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劉備

りゅうび

劉備とは、後漢末から三国時代にかけて活躍した武将。群雄割拠の中華を駆け巡り、巴蜀の地に蜀漢(あるいは季漢)を築いた流浪の英雄。
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プロフィール編集

姓名劉備
玄徳
幼名阿備
出身涿郡涿県楼桑里
生没年161~223年
昭烈皇帝
廟号烈祖

概要編集

正史準拠編集

中国語ではリォウ・ペイ(Liu Bei)と呼ぶ。

彼の系譜には諸説あり、漢王朝の血を引くと自称していたという説もあれば、劉姓は免税対象だったため勝手に名乗ることが許されなかったこと、劉備の故郷は多くの属尽(臣籍降下した皇族)が住んでおり、自称していたご先祖様も後述の通りなので現在では皇族の血を本当に引いているという説があり、近年では後者が一般的となっている。


劉邦前漢を建国してから四世紀近くを経て、劉姓を持つ人物は劉虞劉表劉焉など漢王朝の影響下のあちこちにいた(このうち後漢の皇帝の男系子孫は劉虞であり、劉備・劉表・劉焉はあくまで前漢皇族の系譜でしかないとされる)。さらに言えば、彼が己の先祖と言っていた劉勝という人物は好色で有名な皇族であり子供を作りまくって実子だけで50人近く、孫の代に至っては100人を超えてたという超絶倫野郎である。ちなみに1900年程下った日本にも似たような御仁が存在したのは余談。


少なくとも、劉備本人はそう名乗っており、そして漢の朝廷などにおいても、その名乗りを咎められた事は無い。このことから、実際の血筋はどうあれ、本人も、周囲の人々も、劉備が漢皇室の末裔だと認めていたようである。


近年は彼の先祖は劉勝ではなく光武帝の実兄・劉縯の庶子の末裔だったという説もあり現にこの辺りは魏略にも書かれていたり何気に信憑性がある。


活躍編集

青年時代は小豪族の身分にいたのだが、父が幼い頃に亡くなった為、家は貧しくなり母と共に敷物や筵を織って生計を立てていた。15歳の時に従叔父の援助を受け劉徳然(劉備のいとこ)と共に、盧植の下で学問を学ぶようになる。この時に公孫瓚と出会い、劉備は彼を兄事しており大変仲が良かったという。


学生時代は乗馬、闘犬、音楽と多彩な所があり衣服も見栄を張る様な服を着ていた、しかし口数は少なく人にはへりくだり感情を表に出す事が無かったが、天下の豪傑たちと好んで交流をしており、若者はみな先を争って彼に近づいたと言われる。


黄巾の乱が起こると、関羽張飛簡雍田豫らと共に義勇軍を結成。戦績を挙げ名が広がり、官職に就いたがそれを捨てて逃亡し、様々な群雄の元に身を寄せる。


公孫瓚→陶謙曹操袁紹→劉表と渡り歩き、劉表から新野城を与えられここで三顧の礼により諸葛亮を迎え入れる。そして曹操から圧力を受けるも、孫権と同盟を結び、「赤壁の戦い」を経て荊州を支配した。さらに馬超の協力を得て劉璋を降伏させると天下三分の足掛かりになる取りに成功。一方この時曹操が漢中地方を手に入れていた。この事に危機感を感じた劉備は定軍山で曹操軍の夏侯淵を倒し、漢中を手中に収めた。曹操自身が奪還すべく攻めてきたが防衛に成功し撤退させた。


漢中を手に入れた劉備は曹操がに魏王になっていたことを対抗して漢中王を自称。


そして曹操の嫡子・曹丕が後漢の献帝から帝位の禅譲を受けた事に対抗して蜀の群臣は劉備を漢の皇帝に推戴し、劉備は皇帝に即位した。


だが、孫権との関係は次第に悪化し、関羽が孫権軍に討伐され、荊州を奪われた。報復として呉への軍事侵攻を行うも、陸遜率いる呉軍に大敗。命からがら白帝城に逃げ込み、病床に臥せってしまう。ここで諸葛亮や息子たちに遺言を残し崩御した。


陵墓編集

成都市南西郊外の恵陵で現在は諸葛亮をまつる武侯祠の区内にあり、そして前面には乾隆53年建立と刻された「漢昭烈皇帝之陵」の碑があるのだが、彭山県蓮花村にある三国時代の墓に比定する説があったり、白帝城のあった奉節県に墓所を求める説もあったりと論議が続いている。


逸話編集

劉備が曹操の元に身を寄せていた時の歓待振りは異例の者があり、車を出す時には常に同じ車を使い、席に座る時には席を同格にすると言う破格の待遇を受けており、曹操と歓談していた時には「今、この天下に英雄と申せる者は、お主とこのわしのみだ。袁紹などものの数にも入らん」と評されている(他にも「劉備はわしと同等だ。ただ奴の方が少しだけ策を考えつくのが遅いにすぎん」と評した事も)。


劉表の元に居た時に、宴席にて劉備が厠に行った後に涙を流して帰って来たので、どうしたのかと尋ねたら「以前は馬の鞍に乗っていたので髀肉(ももにく)は落ちていたが、今は乗らなくなったから肉が付いてしまい、老いてしまい何も功績を挙げられない事が悲しくなった」と答え、これが髀肉之嘆という故事成語が生まれた。


諸葛亮に対しての遺言「我が子(劉禅)が皇帝としての資質があるのなら補佐して欲しい、暗愚ならそなた(諸葛亮)が国を治めて欲しい」、息子たちに対しての遺言「これより丞相(諸葛亮)を父と思って仕えなさい」は有名。


近年では「夷陵の戦い」は関羽、張飛の死からの報復ではなく、荊州を奪還する戦略の方という説もある。


総括編集

軍を動かす事に関してはかなりの才があり、庇護してくれた群雄から即座に前線指揮官を任される程。劉表庇護下にはいるまでの彼の立場は傭兵集団の頭目(それもかなり優秀な部類)であり関羽、張飛といった幹部にも恵まれ複数の群雄を渡り歩いた。


特に少人数のゲリラ戦や撤退戦など、戦況の見切りが重要になる局面では無類の強さを誇っていた模様。実際の所も彼に土を付けた相手は曹操、呂布陸遜といずれも名だたる名将である。一方で、庇護された群雄の旗色が悪くなるとすぐに別の群雄に鞍替えし見切りを付ける事もあり、三国志における裏切り梟雄の代名詞こと呂布が死に際し、劉備を「貴様が一番信用できん」と罵ったが、あながち間違いではない。


こうして状況に応じて様々に立場を変えており群雄に自分を売り込み信用させる才能はもはや天性・或いは魔性とまで言えるレベルなのだが、しかしどのような状況においても自らの勢力を保たせるのは乱世の生き様としては一つの正しい形ともいえる。


良くも悪くも各地の群雄に一目置かれており、こうした暮らしが長かったためか、彼が寵愛した臣下は関羽・張飛・魏延李厳法正など人格的に癖はあるが有能な人物が多い。この点は比較的無難な優等生タイプを見出し育成した諸葛亮とは対照的である(逆に馬謖のように劉備に警戒されるタイプもいたが)。


こと『世渡り』・『生き残る才能』は、ある意味で曹操を凌ぐのかも知れない。


演義準拠編集

黄巾の乱によって世が乱れる中、劉備が関羽、張飛と桃園の誓いを結び、義勇兵を起こす場面から始まる。


漢王朝の血を引く青年で、むしろを売って生活していた。しかし荒れゆく世の中を憂い、平和な世を取り戻すために乱世に立つ。武力に関しては義弟の関羽や張飛ほど強くはないが、聖人君主として描かれており慈悲深く人々を惹きつける魅力に溢れており、また人を見る目と扱う術を心得ていた。その為、趙雲・諸葛亮に代表される多くの逸材が彼の元に集っている。


ただ、戦略的に圧倒的に不利なのにも関わらず民衆を「忍びない」の一言で連れて逃亡し、諸葛亮などからは甘すぎると散々叱咤された(だが実際、長坂の戦いでは、家臣の勧めとはいえ民衆を見捨てて一人で逃走している)。他にも優柔不断な行動が度々目に付き、時には大義よりも個人の情に流される事もあり、よく諸葛亮に助けてもらっている。


「双股剣」と言われる大小の二つの剣を持つ二刀流であり、「的盧」という愛馬がいる。


また人を見る目がある逸話として、諸葛亮のお気に入りの弟子だった馬謖を見て、「あれはダメ」だと諸葛亮に注意したという。結果、馬謖は大言を吐いて失敗し、『泣いて馬謖を斬る』の逸話となる。一方、身分を隠して仕官してきた龐統の大才を見抜けなかったという逸話もあり、これは劉備が増長して目を曇らせていたのか龐統が巧みなのか……。


だが、義兄弟たちの死をきっかけに復讐のあまり、今までの聖人君主が嘘になったかのごとく自分勝手な振る舞いが目立つ様になり、悪鬼のごとく呉へと攻め入ろうとしたが、結局それは為されずしかる後に病でこの世を去った。


容姿編集

背丈が七尺五寸(約173センチ)、耳たぶは自分で見れるほど長く、腕は膝の下あたりまであったといわれる。もっともこの手の極端な記述は関羽の赤ら顔等と同様に、英雄に対する誇張表現の一つと捉える方が無難だろう。



親族編集

夫人編集


子供編集

娘が2人いたとの事だが詳細は不明。


血縁者編集


創作においての立場編集

三国志演義においては主人公の立場で儒教の理想として聖人君主として描かれており、ライバルである曹操が奸雄として敵役になる事から「劉備=正義、曹操=悪」という構図だったが、近年では見直されており「正義」や「悪」という観念は薄れて、聖人君主としてのみならず、人間味溢れる人物として描かれるようになっている。


具体的には任侠アウトローのリーダーとして活躍したり、を掲げそれを目指すがそれらを実現するために聖人君主としての評判を捨てることに悩むなど深い人間へとなっている。ただ、関羽・張飛・諸葛亮と個性的な人物に囲まれているからか、作品によっては活躍の場が少なく影が薄くなることもしばしば。一方で史実同様彼らには劣るが剣術や駆け引きにも優れる強かさも持ち、彼らが心酔する一因にもなっている


また、名前の語感で何かと龍に結び付けられる事もあるが、劉備の「劉」は殺すという意味を持つので無関係である(名前だけに関してだけいえば)。むしろ龍要素があるのは青龍刀を持っている関羽の方である。とはいえ、劉備も民間伝承で井戸に落ちそうになった所を龍に支えられたと語られているので無関係でもなかったりするのだ。



創作作品ごとの劉備編集

三国志を題材とした作品ではおおむねね主人公の1人として登場。基本的な性格は『演義』に準じることが大半。諸葛亮についで基本的に字で呼ばれる作品もある(横山三国志人形劇三国志など)。


横山三国志編集

昭烈帝忌辰祀典2015

CV:中村大樹(アニメ版)、CV:増岡弘日経三国志版)

演義基準で描かれており劉備と聞いたら彼を思い浮かべる人も多い。漫画版では余り表情を表に出さないが、アニメ版では表情豊かになっており「治世と平和を望む黄金の星」と呼ばれる。初登場からしばらくは若い青年風に描かれており(その所為か、親子ほど離れた年下の献帝の方が老けて見える)、官渡の戦い後からは髭を生やしている


蒼天航路編集

蒼天航路より「劉備玄徳」その2

CV:関智一

べらんめぇ調で人間味臭い野心家として描かれている。聖人君主な演義基準の劉備に慣れている人にはこのようなキャラで描かれた劉備を「蒼天仕様」と呼ぶことがある。


真・三國無双シリーズ編集

8劉備と7劉備

CV:遠藤守哉

詳しくは → 劉備(真・三國無双)


1~4までは短い口髭と顎鬚が特徴的だったが、5以降は髭がなくなり若返った感じになったが8では物語後半で髭が復活している。


SDガンダム編集

三国伝編集

劉備ガンダム

CV:梶裕貴

詳しくは → 劉備ガンダム


三国創傑伝編集

劉備ユニコーン

CV:梶原岳人

詳しくは → 劉備ユニコーンガンダム


一騎当千編集

りゅうび。

CV:真堂圭

詳しくは → 劉備玄徳


三国志大戦編集

三国志大戦-劉備-

セガオンライントレーディングカードアーケードゲーム


DRAGONSISTER編集

どらしす

(左から2番目)

「人並み外れた能力を持つ英傑が女として生まれる」呪いが蔓延した世界で、なぜか正史・演義通り男に生まれた主人公。卓越した判断力と、人並み以上の腕力(董卓軍一般兵が2人がかりで運ぶ大石を一人で持ち上げた)、そして他者を守ろうとする勇気と優しさを兼ね備えた人物。しかし、本人は自分のことを「今ひとつ頼りない人」だと思っており、危険度の高いことを義妹の関羽・張飛に任せることを気にしている。


真・恋姫†無双編集

無双劉華

CV:安玖深音(PC版)、CV:後藤麻衣(PSP、アニメ版)

詳しくは → 桃香


ちなみに前作恋姫†無双では主人公の北郷一刀が劉備のポジションにいて、彼女の登場が遅れた。さらにアニメ版では全く別人の偽物も登場し、中の人は蒼天航路と同じ声優が担当している。


十三支演義編集

ぎゅっしてー

CV:石田彰

猫族の長として登場する。関羽が主人公のため必然的に絡みが多い。


三国恋戦記編集

玄徳

CV:三木眞一郎

詳しくは → 玄徳


鋼鉄三国志編集

劉備玄德

CV:佐藤利奈

他の作品とは異なり少年の姿で描かれている。花が大好きで戦が嫌い。蜀を建国し関羽、張飛の死後孔明に唆され暴走する。


最強武将伝三国演義編集

动画版三国刘皇叔? 最強武将伝皇叔?

CV:船越英一郎(日本版)李立宏(中国版)


戦国コレクション編集

劉備ちゃん

CV:堀江由衣

詳しくは → 春陽愛君・劉備


イナズマイレブンGOクロノ・ストーン編集

劉備さんは面白い!

CV:平田広明

時空最強イレブンに必要な力の持ち主として円堂大介が挙げた人物の一人。諸葛孔明を軍師に引き入れるべく孔明の屋敷に向かっている途中で天馬達と出会い、行動を共にする。一度やると決めたら絶対にやり抜く強い信念を持つが、後先考えない行動で周りを巻き込むこともしばしば。道中のサッカーバトルでキーパー、ザナーク・ドメインとの試合では監督を務める。前者の試合ではキーパーにもかかわらず前線に飛び出してゴールをがら空きにしたことで信助に呆れられるが、後者の試合ではザナークのシュートに怯える信助に自身の理想を語ると共に勇気付け、ミキシマックスを成功に導いた。


妖怪三国志編集

妖怪三国志発売記念

CV:小桜エツコ

ジバニャンが担当する、アニメ・ゲーム両方における主人公的立ち位置である。初めはアニメで描かれたようにぐうたらでやる気がない状態だったがゲームでは話が進むにつれやる気を出していく。


三国志 Three Kingdoms編集

うわいあにじゃ

演:于和偉 吹き替えCV:家中宏

基本的には演義に準じているが、剣の使い手であり、したたかな策略家としての一面も描写されている。諸葛亮との信頼関係も強調され、不満を抱く関羽と張飛に「先生の意に沿わぬ行動を取れば斬る」と厳命するほど。白帝城では劉禅に最期の教えを授けその生涯を終える。


劉備徳子は静かに暮らしたい編集

劉備徳子という名前で、前世の記憶を持ったまま現代日本に転生。人知れず人助けをすることが好きな女子高生。幼馴染である張間飛虎(はりま・ひこ、元・張飛)と転入した関羽道(せき・うどう、元・関羽)と共に園芸同好会を設立。前世が前世なため、性格が少しおじさんみがあり(本人談)、わらじを編むのが得意。


新解釈・三国志編集

劉.備(殿)

演:大泉洋

酒が入ると気が大きくなりがちで、戦嫌い。黄巾の乱では本人は特に何もしていない、虎牢関では仮病でサボる(本人曰く、「一人ぐらいいなくてもバレない」)。酔っぱらってる状態だと「曹操よ、戦好きのてめぇにはこの世は任せらんねぇ!俺はな、民の笑顔が見たいだけなんだよ!!」と強気になるが、通常時になると「だからアレは、酒の勢いで言っただけだって!」と弱腰になる。しかし、彼を慕う民や武将が多い。


演じた大泉氏は「三國志ファンの皆さん、僕には怒らないで!」とコメントしているが、劉備だけでも上記の通りなので杞憂な気がするのだが……。


バトルスピリッツ編集

センシティブな作品

覇王編から『烈の覇王セイリュービ』として登場。青龍がモチーフだからセイリュービというシンプルなネーミング。

他の覇王Xレアの例に漏れず、バーストを持っているが、はっきり言って形だけのものでしかない。

コイツの真の恐ろしさは『烈神速』という効果にある。これはトラッシュにコアが5個以上あればノーコストで召喚でき、トラッシュのコアを回収できてしまうという恐ろしい能力。要はノーコスト版ネイチャーフォース。

コア回収要員として様々なデッキに投入された人権カードであったが、流石に強すぎて禁止カードになってしまった。強化版の『アルティメット・セイリュービ』もこの効果を持っているが、召喚条件が『自分の緑アルティメット1体以上』という厳しいものになった為、採用率がガクッと下がっている。

ちなみに孫権は「大牙帝ビャクガロード・ソンケン」、曹操は「鳥武帝スザクロス・ソウソー」として実装している。アレ?玄武は?


ダンボール戦機W編集

LBXリュウビ

灰原ユウヤの機体として彼をモチーフとしたLBX『リュウビ』が登場。尻尾に龍の要素が入っている。

主人公らと違ってオーダーメイド品ではなく、竜源社製の市販LBX。

ユウヤのものは緑色に塗装されていて、武装も中華風である。

パリピ孔明編集

演:ディーン・フジオカ

演じるフジオカは全編中国語(広東語)よる予告ナレーションを担当。




関連イラスト編集

【三国志乱舞】劉備三国志武将「劉備」


関連タグ編集

三国志 三国志演義 三国時代

後漢 蜀漢 皇帝


関羽 張飛 桃園の誓い


諸葛亮 劉禅 的盧


曹操孫権宿命のライバル

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