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三国志

さんごくし

①中国の三国時代についての史書『正史三国志』 ②正史を元にした古典小説『三国志演義』 ③それらを元にした創作全般(例:横山光輝の漫画『三国志』など)
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概要編集

三国志とは狭義では陳寿によって書かれた中国三国時代の歴史書『正史三国志』のことを指し、広義では三国時代をテーマにした創作物全般を指す。


特に後世の中国で伝承や講談をもとに作られた小説『三国志演義』が有名で、現代の三国志創作に多大な影響を与えている。


そのため、一般的に陳寿が著した「三国志」といえ明代に書かれたば『三国志演義』のことであるが、『正史三国志』と『三国志演義』の両者はしばしば混同される。(違いについては後述)


時代区分編集

三国時代は、狭義では後漢滅亡(220年)から晋が天下を統一した280年までを指し、最狭義では三国が鼎立した222年から蜀漢が滅亡した263年までだが、広義では黄巾の乱の蜂起(184年)による漢朝の動揺から西晋による中国再統一(280年)までを指す。


229年までに魏(初代皇帝:曹丕)、蜀漢(初代皇帝:劉備)、呉(初代皇帝:孫権)が成立し、中国内に3人の皇帝が同時に立った。


当項目では広義の三国時代について記載する。


正史三国志編集

歴史書の『三国志』(正史)については、元々は陳寿が個人的に編纂していた物であった。陳寿の死後、范頵の上奏で写本を晋(西晋)の国庫に納めさせ、事実上公認したという特殊な成立をした史書である。この時点では、華嶠(華歆の孫)らの編纂した『十典』(後漢の歴史書『漢後書』の続編として編纂された魏晋の歴史書)も同様の扱いを受けていたが、永嘉の乱で大部分が散逸した。

『三国志』が正式に正史とされたのはさらに後年、の太宗・李世民の時代であった。


また彼のポリシーが「不確かな資料はとりあえず切る」であったため、その記述は非常に簡潔な内容であった。


加えて、晋に関係する記述は、将来編纂される『晋書』の領域と割り切ったためか、最小限に留められている。そのため、魏末期から晋への禅譲に至る状況は、『晋書』など晋の歴史書も同時に参照しないとよく分からないようになっている(後述する裴松之の注釈で、かなり補われている)。

ちなみに、晋の歴史書は晋が健在な当時からまとめられていたが、正史『晋書』は西晋が永嘉の乱で滅亡してから400年以上も経った唐の時代に、太宗・李世民の命により房玄齢らが編纂した。


一方で陳寿は晋に滅ぼされた亡国蜀漢の遺臣であるため、限られた条件下で故国を称揚しようともした。を正統王朝、世界の支配者である皇帝を輩出した政権としつつも、蜀漢と呉で用語の使い方に差を付けたり、蜀漢の劉備劉禅の妻を皇后と呼ぶことで、劉備・劉禅が実質的に皇帝であったことを控えめにアピールしている。


また、蜀漢の歴史は『蜀志(または『蜀書』)』を表題としつつも、楊戯『季漢輔臣賛』の引用という形で、「蜀」が実際には「漢」であったことも、これまた控えめにアピールしている(「季」は末っ子の意味。今日の後漢を「中漢」、みずからを「季漢」と呼んで区別していた)。もっとも劉備を先主、劉禅を後主と呼ぶなど控えめだったせいか、後世の蜀漢贔屓には逆に叩かれてしまったのだが。


ちなみに、呉の歴史書である『呉志(または『呉書』)』は韋昭らが呉の二代皇帝・孫亮(孫権の七男)の命で編纂した『呉書』を引用している。同書に記述の無い呉末期の記述は、西晋に降伏した旧呉関係者からの取材で補っており、『呉書』の最終巻では、人物評で旧呉の薛瑩と胡沖のコメントが載せられている。


一方、魏の歴史書については陳寿に先んじて西晋の夏侯湛(夏侯淵の曾孫)が『魏書』を著していたが、陳寿の『魏志(または『魏書』)』を読んだ後に自らの『魏書』を破棄している。とは言え夏侯淵の子孫の動向が明らかなことについては夏侯湛版『魏書』によるところが大きい。


魏の歴史については、魏末期成立の王沈『魏書』、魚豢『魏略』などもあり、同時代的には王沈や華嶠の編著の方が正史に近い地位といえた。しかし、王沈版の『魏書』は、簒奪を間近に控えた司馬氏に阿った内容で評価は低く、『魏略』は大秦国(ローマ帝国)や邪馬台国など、外国の貴重な記録が現存するが、全体的な精度は低いとされる。


結局、類書の多くは散逸し(その一部は後述の裴松之らによって保存されたが)、『三国志』は実力で生きのこったといえる。


拡大する三国志の世界編集

陳寿版には100年ほど後に裴松之のまとめた「注釈」が入れられている。この注釈では事実関係を補ったり、不確かな資料と前置いた上で異説が紹介されたりしている。この注釈は編纂した裴松之の名を取り「裴注」と呼ばれる事もある。


裴注の分量は、20世紀になって楊翼驤という学者が「本文20万字、裴注54万字」と、本文の3倍近い内容であると主張した。しかし王廷洽と呉金華が数え直したところ、正史本文の方が若干多いことが判明した。呉金華によれば、正史本文は約368,000字、裴注は約322,000字であった。お疲れ様でした


裴注には眉唾でも面白い話が満載なので、民間伝承や講談、三国志演義、後世の三国志をモチーフにした作品など、どこでも格好のネタに使われている(なお、裴松之は、信憑性が低い逸話は「信用できない」と断るなど、配慮した上で載せているため、歴史書としての三国志の価値は損なわれていない)。


そしてこれまた20世紀になって、盧弼がそれまでの注釈の集大成となる『三国志集解』を上梓した。陳寿の本文や裴松之の注釈はもちろん、裴松之がフォローしきれなかった文献や注釈、前後の時代の正史で三国時代に触れられた記述、後世の学者の論争などを収録している。邦訳はされていないのでハードルは高いが、熱心なファンは同書にすら飽き足らず、自分で文献をあさっている。深い世界である。


さらに、考古学的史料も発掘が進んでいる。1984年に発掘された朱然墓を始め、当時の遺品から、歴史書では分からなかった事柄が判明したり、記述の誤りの訂正も行われている。2019年に日本で開催された「特別展『三国志』」では、曹操高陵(西高穴2号墓)の出土品などが公開された。


正史『三国志』と裴松之注の全訳は、1989年に筑摩書房より出版され、1993年に文庫化された(全3巻、文庫版8巻)。人物索引や地図、官職表など付録も充実している。この文庫化は、日本の三国志ファンへの正史普及と理解に大きく貢献し、正史を参照する二次創作が爆発的に増加した。


また、これとは別に、2019年より汲古書院が『全譯三國志』と題して新たな全訳の刊行を開始している。こちらは原文と書き下し文が収録され、より原文に即した翻訳になるという。


このように正史の追求により、以前は演義中心であった三国志関連作品にも変化が起きており、従来のイメージから脱却している登場人物も少なくない。近年では演義に登場しないマイナーな女性人物がキャラクターとして取り上げられることも目立つ。


様々な面で三国志の世界は拡大していると言える。



三国志演義編集

三国志演義は明代になって伝承や講談を基に作られたものである、著者は定説をみず、施耐庵あるいは羅貫中の手によるものと伝えられている。そのため儒教文化や後漢王朝を正統としたい民衆の立場から、王朝を正統とする正史三国志は対照的に、後漢を継承する王朝を「主人公」として贔屓する傾向が強い。


具体的には、蜀漢の君主である劉備とその義兄弟である関羽張飛、参謀である諸葛亮が英雄視されている。


その反面、彼等に敵対する立場のの人物は酷い扱いだったり、味方でも手柄を有名な人物に持っていかれたりといった事もある。特に主要な被害者は魏では曹真など、蜀では張嶷など。


つまり民衆にとって分かりやすい物語にするために、対立構造や主要な人物をはっきりさせているのが三国志演義なのだ。


よく言われるのは「史実7割創作3割」との事。

あんだけ化け物てんこ盛りで3割だけ創作……どういうことなの?


もっとも、演義のプロトタイプである三国志平話は全編が演義の南蛮征伐編(演義の中ではファンタジー色の強い異色の章)をエスカレートさせたようなノリだったそうなので、それをまとめて史実と整合性を取って一つの話にしてるのを考えれば、あながち間違ってはいない。平話では匈奴族の劉淵・劉聡の親子がラスボスを滅ぼしたという史実を元に、「劉淵は実は主人公劉備の外孫だったのだ!(ただし、劉淵が「漢の甥」と主張したという話は正史『晋書』にある事実)」と強引にハッピーエンドにして終わらせているが、演義ではもちろんそんなことはしていない。


蜀が敗れ、天下を統一するのは魏・呉・蜀のどの国でもない晋という史実の大枠は守りつつ、正義のはずの蜀が滅んで行く「滅びの美学」が演義にはあると評されている。


三国志創作の流れ編集

正史三国志』:公式の歴史書。故に簡潔で淡白。物語性は無い。

『三国志』の「注」:裴松之が『正史三国志』によると足りない内容を補う、正史に無い内容の異聞は何でも載せるというポリシーだったのである。その意味では『史記』の司馬遷に近い。

(宋から明にかけて、三国志物の講談が生み出される。これらが三国志演義の源流)

(『三国志平話』:初めてのまとまった三国志創作。絵物語。荒唐無稽な要素が多い。)

三国志演義』:史実を基にしてリアリティのあるフィクションを盛り込んだ歴史物語として成立。故に史実との矛盾も含まれる。主人公格など目立つ登場人物が決まっている。

(毛宗崗が、史実を重視し荒唐無稽な要素を削る方針で三国志演義の改訂を行う。現行の三国志演義は毛宗崗版が基本になっているが、日本ではそれ以前の刊本が基本になっている)

創作三国志』:多くが演義の設定に基づくが、特に近年では正史要素を取り入れる作品も増えている。漫画、アニメ、ゲームの他にpixivでは【pixiv三国志】のタグで個人での創作作品もある。


主な登場人物編集

※登場順は正史準拠。演義のみの人物も列挙。

曹魏編集

破格の人曹操がその基礎を築く。中華の北部を支配する強国。

  • 主君
曹操事実上の魏王朝の祖。優れた将軍であり政治家であり詩人。しかし近年の再評価を待つまでは冷酷な暴君として描かれることが多かった。劉備と天下を巡り争った。
曹丕曹操の三男。内政で辣腕を振るい、後漢を終わらせ魏の初代皇帝となる。しばしば父以上に冷血な面を見せる。
曹叡曹丕の長男。魏の二代皇帝。容姿は非常に美しい。父や祖父の後継者に相応しい力量を持ち諸葛亮の北伐を防ぐ。父同様、早世する。
曹叡曹丕の長男。魏の二代皇帝。容姿は非常に美しい。父や祖父の後継者に相応しい力量を持ち諸葛亮の北伐を防ぐ。父同様、早世する。
曹芳曹叡の養子。魏の三代皇帝。曹爽のち司馬一族に牛耳られた。司馬師打倒計画が露見し廃位された。
曹髦東海定王・曹霖の長男。魏の四代皇帝。甘露門の変で司馬昭の腹心賈充の配下である成済に討たれた。
曹奐燕王・曹宇の子。魏の五代にして最後の皇帝。晋王・司馬炎に帝位を禅譲し魏は滅んだ。

  • 家臣
夏侯惇曹操の従兄弟で眼帯の猛将。一方で正史では統治に優れた将としての顔を見せる。
夏侯淵曹操・夏侯惇の従兄弟。神速の用兵を得意とし、弓に優れる。
曹仁曹一族で軍の将軍の筆頭。若い頃は無頼漢であった。
曹真曹操の族子。夏侯惇や曹仁なきあとの将軍筆頭格。正史では非常に有能。
許褚「虎痴」とあだ名された怪力の持ち主。典韋と共に曹操の護衛を任せられた。
典韋「悪来」とあだ名された怪力の持ち主。曹操の信頼厚く護衛を任せられていたが宛城の戦いで賈詡の計略に嵌まり戦死。
文鴦蜀の趙雲の再来と謳われた猛将。鉄鞭と槍の使い手。乱世に翻弄され、魏・呉・晋と転々とする。晋の時代になり賈南風による反乱の際に命を落とす。
鄧艾魏後期の名将。農政官僚出身で地理に詳しい。成都一番乗りを果たし劉禅を降伏させたものの…
鍾会魏後期の知将。鍾繇の末子。才走った性格と野心家ぶりを周囲に警戒されてしまい最後は自滅する。

張遼魏の五将軍筆頭。丁原・董卓・呂布に従っていた。統率・武勇共に優れる名将。合肥の戦いでは呉にその名を恐怖と共に刻む。
楽進魏の五将軍の一人。五将軍唯一の生え抜きで一兵卒から将軍となった叩き上げ。
于禁魏の五将軍の一人。元は鮑信の家臣。軍紀に厳格な性格。しかしその最後は……。
張郃魏の五将軍の一人。最初は韓馥、のち袁紹に従っていたが官渡の戦いの時に投降。長く魏を支える。趙雲の好敵手。
徐晃魏の五将軍の一人。元は楊奉の家臣。演義では戦斧を愛用する。正史では戦においてはほぼ不敗を誇る。

  • 軍師
荀彧名門出身の清廉な美男子。曹操の右腕で政治面でも支える。後に曹操との関係は悪化したというが、その原因は未だ謎に包まれている。
荀攸魏の筆頭軍師に列なる戦術家の一人、大人しく自己主張の少ない性格。
賈詡乱世を生きる知謀と処世術に定評がある軍師。張繍の配下時代、曹昂と典韋を策謀で討ち取っている。
郭嘉曹操に愛された軍師。酒色を好み素行は悪いが、天才的な戦略家。

蜀漢編集

流浪の英雄劉備が建国。天然の要害に囲われているものの国力としては弱い。

  • 主君
劉備仁徳の君として民の人気を集める。近年ではというアウトローのリーダーとしての一面も強調される。
劉禅劉備の息子。親の七光りの暗愚。糸のように周りの色に染まる人物だと言われる。

なお、蜀志は「劉二牧伝(劉備以前の益州の主だった劉焉・劉璋父子の伝)」から始まっている。


関羽劉備に旗揚げから付き従う義弟。長く美しい髭と偃月刀が目印。義に厚く敵からも敬われ、後世では崇められ神となった。五虎大将軍筆頭。
張飛劉備に旗揚げから付き従う末の義弟。酒を愛する豪傑で虎髯と蛇矛が目印。五虎将の一人。
馬超「錦馬超」とあだ名される。異民族の血を引く涼州の雄。五虎将の一人。
黄忠劉表・韓玄を経て劉備に仕える。剛弓の使い手。「老いてますます盛ん」な老将の代名詞。五虎将の一人。
趙雲元は公孫瓚の家臣。演義では白馬の武者で最強の槍使いとして描かれる。真・三國無双シリーズでは主人公格。実は正史ではあまり描写がない。五虎将の一人。本場中国では黄忠同様に老将の代名詞となっている。

  • 軍師
諸葛亮多くの作品で若き天才軍師として描かれる。劉備と水魚の交わりを結ぶ。史実では参謀というよりも政治家。
龐統諸葛亮が龍ならば龐統は鳳凰と並び称された。冴えない見た目に反した知略を見せ、蜀取りに貢献。
法正元は劉璋の家臣。劉備入蜀に協力し家臣となり漢中攻略戦で大活躍。劉備が最も溺愛した軍師とも言われる。執念深い性格。

  • 家臣
馬良「白眉」の語源。馬謖の兄。主に外交方面で活躍したが夷陵で戦死。
馬謖馬良の弟。諸葛亮の愛弟子。兄同様、才知に優れたが街亭で致命的な失敗を引き起こし「泣いて馬謖を斬る」の語源となる。
黄皓宦官。蜀滅亡に導いた大戦犯扱いを受ける。
魏延黄忠同様、劉表・韓玄を経て劉備に仕える。五虎将なきあとの蜀軍随一の猛将。諸葛亮と対立し、その死後楊儀たちと争い落命した。
費禕諸葛亮死後、蔣琬らと共に蜀を支えた名政治家。
姜維元魏将。五虎将&魏延なきあとの最後の勇将。費禕死後、諸葛亮の愛弟子としとて蜀の最高指導者としての鄧艾と果てのない戦いを繰り広げていくが……。

孫呉編集

長江流域からを窺う第三の国。孫家の三代が統治する豪族たちの連合政権。

  • 主君
孫堅孫策・孫権の父。「江東の虎」と恐れられた傑物であった。
孫策孫権の兄。若くして呉の基礎を築いた「小覇王」。父と共に「孫破虜討逆伝」に纏められている。
孫権偉大な父と兄の後継ぎとしてを建国。茶色の髪と紫の瞳を持ち「碧眼児」とあだ名された。巧みな外交で自勢力を維持。正史では「呉主」と呼ばれる。
孫皓孫権の孫(孫和の長男)。呉のラストエンペラー。その所業から三国一の暴君扱いされる。正史では孫亮・孫休と共に「三嗣主」として一纏めにされている。

  • 家臣
張昭孫策・孫権に仕え「張公」と尊称された文官の大長老。孫権といろんな逸話を残す。
程普孫堅以来の宿将。「程公」と呼ばれ人々からの尊敬を集めた武官の長老。
黄蓋孫堅以来の宿将。赤壁の戦いでの「苦肉の計」で知られる。
周泰水賊出身。無数の傷を受けながらもしばしば孫権の危機を救っている。
甘寧益州出身。呉を代表する猛将。劉表・孫権に使えた。「錦帆賊」と呼ばれた水賊時代から鈴を身につけており「鈴の甘寧」と呼ばれる。
陸抗陸遜の次男。呉最後の名将。好敵手である晋の羊祜と「羊陸の交わり」を結ぶ。

  • 軍師
周瑜孫策と義兄弟の契りを結んだ智謀の将軍。「美周郎」と称される美男子で、音楽にも優れる。赤壁の戦いでは火計を用いて曹操を撃破。
魯粛元は富豪。周瑜と意気投合し孫家に仕える。周瑜の後を次ぐ。正史では豪気、演義ではお人好し。
呂蒙猛勉強の末に猪武者から知勇兼備の武将に成長し、「呉下の阿蒙」「士、別れて三日刮目して相対す」の故事成語の由来となる。魯粛の後を継ぎ関羽打倒を成し遂げる。
諸葛瑾諸葛亮の長兄で孫権に仕えた。弟たちが蜀に仕えていたので対蜀方面の外交官を務めた。
陸遜孫策の娘を娶る。周瑜同様に美男で知将。夷陵の戦いでは総司令を務め火計を用いて劉備を撃破。以降は孫権から非常に重用されたが…

  • 女性
大喬小喬「江東の二名花」と名高い美人姉妹。姉は孫策、妹は周瑜に嫁ぐ。
孫尚香劉備に嫁ぐことになる孫策・孫権の妹。女の身ながら武芸に通じる。
孫魯班孫権の長女。「二宮の変」で暗躍する。

西晋編集

の司馬懿の息子たちが興した第四の勢力にして、最後に三国を統べた国。

  • 主君
司馬懿諸葛亮の好敵手。曹操に警戒されていたが、その死後頭角を表し息子たちと共に司馬家隆盛の素地を築いた。
司馬師司馬懿の長男。才智・容姿共に優れ頭角を表す。彼の代から司馬一族は魏を牛耳るようになり権勢はさらに増大した。
司馬昭司馬懿の次男で司馬師の弟。を滅ぼし晋公のち晋王になる。董卓以来の罪「皇帝殺し」を犯した。
司馬炎司馬昭の長男。魏から禅譲させ晋王朝を興し、三国を統一するも自身は堕落した上に、後継者・司馬衷は著しく暗愚であった。その結果、毒婦賈南風の手により晋もまた動乱に巻き込まれ、歴史は繰り返す。

司馬懿父子は『晋書』に本紀が立てられているためこちらで扱う。


  • 家臣
羊祜陸抗の好敵手。杜預を自身の後任として推挙した。「羊陸の交わり」「堕涙碑」の逸話が有名。
杜預破竹の勢い」の語源となった人物。羊祜の後任として呉を滅ぼす。「左伝癖」と自任するほどの春秋左氏伝マニア。
賈充魏の賈逵の子。賈南風の父。「高貴郷公の変」で曹髦を殺害した実質の主犯。

群雄たち編集

  • 武将
董卓統一王朝である後漢の息の根を止めた男。残虐の限りを尽くす。
袁紹曹操の元親友。曹操と後に河北の覇権を巡りぶつかり合う。
袁術名族・袁家の当主。袁紹とは腹違いの兄弟とも従兄弟とも。皇帝を自称。
呂布最強の武人。方天画戟赤兎馬を操る。その生涯は裏切りに彩られている。

なお、この四人は『後漢書』にも立伝されている。


  • 演義のみ登場
孟獲演義では南蛮を統べる大王で、反乱後に妻祝融らと共に諸葛亮に心服。史実では南中に土着した漢人の豪族。
貂蝉傾国の美女。董卓と呂布を籠絡し互いを争わせる。架空の人物ではあるが一応モデルらしき侍女がいる。

三国志の地図編集

主に❶華北❷華東❸華中❹華南❺東北❻西北❼西南、の7地域に分けられる。


中原

中華のド真ん中。春秋戦国時代にの王都があった現在の河南省一帯を指していたが、後に漢民族の勢力拡大によって広く黄河中下流域を指すようになり、河南省を中心として山東省の西部から、河北省・山西省の南部、陝西省の東部にわたる華北平原を指すようにもなった。

★司馬懿故里⋯温県。

河南省

許昌

「聞听三国事、毎欲到許昌/三国志の見聞を広げようとすると、自然と足は許昌へ向かう」

⋯三国志ファンのメッカともいうべき場所。曹操が献帝を迎えた町。多くの三国志史跡が存在する(夏侯淵墓、八龍塚/荀彧一族墓、青梅亭/君と余だ!)

★春秋楼⋯徐州の敗戦で関羽が捕らわれていた場所。巨大関羽像がある。

荊州⋯現河北省。重要拠点であり三国が取り合いをした。

陝西省

★咸陽⋯後漢首都。

★潼関⋯曹操が韓遂・馬超を迎え討つため、老人の知恵で氷の城を建設した場所。

長安前漢首都。

洛陽⋯曹魏首都

⋯魏の中心。曹操の墓がある

★銅雀台⋯曹操が魏王に昇格した時に堯に建てた宮殿。現在は遺跡になっている

〇建康⋯孫呉都。

〇益州⋯現四川省

〇幽州⋯北東。公孫淵が支配していた地域。

〇楚

湖北省湖南省


※この項目は書きかけのものです。追記求む。



三国志をモチーフとした作品編集

漫画編集


小説編集


アニメ編集


ゲーム編集


ドラマ・映画編集


他作品編集


有名処では吉川英治氏による小説版か横山光輝氏による漫画版だろうか。


他にはゲームではシミュレーションゲームである「三國志」や「××無双」という言い回しを定着せしめた『真・三國無双シリーズ』などがある。どちらとも基本的に正史と演義のいい所どりをしている(真・三國無双シリーズはそれに加え、オリジナル要素もある)。


近年では武将の女体化獣人化、または恋愛ゲームとかの題材にもなっている。


余談編集

日本では古くから歴史物語として親しまれていたが、中国では一部のエピソードやキャラクターに焦点を当てた京劇などの演目として触れる機会が多かったらしく、日本製の漫画やアニメやゲーム等に触れる以前は日本での『三国志』の知名度や人気の高さが奇異な目で見られていたようである。

また現在三国志のキャラクターの曹魏孫呉蜀漢のイメージが大きいがこれはコーエー作品の三國志真・三國無双のイメージが強いと思われる。(あくまでイメージの1つというだけであり、これが全体のイメージでは無い)


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