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曹丕

そうひ

曹丕とは、中国の三国時代の魏の初代皇帝。字は子桓(しかん)。父は曹操、母は卞氏。三国志に登場する英雄。
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プロフィール編集

生没年:187年〜226年

字:子桓

諡:文帝

父:曹操

母:卞氏

子:曹叡曹霖など


異母兄:曹昂、曹鑠

同母弟:曹彰曹植曹熊

異母弟:曹沖曹彪曹拠曹宇など


中国語ではツァオ・ピー(Cao Pi)と呼ぶ。

概要編集

生涯編集

曹操の三男。卞氏との子の中では最年長。嫡子だった長兄の曹昂張繍との戦いで戦死し、次兄の曹鑠も早世していたために嫡子となる。曹操亡き後に魏王を継ぎ、献帝から禅譲を受けの初代皇帝となる。

曹操の跡目を継ぐ際には弟の曹植と激しい後継者争いを繰り広げている。ただし、本人同士の仲の悪さというよりは取り巻き達の権力争いという性格が強い。

226年に風邪を拗らせて逝去。享年40歳。


人格面編集

非常に繊細でいささか神経質な面があったようである。

人の好き嫌いが激しく、気に入った人間相手には身分が下の相手でも胸襟を開き接する一方で、嫌った相手には情すら感じさせない行為を行っている。特に、于禁の最期に於ける逸話は三国志の著者である陳寿に「君子の行いではない」と激しく非難されている(三国志の正史は魏を正統な王朝としているにもかかわらずである)。

演義では(不可抗力とはいえ)弟の曹熊を心労のために自殺させ、曹植に無理難題をけしかける(「七歩詩」)などの、一種の陰険さとして描かれた。ただし、前者のエピソードは演義の創作であり(正史では普通に病死による早逝)、後者は史実を元にしてこそはいるがある程度の意図があったものである。これについては次項で記す。


政治面編集

一方、政治面では非常に優秀であった。

上記にあるように曹植をはじめ親族を僻地に封じ領地変更を頻繁に行っていた。その行為を悪い方向に解釈し意地の悪いアレンジを加えた物が演義の曹植の逸話だが、これは別に兄弟を憎んでやったことではない。

これは皇帝への権力の集中・安定を図った施策の一環で、配下による皇族を利用した反逆を防ぐために行った事である(ただし、後にこれが裏目に出て司馬氏の専横を許すことになるのだが……)。彼はその他にも宦官の昇進に上限を設け政治への関与を制限し、皇后を窓口にした外戚(皇族やその親族)の政治関与を禁止している。


また、私刑・仇討ちを禁止し、大逆罪(早い話が皇帝暗殺)以外の密告を罪とするなど社会情勢の安定も図っている。


皇位簒奪に関しては漢を正統としたい民衆の立場からしばしば悪く言われるが、当時後漢の権威はもはや有名無実だったの公然の秘密であり、動かしがたい事実でもあった。

その状況下では曹一族への権力の正統性の移動は時代の要請であったともいえる。実際(形式上とはいえ)漢から魏への皇位継承は何度も献帝からの要請を固辞した上で帝位に就く形式をとるなど、慎重に慎重を重ねた手続きにのっとって行われており、そのやり方は司馬氏をはじめ後世の手本となったほどである(もちろん、感情面で納得したくないというのも理解できる話ではある)。


彼の在位はわずか七年と短いが、逆に言えばそれだけの期間でこれほどの成果を挙げているといえる。呉への遠征でこれといった成果を挙げていないことから将才に関しては疑問符がつくものの、少なくとも内政面においては非常に優秀な君主であったといえるだろう。戦闘面に関しては、有能な部下が多かったというのもあるかもしれない。


文化面編集

彼は父の曹操、弟の曹植と共に「三曹」と後に称えられる、文人としての顔も持っていた。

粗削りながら勇ましく謡う父や、背伸びしがちな弟の作風と異なり作品のバランスや優美さは群を抜いており、またロマンチックな夫婦愛といった詩もよくした。

また、文学を国家レベルで保護しており、中国史上初の文学論評である「典論」を編纂している。現存する最古の文学論評である論文では「文章は経国の大業にして、不朽の盛事なり」とその効用を極めて高く評価していた。

また、「典論」と同じく中国史上初の志怪(オカルト)小説「列異伝」を執筆・編纂をしていた。

しかし、曹丕が亡くなった後の晋の時代の話しもあることにより、晋の張華が編纂した説もある。


『三国志』の撰者である陳寿は「文学の資質には天稟といえる趣があり、博聞強記の学識と技芸の才能を兼備していた。これでこのうえ、広大な度量を加え、公平な誠意をもって努め、徳心を充実させることが出来たならば、古代の賢君もどうして縁遠い存在であっただろうか」と評されており、文学面だけでほめると、そして婉曲的に『短気で器が小さい、不公平で誠意のない、寡徳、明君とは程遠かった』だと言われている。


変な面編集

大のフルーツマニア兼ワインスキーでもあった。

梨や葡萄などの果物をマンセーしては詩に書くほどで、ワインに至ってはヨダレを垂らしては唾を呑み込む程の愛飲家である。特に葡萄こそ最高の果物と大絶賛していた。

逆に蜜柑は酸っぱくて大嫌いだったようだ。猫様と気が合いそうだ。


逸話編集

魏志巻29「方技伝」によると曹丕は五官中郎将だった頃、人相見の朱建平に自身の人相を占わせた。朱建平は曹丕に「将軍は80歳まで生きられますが40歳のときにいささか災難がございましょう」と言ったが、果たして曹丕は40歳にして危篤に陥った。曹丕は死去直前に「朱建平は昼と夜を別々に数えて80と言ったのだ。わしの命ももうすぐ終わる」と言ったとされる。


また、朱建平は夏侯威(夏侯淵の四男)は大病により49歳で、曹彪は王凌の反乱に連座し司馬懿に自殺させられ57歳で生涯を終えたがこの二人の末路も朱建平の予言通りだったという。


各メディア作品での曹丕編集


真・三国無双

曹丕さん

詳しくは曹丕(真・三國無双)を参照


蒼天航路

P4A第10巻ジャケット風「曹丕(ソウヒ)」

若いころの曹操にそっくりだが、自身の目指す治世を「奸雄の類が棲めぬ世だ!」と断言するなど父とは相反する考えを持っている。


SDガンダム三国伝

カレンダー企画にお呼ばれしましたvV

演者はガンダムX+ガンダムXディバイダー

アニメ版のラストに登場し、機駕の建国を宣言した。漫画版やプラモデル付属ストーリーなどでは「優秀な面もあるが司馬懿にいいように利用されている世間知らずの若者」といった面が強く出ている。


反三国志

愚行愚策を繰り返しては曹操軍を自滅に追い込んでいる無能なボンボン。

この作品の魏憎しのスタンスがいかんなく体現されている哀れなキャラ。


魏志 文帝紀 建安マエストロ!

主人公。

蒐集家だったり、美食家だったり、弟曹植との父曹操の後継者争いの苦悩等をあまり描かれなかった曹丕の一面を描いている。


三国志 Three Kingdoms

当初は頼りない凡庸な性格だったが、末弟・曹沖の才に危機感を抱いて彼の死に関わったと曹操にたびたび疑われ、詰問を受けるも自身の家庭教師となる司馬懿の助言を受けて少しずつ成長。度重なる危機を乗り越えて後継者として認められる。

魏の建国後はの病と密かに戦いながら皇帝として国を牽引するが、諸葛亮の南蛮平定前後に病の悪化で死去する。その死は恩師にして腹心となった司馬懿からも悼まれた。

関連タグ編集

曹魏 皇帝

父親:曹操 母親:卞皇后

妻:甄皇后(甄姫) 郭皇后(郭氏)

司馬懿


作品タグ

三国志 真・三國無双 無双OROCHI

蒼天航路 三国志大戦

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