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曹植

そうしょく

曹植とは、三国時代の魏の皇族で、曹操の五男(生母の卞夫人が正室に昇格すると正嫡の三男となる)。字は「子建」。

生没年:192年(初平3年)~232年12月27日(太和6年11月28日)

曹操の側室第一位の卞夫人の子で曹丕曹彰は同母兄。同母弟に曹熊がいる。父・曹操、兄・曹丕と並んで建安文学の「三曹」の一人に数えられるほどの詩人。幼少時より詩など数十万言を諳んじ、自身も詩人であった曹操に寵愛された。

礼法に拘らず、華美を嫌い、酒をこよなく愛し、闊達さと奔放さを合わせ持った天才肌の貴公子だったと伝わる。ただし礼法に拘らない性質が災いし天子の専用通路を勝手に通ってしまうという不祥事を起こしたとされる。これは当時で言えば反逆の罪で一族全員誅殺されかねない程の大罪であり、日頃曹植を寵愛していた曹操でさえも流石に激怒したと言う。また、文人のイメージが強いが実際は14歳の時から父に従い数々の戦役へ従軍しており、軍事の能力は未知数ながら戦場の空気には馴染んでいたと思われる。

中国を代表する文学者として名高い曹植だが意外にも彼自身は詩文によって評価されるのは好んでいなかったらしく「男子たるものは戦で武勲を挙げ、民衆を慈しんで善政を敷き、社稷に尽くしてこと本望と言う物だ」といった内容の手紙を側近であった楊修へ送っている。

曹操の死後、後継者候補として兄曹丕と競うが、敗れて冷遇されることになる。彼自身は殺されはしなかったものの側近の多くを誅殺され、死ぬまで様々な地を転々とさせられた。政治的登用や親族間での交流を復活させて欲しいと願う上奏文を曹丕やその子曹叡に送り続けたが結局叶う事は無く、鬱々とした晩年を過ごし232年に41歳で死去した。

横山三国志では死刑になりかかるが、母のとりなしもあって命を助けられ、爵位を下げられるだけで済んだ。このとき七歩吟のエピソードが使用されている。

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曹操 卞皇后 曹丕 七歩吟

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