三国志の凌統
夏口の戦いにおいて父を甘寧によって殺されており、甘寧が孫権に下った後も終生恨み続けていた。
合肥の戦いでは主君・孫権を守るべく300の手勢で敵中に飛び込み攪乱、全身に傷を負いながらも川を泳いだ末に帰陣する。
手勢の部下は全滅し落胆していると、主君の孫権が「あなただけでも生き延びてくれていて嬉しい」と言って労わったとか。
死没年は不明。各伝ごとに食い違いがあるものの、
夷陵の戦いを含む蜀との荊州攻略戦の頃から記述がなく、このころに病没したとも。享年について29歳説と49歳説がある。しかし、凌統が死んだときに子の凌烈、凌封らが10歳にも満たなかったこと、同世代で軍の指揮権を引き継いだ駱統も228年に36歳の若さで病没していることなどの資料もあることから、現在では29歳説が有力であり蒼天航路もこちらに従っている。
三国志演義では、父を甘寧の殺された後、孫権に下った彼に斬り掛かる等強い恨みを抱いていたが、楽進に討たれそうになる窮地を甘寧に救われてからは恨みを水に流し、固い親交を結んでいる。
真・三國無双の凌統
凌統(真・三國無双)を参照