概要
ベトナム語では趙氏貞をチェウ・ティ・チン(Trieu Thi Trinh)と読む。
他にも婆趙/バー・チェウ(Ba Trieu)、趙嫗/チェウ・アウ(Trieu Au)、趙貞娘/チェウ・チン・ヌオン(Trieu Trinh Nuong)などの呼び名がある。
中国の三国時代に相当する248年に、交州九真郡(現在ではベトナムの領土)で兄の趙国達と共に民衆を集め、呉に対する反乱を起こした。
その時23歳の若さだった。
『大越史記全書』によると、趙氏貞は金の靴を履き、戦象にまたがって戦った象使いであった。
しかも、身長は9尺だったが、乳房は3尺もの長さがあり、鎧に収まらなかったとされる。
当時の「尺」の長さはよくわからず、3尺もどこからどこまでを測った結果なのかよくわからないが、ともかく歴史書に特筆されるほど巨大なおっぱいの持ち主であったらしい。
趙氏貞は当初連戦連勝で九真郡の呉軍を蹴散らし、城や村を陥落させた。
これを聞いた呉の皇帝孫権は、陸遜の一族で交州刺史の陸胤に平定を命じた。
伝説によると、趙氏貞が生娘であるのを知った陸胤は、自ら全裸となって男性器を見せつけ、趙氏貞が恥ずかしがったところを打ち破ったとされる他、男性兵士達を全裸で踊らせた説もある。
いずれにしても、半年におよぶ戦いの末に陸胤は反乱を鎮圧した。
趙氏貞は自ら河に身を投げて自害したとも、象に踏まれて最期を遂げたとも伝わっている。
余談
飽くまでも一般的な尺であれば『1尺=30.3cm』とされる。
その為、身長は約273cmとなり、乳房の方は(普通の計測方法ならば)約90cmになると推測される。
ただし、理想の3サイズの内、トップバストの計算式である『身長×0.54』に上記の身長の数値をそのまま当てはめた場合、そのトップバストは約147cmと、明らかにズレが生じている。
また、わざわざ歴史書にまで記載されている事実を考慮すると、『片方の乳房だけでの大きさ』も有り得る他、戦場に女性が出陣していた事実から、分かり易い『女性の記号の誇張』として記載した可能性も0ではないと思われる。
だが、古代中国において尺は時代によって、大きく長さが異なっており、ざっと見ても以下の通りとなる。
- 約23cm(殷~秦時代)
- 約23.5cm(漢時代※1)
- 約20cm(周時代)
- 約29.6cm(随~唐時代※2)
- 約32cm(清時代)
- 約33.33cm(清朝滅亡後~現代まで※3)
※1、厳密には23~24cmの間。彼女が活躍した時代から察するに、この尺に当てはめるのが妥当と推測
※2、厳密には大尺の長さ
※3、メートル法に合わせた結果
また、趙氏貞が活動した時代と同じ時期を背景とする『三国志演義』で、身長九尺と語られた人物は関羽が存在する。
身長八尺と語られる多くの男達より大柄な関羽と同格の身長……と考えると、女性としては規格外の高身長である。
尚、上記の考察は飽くまで、仮説の域に過ぎないので注意されたし。