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公孫瓚

こうそんさん

中国の後漢末期の群雄の一人。北平(現在の北京)を中心に勢威を振るった。字は伯圭または伯珪。
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生涯編集

盧植門下になる編集

中国大陸北方、幽州遼西郡の出身。

有力豪族に生まれたが、生母の身分が低いために公孫家の一員とは認められず、過酷な少年時代を送ったらしい。しかし、聡明で頭の回転も速く、声が大きく、容姿が優れ、弁舌さわやかで、物事の説明も巧みであったという。これが太守の侯氏に気に入られ娘婿となり、侯氏の援助を受け盧植の下に遊学し経書・兵学を学ぶ機会を得た。この時の学友に劉備がいる。遊学後、孝廉に推挙され郎となり役人生活の一歩を踏み出す。


涼州兵乱~張挙・張純の乱編集

涼州の金城で辺章韓遂が反乱を起こした時、張温に従い従軍。この時の同僚には董卓孫堅陶謙らがいた。ちなみに中山太守・張純も自らの従軍を願っていたが張温に断られ代わりに公孫瓚が抜擢されたという経緯があり張温や公孫瓚に遺恨を抱いた。そして張純は同郷で元泰山太守の張挙や烏桓族の長の丘力居と語らい幽州の漁陽で反乱を起こしたが、近くにいた公孫瓚は鎮圧軍の指揮をとって大勝を収め、勇将として名を馳せる。しかし、張純を深追いし過ぎて反対に遼西にて丘力居に包囲されている(その後、数百日の激闘の末に両軍とも食糧が尽きて撤退する)。


界橋の戦い編集

その後も公孫瓚は対異民族政策で強硬策を主張して、人徳による懐柔を目指す上司劉虞や背後にいる袁紹と対立し始める。袁紹・曹操らと董卓が対立した際には演義とは逆に董卓と連携している。この頃、北方に流れ込んできた30万もの黄巾軍残党をわずか2万で打ち破っている。反董卓連合瓦解後に発生した袁紹・袁術の抗争の際には袁術と同盟し袁術・孫堅と袁紹・劉表の戦いに介入。しかし、派遣していた従弟・公孫越が戦死してしまいそのことに激怒。自ら軍を率いて界橋に出陣した。この戦いでは袁紹の首を取る一歩手前にまで至るなど数年に渡って袁紹と一進一退の攻防を繰り広げたものの、公孫瓚自慢の騎兵が袁紹自慢の冀州の強弩兵に射すくめられて大敗し渤海方面に退却している。この戦いの前に趙雲が配下に加わったが、のち母の喪に服するために去っている。


劉虞を討つ編集

その後は劉虞の城がある薊の東南に小さい城を造営し、そこを拠点とした。この頃になると劉虞との溝は決定的となっており、反乱を警戒した劉虞は公孫瓚の襲撃を行う。しかし、公孫瓚はそれを逆手に取って劉虞を捕縛し一族郎党もろとも処刑。首を長安に送り董卓から前将軍・薊侯に任じられた。

しかし、鮮于輔らの遺臣が異民族と手を組んで反撃を開始。更に宿敵・袁紹が劉虞の遺児・劉和を擁立して攻撃してきたこと、さらに董卓が殺されたこともあり窮地に立たされてしまう。


易京にて死す編集

袁紹からの降伏勧告を無視した彼は、堅城である易京城に籠城。何度か敵を退けるも、最終的には物量差と味方の結束の崩壊で敗北。最後は居城に火を放ち、妻や末子らを刺し殺した後自害して果てた。一部の家臣はそれに殉じている。首は許都の曹操の元に送られたという。


人物編集

  • 白馬に乗せた選りすぐりの精兵を率い、自身も武勇に優れていたことから「白馬長史」と呼ばれ、異民族からは恐怖の対象だった。「白馬将軍」の名でも知られる。
  • 客分だった劉備三兄弟に趙雲や田豫のような優れた人物を抱えていた。しかし、『優秀な人間は、取り立ててやっても当然と思うだけで恩義を感じない』という理由で凡庸な人物を重用し士太夫を冷遇したため袁紹・曹操・孫策らのように参謀を得られず敗れる一因になった。
  • 一方で、当時卑しい身分とされていた商人を重用し交易などで莫大な利益を得ており、金銭の価値に重きを置く重商主義者の面があったことが窺える。
  • 反董卓連合に加わったというのは『三国志演義』上のフィクションであり、袁紹とのこともありむしろ董卓と親しかった。演義では呂布文醜との一騎打ちに負けたり、袁紹に押しまくられるなど散々な目に遭い、その都度劉備・関羽張飛や趙雲に救われる引き立て役となっている。

もっとも、劉虞との確執や彼を斬った事による自爆に近い末路も描かれてないので、ある意味では史実より優遇されているのかもしれない。

  • 諸葛、公孫、夏侯など、中国でが2字になる家系は特別な家系とされるらしい。

別名・表記ゆれ編集

かつては「瓚」はJISの文字に無かったが、「JIS X 0213」で登録されている。

三国伝に登場する、同人物をモデルとした『公孫瓚イージーエイト』はこの表記となっているが、タグとしてはあまり普及していない。

また、「瓚」の文字が使えない場合は以下の表記が使われる。

  • 公孫サン:カタカナで代用。かつてはWikipediaなどにおける記事名でもこれが使われていた。
  • 公孫賛:「賛」で代用
  • 公孫瓉:「瓉」で代用

各メディアにおける公孫瓚編集

いずれの作品でも角ばった顔に髭面と容姿面は一致。


群雄所属。スペック、計略、特技は全て2の据え置きという珍しい武将。


初期から登場。登場当初はなぜか老将顔であったが、シリーズを追う事に徐々に中年の武将となった。それに加え能力も強化されたが、12では政治がダウンしている。(代わりに知力は強化された。)



武器:剣(3から4)、刀(5以降)


声:石川英郎(3から4)、中尾良平(5のみ)、滝下毅(6、7)、金本涼輔(7猛将伝追加台詞、7empires)


「口先だけのえせ名族め!白馬の蹄が蹴散らしてくれる!」(3Empires:戦闘前会話イベント「名族対白馬将軍」より)

「見ておれ袁紹!必ず貴様以上の戦功を立ててみせる!」(5:ムービー「群雄こぞれど」より)

「思い知ったか袁紹め!我が白馬義従の働きは連合随一よ!」(5:ムービー「仮宿を出て」より)



モブとして登場。セリフは3Empiresでの袁紹との対抗台詞以外は特になしだったが、無双5の趙雲伝では袁紹に対して対抗心を燃やしている様子が描かれている。また同門の劉備の事を「優しいだけ」と一蹴した。


虎牢関の戦いの後に力で天下に名乗りを上げようとしたが、その事が原因で趙雲が劉備の元へ出奔してしまう事となった。


6猛将伝では界橋の戦いで総大将として登場。


関連イラスト編集

白馬陣 鋒矢の型!雪、白馬将軍、幽州にて


関連タグ編集

三国志

劉備 袁紹 公孫越 趙雲 盧植

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