概説
袁紹の三男。
父と母に愛されて事実上の後継者に決められる。袁紹の死後、逢紀や審配に支持されて後継者となる。袁紹がはっきりと彼の後継を宣言していなかったため長兄の袁譚やその参謀の郭図と戦うこととなり袁家は分裂。袁家滅亡の引き金を引くこととなった。
後継者争いの隙を突いて攻めて来た曹操に敗れた後、次兄の袁煕を頼って幽州へ落ち延びる。
二人は最終的に遼東の公孫康(公孫淵の父)の下に逃げ延びるが、公孫康・公孫恭兄弟による騙し討ちで袁煕共々殺害され、首は曹操の元に送られた。
創作での袁尚
倉亭の戦いで史渙を打ち取るなどそれなりに武芸に優れている。しかし、張遼相手には分が悪かった。
原作の吉川三国志と違い官渡の戦いや袁兄弟の争いなどがカットされたため登場していない。
袁紹が亡くなった後に袁譚と争いになったことを曹操が知るシーンや曹操の河北攻めで中山から幽州に敗走した報告を受けるシーンで名前のみ登場し幕間で出てきただけで物語には関わっていない。進行役の島田紳助・松本竜介には袁紹と日本語の読みが同じことがネタにされたが、解説はなぜか「戦嫌い」という事実とはかけ離れたものであった。
公孫瓚のもとに息子の公孫続の首をぶら下げて現れるところや公孫康に殺される直前にも演説をぶつなど数多くの見せ場がある。史実での父からの寵愛ぶりや袁譚との不仲などもしっかり描写された。
気宇壮大さを気に入られていたものの袁紹からは智勇を鍛えよと言われるなど能力不足や性格の欠点も指摘されておりその慢心が官渡での招く一因となる。
のち王欣太が描いた「達人伝」が描いた趙括は容姿や性格が袁尚に似ている。