概要
孫堅の長男。字は伯符。中国語では孫策をスェン・ツォー(Sun Ce)、伯符をポーフー(Bofu)と読む。
周瑜は同い年の親友にして義兄弟。
父が劉表との戦いで戦死すると若くして跡を継ぐ。しばらくは袁術の食客として過ごしたが、母方の叔父・呉景救援の名目で兵を借りる形で勢力を一気に拡大。揚州刺史の劉繇を倒すと、やがて袁術から独立し、20代前半で江東を平定した。言わば孫呉の基礎を作った人物である。
だが、急すぎた勢力拡大は恨みも買うことになった。彼は狩りの最中に孫策を仇と付け狙う刺客らに襲撃されてしまう。重傷を負った孫策は後継者に弟の孫権を指名し、世を去る。25歳という若さであった。
人物
眉目秀麗で、冗談を好み豪快な性格であったという。
その勇猛果敢な活躍ぶりから秦末の英雄・項羽に準えられ小覇王と呼ばれた(ただし、呼ばれていたのは『三国志演義』でのみ)。武芸達者とされる太史慈と自ら刃を交えたことがある。
曹操配下の郭嘉は孫策は軽率で無防備であるからじきに暗殺されるであろうと予測していた。
陳寿は、孫策は英雄としての気質を持ち、武勇においては並ぶものがないほどであったが、短気な性格ゆえに寿命を縮めてしまったと評している。
孫家特有の短気な性格を色濃く受け継いでいた。江東では新参者の孫策は地方豪族に対して恐怖政治を敷いた。陸氏などは苛烈な粛清にあい、当時13歳ほどの陸遜が家督を継ぐ有り様であり、大いに恨みを買った孫策はやはり滅ぼした呉郡太守許貢の子と食客達に暗殺されてしまう。
このため、創作ものでは主従の繋がりが強固と描写される呉は滅亡のその時まで各豪族や一族の独立性が強い前時代的な国家体制をとっていた。孫権も一族の女子を積極的に豪族に嫁がせるなど苦労していた。
こういった経緯からか孫権は皇帝に即位した際、父に追号した皇位を兄には贈らず、王位に留めている。
三国志演義
勇猛な若武者として描かれる。初陣の襄陽の戦いで父が戦死したため、20歳の若さで孫策が軍を引き継ぐ。その並外れた武勇で劉繇勢の武将たちを蹴散らし勢力を急拡大させるが、最期は呪術師である于吉によって呪い殺されたことになっている。
他の創作物における孫策
個別記事有り
蒼天航路
なぜか弁髪になっている。
最後は許都襲撃の合間、劉表や許貢の刺客に負わされた傷が元でこの世を去る。
妖怪三国志
プレイヤーが選択する主人公3人のうちの1人で、コマさんが担当。
史実通りに死亡する事はなく、CMでも「戦はオラが得意ズラが、平和を保つのはお前には叶わんズラ…」と言い息を引き取ったが、コマじろう孫権に「違うズラ!どっちもオラが得意ズラ!」と言われて「もんげ~!」と息を吹き返した。