概要
主に中国内地や台湾などの中華圏にゆかりを持つ民族、というか漢化された他民族の末裔。中華人民共和国の民族政策上の漢民族(中華民族56民族のうち最大の民族)については漢族に記述し、ここでは海外に居住する華人も含めた漢民族について記述する。
現状において中国内地の人口の91.37%、台湾の人口の97.50%、シンガポールの人口の74.31%を占める。また、地球における全人口の18.11%を占め、世界最大の民族と言える。
分類
中原の華夏族に北方・西方の遊牧民が交わって形成された北方民系、中部沿岸部の民族が中国人化した呉越民系、百越と言われる東南アジア系民族が中国人化した広府民系、南下した漢民族と百越や台湾原住民などが融合した閩海民系など。そのほか、北方から華南に移住してきた客家も独自のグループを形成している。
漢民族の歴史
黄河の中流、すなわち中原地域に住んでいた華夏族をルーツとし、漢朝頃から漢人と呼ばれるようになったのが起源とされる。
ところが、その「漢人」は三国時代の戦乱で人口が激減し、西晋時代の永嘉の乱において異民族から虐殺され、華夏族の末裔としての漢民族は数を減らし、また五胡十六国時代より異民族との同化が進行。
南北朝時代には、西晋崩壊以降の漢民族の流れを汲んでいた南朝陳が隋によって滅ぼされる。
中国を統一した隋は元々鮮卑族の北周に取って代わった国であり、皇帝の血筋ははっきりとしていないが、いずれにしても異民族の影響力が強い国家である。
(隋の皇帝楊堅は一応漢民族を自称するも、モンゴル系であるとも鮮卑出身ともされる。暴君で有名な煬帝や唐の初代皇帝である李淵の母親たちはいずれも異民族出身なので少なくとも異民族とのハーフである。また、楊堅や李淵の父や祖父は北魏時代の武川鎮軍閥出身である。武川鎮軍閥は異民族を中心とした一派で、後に貴族化し隋と唐初の政治に大きく影響している。)
隋以降の国家は、漢化された異民族と漢人が混在しており、彼の総称自体が漢民族と呼ばれるようになり、現代で使われる漢民族に近い意味合いとなる。
その後中国は、モンゴル族の元朝や満州族の清朝に支配され、特に華北の漢民族は文化、言語ともに北方民族の影響が強まった。南方の漢民族には相対的に古代の伝統が強く残ることになった。