五将軍
ごしょうぐん
五大将、五大将軍などと表記される場合もある。中国では「五子良将」と称される。
正史三国志の作者陳寿は張遼・楽進・于禁・張郃・徐晃の五人を曹操在世時に最も功績があった将軍として『魏書』第十七「張楽于張徐伝」に立伝した。また、徐晃伝に付される形で朱霊伝も記述されている
史実においては曹操が魏王に就いた際に張遼が前将軍、楽進・于禁が右将軍、左将軍に任じられた。その後、曹丕の代になると張郃と徐晃が当時空位になっていた左右の将軍に任じられ、後将軍には朱霊が任じられた。曹操の親族には夏侯惇や曹仁に(漢中で戦死した)夏侯淵といった優れた将軍がいたが張遼らは彼らに次ぐ地位があったと言ってよい。
曹操時代には冷遇され出世が遅れた朱霊を除いた5人が後世「五将軍」として称えられることになった。
三国志演義の影響で蜀の五虎大将軍より見劣りする印象が拭えないが、史実では全くそんなことはなく、むしろ魏蜀の国力を考えると魏の五将軍のほうが大きな力を持っていた可能性すらある。
真・三國無双シリーズでは五将軍全員が現在プレイアブルキャラクターに昇格しており、Pixivでの五将軍タグのほとんどがこの無双シリーズのキャラの投稿。詳しくは→五将軍(真・三國無双)
張遼…五将軍の筆頭格。元は丁原・董卓・呂布の配下。「一騎当千」を正史で体現した。
楽進…曹操が董卓征伐を掲げ陳留で旗揚げした時からの古参。胆力があり前線では何度も一番乗りの功を挙げ活躍した。この中で唯一の曹操軍生え抜きかつ一兵卒からの叩き上げで曹操時代に逝去した将軍。
于禁…元は鮑信の配下。軍紀に厳格な古参の将軍。しかし最後は関羽との戦いに敗れ降伏したことで汚名を残してしまう。
張郃…曹操の宿敵袁紹の元配下。曹叡の時代まで戦い抜き諸葛亮の北伐に対峙。この中で唯一の戦死者。
徐晃…元は楊奉の配下。演義では白頭巾と戦斧がトレードマークの将軍。史実では間者などを用いた情報戦を重視しほとんど敗北することがなかった。
次点
朱霊…こちらも元袁紹の配下。なぜか曹操に憎まれ一時期は于禁の配下にされた。曹丕には前漢の名将灌嬰や周勃以上と評されようやく出世街道に乗り曹叡の代まで生き陸遜らと戦っている。