概要
178年 - 219年
父は関羽。兄弟に関興がいる。また小説『三国志演義』などではさらに関索という兄弟もいる。蜀の劉備に仕えた。
正史においては「かんへい」という名で関羽の実子であり、実の兄弟には関興がいる。
具体的な活躍としては父に随行して、魏の曹仁と呉の呂蒙等の軍と戦った。
そして呉軍に捕縛され父と共に首を討たれた、と記載されているのみ。
今日出来ている関平のイメージは、後述する演義または民間伝承などの後世における創作要素が強くなっている。
演義においては河北国境に住む関定の次男。関羽の養子。
恩義を果たして曹操の下を去った関羽が劉備と再会する際に関羽と出会い、劉備の仲立ちで関羽の養子となる。
新野に夏侯惇が攻めてきた際に、劉封と共に諸葛亮の火計を成功させた(新野の戦い)。
劉備が益州に侵攻すると従軍するが、軍師・龐統が劉備を庇い戦死すると荊州に援軍を要請、諸葛亮らが益州に向かうと代わって荊州に残り関羽を補佐した。
関羽が襄陽に侵攻すると従軍し活躍した。
しかし、背後を孫権軍に急襲され麦城で関羽と共に捕らえられ刑死した(麦城の戦い)。
今日では演義における活躍を元に、関帝(関羽)を祭った関帝廟の随神として周倉と共に祭られている。