概要
青州東萊郡黄県の出身。
若くから学問を学び、武勇にも優れていた。
身の丈は七尺七寸(約177cm)で、当時としては大男である。息子に太史享がいる。
略歴
初めは東莱郡の官吏を務めていた。ある時、母の面倒を見てくれた恩人の孔融が治める青州に、黄巾賊の残党の大軍に攻められ包囲される。彼を助けるため救援に駆け付けるが、苦戦を強いる。太史慈は、策を用いて包囲を突破して平原の劉備に援軍を要請し、黄巾賊を撃退、彼の武勇を轟かす。
195年頃、劉繇の下にいた時に孫策が軍を率いて攻めて来た。その際、偵察の時に遭遇した孫策と一騎打ちを繰り広げたが両軍が殺到したため互いに退いた。その後、劉繇は敗れ、自身も捕らわれたが、孫策に武勇を買われて自らの配下に誘われる。そして、敗残兵を集めて戻ってくると約束し孫策の下を離れる。孫策の部下の多くは信じなかったが孫策は信じていた。太史慈は約束通り敗残兵を連れて戻ってきた。この功績により都尉に任ぜられる。
その後は呉の武将として功績を立て続け、孫策、孫権に重用された。
曹操に自分の家臣になるように誘われたが、その勧誘を断り呉に忠義を貫いた。
206年に病没した。
三国志演義
双戟の達人であり、史実と同様に武勇の将として描かれる。
三国志演義では史実よりも長生きしており、赤壁の戦いにも参加している。翌年には合肥への遠征にも参加し、魏の猛将張遼を相手に一騎打ちで渡り合った。しかし、最期は張遼がしかけた伏兵にかかり、弓矢で射殺されたことになっている。
その他の作品における太史慈
真・三國無双シリーズ
太史慈(真・三國無双)を参照。
恋姫†無双シリーズ
梨晏を参照。
一騎当千
SDガンダム三国伝
反三国志
魏との小競り合いで犬死してしまうが、それは劉備の敵にならなくて済んだという意味でもあり、実際「劉備と仲良くすることをやめるな」と言い残す。これに背いた結果、孫呉は滅びることになる。
“孫権の、というより孫策の配下”という意味合いからの特例措置なのだろうか。