概要
山奥であるため、清朝の時代には9世帯しか家がなく、行商人などにいつも「9世帯ぶん」と頼んでいたので九份になったという説がある。
もともとは由来通りに寒村であったが、1800年代末に金鉱が発見されてからは街は急速に発展した。特に日本の台湾統治時代には盛んに採掘が行われ、街は最盛期を迎えている。
しかし1971年に金山が枯渇・閉鉱されてからは、また元の寒村へと戻りつつあった。
しかし1990年代に、政変を題材とした映画「悲情城市」のロケ地に使用されて以降、その日本統治時代の面影を残したノスタルジックで美しい街並みから注目を浴び、現在では台湾を代表する観光地となっている。
日本では千と千尋の神隠しの湯屋のモデルになったということで注目を浴び、旅行会社によって頻繁にツアーも組まれている。(ただし、このことについて宮崎駿監督は、あるインタビューの中できっぱりと否定している。)
また最近では、近代化計画が進められており、Wi-Fiやリアルタイムでの映像配信などを行う向きもある。
pixivでは
その美しい景色から、絵の題材として人気がある。