プロフィール
生年 | 不詳 |
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没年 | 220年(建安24年) |
出身地 | 河東郡解県(現在の山西省運城市塩湖区) |
字 | 雲長 |
概要
故郷の伝承では、塩の密売人をしており当時は「長生」と名乗っていたという。
『三国志演義』では青龍偃月刀の使い手として知られるが、これは張飛の蛇矛や呂布の方天画戟同様に時代考証が合わず、突出した武勲を賛美する意図で後付けされたものとされている。
道教文献集成『正統道蔵』収録の『道法会元』巻之二百五十九「地祇馘魔関元帥秘法」における「龍頭大刀」という記述に基づいてか、青龍偃月刀の刃の付け根に龍の頭部がデザインされる事もある。
腕っ節だけではなく春秋左氏伝を諳じたりするなど叩き上げの武人としては学もあった(こういうことがわざわざ言及されている時点で、春秋左氏伝をはじめ四書五経などをそらんじるのが当たり前なインテリ層から、関羽が軽んじられていたという可能性もある)。
その立派な顎鬚から「美髯公(びぜんこう)」と呼ばれ、今では関聖帝君として世界各地の華僑の居留地などで関帝廟に祀られている。
(基本的に商売の神として。信義に篤かった事から転じて信義は商売の信用にも繋がるという理由によって祀られる。もっとも関羽自身も元は商人である。武の神としての側面は日本での毘沙門天信仰のように「勝負(勝利)の神」という形に転じたようである。)
文武に秀で部下には公正かつ親身に接し兵達からの信望も厚かった。だが上官等を軽視する傲慢な傾向があり、特に文官の高官からはあまり好かれていなかった。
老人かつ新参である黄忠と同じ列に並んでいる事に腹を立ててヘソを曲げて使者に咎められたり、馬超について諸葛亮に問い質し、その性格を考慮して「髭殿には及びません」という手紙を受け取り、上機嫌でそれを宴席で見せるという大人げない言動も目立った。
関羽は、領土問題を抱えていた呉方面の軍事と行政を一手に担っていたが、最終的に敵に回すことになり、更には普段の横暴な振る舞いから、脅しを掛けられて殺される事を恐れた糜竺の弟・糜芳や士仁が呉へと寝返ってしまう。加えて劉封に援軍を断られてじり貧となり、曹操に援軍を要請した曹仁の巻き返しによる形勢逆転に繋がり、これも自らの大敗と死へと至っている。
関羽の死後から間もなく、呂蒙や曹操を始め魏・呉の名だたる武将達がまるで関羽を追うように病などで死去してしまった為、巷では関羽の呪いではないだろうかと囁かれた。
魏はまだしも呉は呂蒙以外にも孫皎・甘寧・蒋欽・陸績・凌統と立て続けに亡くなったため余計に言われることになった。
そして援軍要請を拒否した劉封は義父である劉備の怒りを買って処刑され(追い込まれて蜀を裏切った孟達に魏への鞍替えを誘われた際は、義父への想いから拒否している)、劉備と張飛も仇討に狂騒し、張飛は部下に暗殺され劉備は夷陵の戦いで惨敗し失意の内に生涯を終えている。
陳寿の評
彼の人物評は、關張馬黄趙傳の最後に張飛と共に纏められている。
「関羽・張飛の二人は、1人で万の兵に匹敵すると賞賛され、当世における虎臣(勇猛な家臣)であった。関羽は顔良を斬って義を果たし、張飛は厳顔の義心に感じ入ってその縄目を解き、両者並んで国士の気風があった。然し、関羽は剛情で自信を持ち過ぎ、張飛は乱暴で情を持たず、両者共その短所により身の破滅を招いた。道理からいって当然である」
容姿
明代の時代小説『三国志演義』第一回において「身長九尺、髯長二尺、面如重棗、脣若塗脂、丹鳳眼、臥蠶眉」と記される。
昔の中国では一尺で20cm位であったという。『演義』では身長は180cmほどで髯は40cmくらいということになる。
その顔は棗のように赤く、唇は脂(ここでは「紅」の意)を塗ったようで、目尻は上に上がっており、その眉毛は蚕が臥しているかのようである、という意味になる。
ひげの長さについては異説もあり、元の時代の劇作家・関漢卿の雑劇『大都新編関張双赴西蜀夢』第三折「紅綉靴」だと、彼の三筋の長い髯が腰のあたりまで伸びている事が歌われている。
『演義』での描写はそれまでの伝承や芸術における関羽描写の集大成とも言え、個別の要素はさらに古い時代に遡る事ができる。例えば「臥蠶眉」は関漢卿の元曲『石榴花』の唱詞に前例がある。
『演義』等では服装として「䖝袍金鎧」を身につけているとされる。䖝には「虫」の意味があり、その中でも緑色の幼虫が意識されているのか緑色の袍(古い中国の衣服)に金色あるいは金属の鎧を組み合わせて着用している像や絵が多い。
このほか北宋時代の説話集『大宋宣和遺事』、雑劇や道教文献では「滲青巾」とも呼ばれる青い頭巾を身につけている描写がある。
元の時代末期から明の時代初期までに書かれた道教文献『法海遺珠』卷三九『酆都西臺朗靈馘魔關元帥祕法』には「戴青長結巾,重棗色面,鳳眼,美髯,官綠鴈花袍,袒襟露甲,綠吊槨靴,乘赤馬,手提大刀」という一節がある。ここでは関羽の服の色が緑色と明記されている(「官綠」は日本でいう抹茶色に近い色合いである)。
関帝信仰の立場から編まれた事績集『關聖帝君聖蹟圖誌全集』の「起賊眾驚潰斬首不可勝計遂解青州圉」という箇所ではシンプルに「綠袍」と呼ばれている。曹操が彼に珍しい綿の袍を贈った後、皇叔(劉備)から賜ったものという理由で引き続き古い緑の袍を身につけて現れる、というシーンである。
道教文献には紅色の衣を身につけるとする記述(『法海遺珠』と同時期の『道法会元』巻之二百五十九「地祇馘魔関元帥秘法」での「大紅朝服」)もあり、これは雑劇にも見られる傾向だった。資料『雑劇穿関』では「虎牢関三戦呂布」という作品で「紅袍」が関羽の特徴とされていた事が記録されている。
こうした中国古典に基づき、関羽の姿は赤らんだ顔に長く美しい顎髭の偉丈夫というイメージで描かれる。これが定着し過ぎており、だいたいどんな三国志創作においても関羽はだいたい同じ外見をしている。
緑の服を着た姿はコーエー作品などを介して広く現代日本でも知られている。
乙女ゲー系や女体化系では流石に髭の男ではなくなるのだが、その場合は髭を黒髪長髪という属性に置き換えて関羽らしさを残すことが多い。
創作物における関羽
どの作品においても、人格者のように描かれその上異常に強く設定されている。
『横山三国志』
『真・三國無双』シリーズ
関羽(真・三國無双)を参照
『三国伝』
関羽ガンダムを参照
『蒼天航路』
劉備と出会う前までは張飛と共に美髯団という義侠軍団を率いていた。
この作者は終盤の活躍を描くにあたり、神である関羽への礼を失しないよう自分の描いたイラストを基に神棚まで作ったという。
『DRAGONSISTER』
本作のヒロインその1。本来は人並み外れた能力の男に生まれるはずが、歪んだ呪いで超人的な女に生まれた武者の一人。
劉備と出会う前までは、高い志と能力を持て余しながら、張飛と幽州を流離っていた。
『一騎当千』
関羽雲長を参照
『恋姫†無双』
愛紗を参照
『十三支演義』
本作の主人公。猫族と呼ばれる亜人族の娘で、同じ猫族の劉備(男)、張飛(男)と共に戦乱の世をかける。
『三国恋戦記』
雲長を参照
『三国戦紀』
関羽(三国戦紀)を参照
『Three Kingdoms』
吹き替え田中正彦
活躍は演義に準じているが、他作品に比べ、傲慢で狭量な面が強く描写されている。最期は呂蒙に包囲され自害する。
『真・女神転生』
名称は神として信仰される際の「カンセイテイクン」となっている。顔も偶像に倣い、真紅に染まっている。
「デビルサマナー」で種族「英雄」の悪魔(「ⅣFINAL」では「英傑」)として登場。アライアメントは「LIGHT-NEUTRAL」。
その武勇ゆえに「虚空斬破」をはじめとする物理攻撃を得意としており、「D×2」では物理貫通と敵を倒した際に味方を回復する効果を与える「忠義神武」、敵単体を切り裂き、次に敵全体を薙ぎ払う「青龍偃月刀」を固有スキルとして習得する。「ミナゴロシの愉悦」を覚えているのでクリティカルにも期待できる。
関連タグ
赤兎馬:愛馬
岳飛:関羽と共に中国国内における人気の英雄の一人。
周倉:架空の側近。
家族
劉備:義兄弟であり主君。
張飛:義兄弟。
関平:息子。演義では養子。
関興:息子。
関索:息子だが、後世の架空の人物
関銀屏:娘。実際いたが、名前は不明。
作品タグ