも。話者割合約70%)や客家語(話者割合約7%)を用いる事も多い(「国語」についてもこれら土着の言語の影響を強く受けた「台湾華語」と呼ばれる変種が一般には用いられている)。公共交通機関などでは「国語」・台湾語・客家語・英語の4言語が使われるなど、現在ではこれらの諸言語(および原住民諸語や手話)は対等な扱いを受けている。
大陸の中国語とは一部の表現が異なるのも特徴。観光で使うものでは「計程車」(タクシー)や「捷運」(地下鉄)などが代表例。
漢字は大陸の簡体字と異なり、画数の多い繁体字が用いられる。日本の旧字体とほとんど同じであるが、全く同じではない。そのためあちらでは「臺灣」や「台灣」と書かれる。
行事も伝統中国そのまま保存されたものが多い。特に旧正月を「春節」といい、花火を使った派手なお祭りが行われる。これは大陸にも残っている習慣だが、台湾のそれは全土で国を挙げての大騒ぎとなり、その大規模なことで世界に知られる。一般の通りを火のついたロケット花火や爆竹が乱舞するため、慣れない観光客は好奇心程度では参加しないほうがいい。実際に行っている現地人でさえ、毎年死者まで出ている。
ちなみに「春節」祭のことを、日本のメディアが「世界一危険なお祭り」として報道したところ、すれ違いで台湾でも「世界一危険な祭り」が報道された。(日本の岸和田だんじり祭である)。
旧暦5月5日は端午節、日本でいう端午の節句である。古代楚国の詩人屈原の悲劇を偲び、水に身を投げた彼を救う為に人々が船を出した故事からドラゴンボートレースを行う。また粽を食べる。旧暦8月15日は中秋節という豊作を感謝しお月見を行う祭だ。月餅を食べる。
食文化は福建省を中心とした移民の本省人の料理に戦後移住した外省人の料理が加わって豊かなバラエティに富む。詳細は台湾料理を参照。
台湾観光・グルメの定番として夜市があり、夕方から様々な物を売っていたり出し物があったりB級グルメが勢揃いの屋台が出ていたりと賑やかな場所となっている。特に台北の「士林夜市」は日本からの観光客も多い為か、日本語が通じる屋台も多い。
代表的な大企業
鴻海精密工業(Foxconn)、ASUS、エイサー、BenQ、AU Optronics (AUO)、GIGABYTE、クアンタ・コンピュータ、Micro-Star International (MSI)、HTC、裕隆汽車、SYM (三陽機車)、KYMCO(光陽機車)、ジャイアント・マニュファクチャリング、台湾銀行、エバーグリーン・グループ、長栄海運、エバー航空、立栄航空、チャイナエアライン(元中華航空)、マンダリン航空、國泰人壽、新光人壽、新光三越、統一企業グループ、統一超商 (7-eleven)、Formosa Plastics Group
pixiv的台湾
pixivには台湾の出身者や在住者の会員や絵師も数多く登録しており、日台の国際交流の場にもなっている。
タグが示すものの一例
- 絵の内容を示すタグ(台湾の関連事物を題材に描いたもの)
- キャラクター名を示すタグ(例:『AxisPowersヘタリア』の台湾さん⇒ただし「気苦労娘」タグのほうが普及)
- パーソナルタグの代わり(投稿者が台湾のユーザーであることを示すもの)
関連キャラクター
※台湾出身若しくは台湾と関係の深いキャラクターのみ
気苦労娘 | 郭神琳 | 丹陽(艦隊これくしょん) |
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ヘタリア | アサルトリリィ | 艦隊これくしょん |
T91 | 逸仙(アズールレーン) | シェンホア |
ドールズフロントライン | アズールレーン | BLACKLAGOON |
小静麗 | ピン・ユートン | リュウ・セイリュウ |
東京喰種 | ステーションメモリーズ! | 青の祓魔師 |
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リン・レイファ | 劉東成 | |
八月のシンデレラナイン | ケンガンオメガ | |
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