概要
孫権が長江流域(江東)の建業(※)に建てた王朝。
正式な国の名前は「呉」であるが、中国史には他にも「呉」を名乗った国があるので、現代では区別のため孫氏が統治した為、「孫呉」、また地理的な関係から「東呉」とも呼称される。
※現在の南京市
当初、孫権は「呉王」として、魏に臣従していたが、夷陵の戦いで敵対していた蜀に大勝したため、魏に従う必要が薄くなったため、魏から離脱する。そして、独立して皇帝を名乗って「呉」が成立した。
建国の名目として、魏や蜀と同じく、漢朝の後継を名乗っていた。しかし、事実上の脅迫だったとは言え、漢朝の献帝より正式に禅譲された魏や、漢朝と同じ「劉」姓を持つ劉備が建国した蜀に比べると、「漢朝の後継」としては、正当性が弱い国である。
それでも孫権の才覚と、有能な家臣団により国を保っていたが、晩年の孫権の失政や後継者争い(二宮の変)により国力が低下。孫権の死後、家臣の専横や皇帝の早逝、暴君が相次いだため国が混乱した。最後は魏から禅譲された晋によって滅ぼされ、呉の地は、晋の領土となった。
呉が滅んだ後、呉の旧臣たちは晋から差別的な待遇を受け、一部を除いて下級官吏に甘んじた。しかし、晋は八王の乱や異民族の反乱で滅んでしまう。生き残った晋の皇族は、比較的平穏だったかつての呉に落ち延びた。そして、この地で生き残っていた孫氏の末裔と、呉の旧臣たちは、かつての呉の地で復活した晋(東晋)において、実権を握っていくこととなる。
主な所属人物
※正確には、孫権が魏の皇帝から王に封ぜられた時点から呉となったのだが、領土/家臣のほとんどを父の孫堅、兄の孫策から受け継いだ為、一般認識として入れられる。
孫一族
孫堅四天王
武官
四大都督
江東の二張
文官
丞相
大司馬
女性
- 呉夫人
- 呉国太
- 大喬(大橋)
- 小喬(小橋)
- 孫尚香(孫夫人)
- 歩夫人(練師)
- 大虎(孫魯班)
- 小虎(孫魯育)
- 周姫(周妃)
- 徐夫人
- 袁姫(袁夫人)
- 潘淑(潘皇后)
- 劉桃樹(華穆妻)
- 孫寒華(孫賁の孫娘)
- 李娥
- 紡績
- 習英習(李衡妻)
- 趙姫
- 范姬(范慎の娘)
- 翟素
- 柳朱
- 施淑女(施績の娘)
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東晋 - かつての呉の地に建てられた王朝